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『不適切にも』伏線回収や考察視聴スタイルへの痛烈皮肉 「最終話までとっちらかったまま」は伏線か

武井保之ライター, 編集者
TBS金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』公式サイトより

TBS金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』第7話では、小川市郎(阿部サダヲ)は運命に立ち向かわなかった。ドラマはすでに後半に入っているが、2人の死のフラッグは立ったものの、そこに対するアクションはなく、令和社会への昭和視点からの“不適切“へのツッコミおよび、9年後の死を知らない純子を見守る周囲の人間ドラマのみで終わった。

(関連記事:純子の物語だった『不適切にも』 父親思いの健気に生きる不良少女に感情移入して高まる共感と関心

市郎は運命に抗わないのか

令和でEBSテレビのカウンセラーを務める市郎は、エゴサーチをしてSNSの書き込みに日和り第1話の伏線と最終話の回収にこだわる大御所脚本家、予告映像へのSNSのコメントをやたらチェックするプロデューサー、ドラマを見ながらSNSでポストするドラマを見ているのか見ていないのかわからない視聴者を取り上げ、SNSに振り回される令和社会の不適切を風刺した。

この不適切のくだりは、ドラマタイトルにつながる話の流れであり、第1話からの見どころではあるのだが、第5話で市郎と純子が1995年に亡くなる運命が示されてからは、それよりもやることがあるのでは、と愛する娘の死を防ぐために動かない父親に苛立ちを感じてしまう。

一方、これまでにも根は素直な昭和の不良少女の一面を見せてきた純子だが、今回も父親思いの優しい顔をのぞかせ、ヘアスタイルも服装も令和仕様にアップデート。現代の可愛らしいビジュアルだがメンタルには昭和の不良テイストがにじむ、善と悪、光と闇が混濁するような絶妙な魅力を放った。

そんな純子の死をフックにした、悲しさ、つらさ、切なさ、やるせなさのあふれる、周囲の人たちと、自身の未来に気づきつつある純子の人間ドラマが、前述の“不適切”シークエンスとの2本柱になっていた。

ラスト直前までとっちらかったままのドラマになるのか

第7話には2つのメッセージがあった。

ドラマを全話通して見たことがないという美容師のナオキ(岡田将生)は「たまたまテレビつけたときに6話とか7話がやっていて、その回が好きなら、僕にとってそれは好きなドラマ」という。その言葉は、市郎にとっては、最終話の決まっている自身と純子の人生の意義を肯定しているように聞こえただろう。

同時にこのナオキの言葉は、本作の脚本家のクドカンから視聴者へのメッセージでもある。ドラマの見方は人それぞれだし、自由なもの。伏線や回収に縛られて見ることの意味のなさや、SNSでの考察で承認欲求を満たす視聴スタイルへの皮肉も込められている気がする。

一方、第7話で市郎は、伏線回収にこだわる大御所脚本家に対して「回収しないとだめかね。ドラマも人生もいつか終わる。そのギリギリ手前までとっちらかってていいじゃないか。最終話が決まっていないなんて最高だ」と毅然として言い放つ。

これは、本作がそういうドラマという伏線なのかもしれない。いまは本作がどこに向かうのかまったくわからない。最終話までこのままの2本の軸の話が続いて、令和社会の不適切を唱えながら、とっちらかったまま終わるのか。市郎は2人の運命を変えないのか。変わらないドラマなのか。それも悪くはないが、気持ちよくまとまる結末も見たい。

次週は第8話。そろそろ最終話に向けた動きが出てくるか。ますます目が離せなくなる。

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ライター, 編集者

音楽ビジネス週刊誌、芸能ニュースWEBメディア、米映画専門紙日本版WEBメディア、通信ネットワーク専門誌などの編集者を経てフリーランスの編集者、ライターとして活動中。映画、テレビ、音楽、お笑い、エンタメビジネスを中心にエンタテインメントシーンのトレンドを取材、分析、執筆する。takeiy@ymail.ne.jp

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