Yahoo!ニュース

“バイデン政権がイスラエル軍部隊に制裁を検討”米報道――アメリカの忍耐は切れるか

六辻彰二国際政治学者
【資料】ヘブロン近郊でデモ隊に銃を向ける兵士(2022.11.29)(写真:ロイター/アフロ)
  • 米メディアの一部は「バイデン政権がイスラエル軍の一部部隊による人権侵害を理由に制裁を検討中」と報じた。
  • 問題となった部隊はガザで活動するものではなく、人権侵害の対象もガザ侵攻での軍事作戦ではない。
  • ガザ侵攻との関係が薄い問題をこのタイミングであえて取り上げているとすれば、イスラエルに対するアメリカ政府の忍耐が限界に近づいていることを示唆する。

制裁対象の部隊とは

 米メディアAxiosは20日、政府高官の話として「イスラエル軍の部隊の一部に人権侵害の疑いがあることを理由に、バイデン政権が制裁を検討中」と報じた。

 多くの欧米メディアでこのニュースは関心をもって報じられている。多くの民間人死傷者を出すガザ侵攻に関して、アメリカはイスラエルの自衛権を擁護してきたからだ。

 ただし、Axiosによると、制裁の対象は現在ガザで活動中の部隊ではなく、ヨルダン川西岸(ガザと同じく、国連決議に反してイスラエルが実効支配している)に駐留していたネツア・イェフダ連隊で、問題になっているのも2023年10月7日のハマスによる大攻勢以前の人権侵害だ。

 そのなかには例えば2022年1月、ヨルダン川西岸で80歳近いパレスチナ人が兵士に拘束され、路上に放置された結果、凍死した事件などが含まれる。老人はアメリカ市民権をもっていた。

 Axiosの問い合わせに、国務省から正式のコメントはない。

宗教的価値観の強い部隊

 ガザ侵攻ではすでに3万人以上の死者が出ているといわれる。Axiosの報道が正しければ、アメリカはあえてガザ侵攻とは直接関係ない事案でイスラエル軍の一部に制裁を検討していることになる。

 アメリカの国内法では「深刻な人権侵害に関与した部隊・個人にアメリカの軍事援助を提供すること」が禁じられている。

 その対象になる可能性が示唆されたネツア・イェフダは、宗教的価値観の強い兵士の集まりだ。そのメンバーはユダヤ教の教義を厳格に解釈する超正統派の出身者で固められている

 旧約聖書には「神がユダヤ人にこの地を与えると約束した」という記述がある。

 これを拠り所にユダヤ教保守派は、パレスチナ分割を定めた国連決議に反してでも、この地の全ての領有を目指すが、そのなかでも超正統派はとりわけ厳格に教義を解釈する点に特徴がある(パレスチナ占領に反対する超正統派もいる)。

 宗教的使命感の強いネツア・イェフダはヨルダン川西岸の実効支配の一角を担っていたわけだが、そのなかで行き過ぎた暴力がしばしば指摘されていた。

報道によると、アメリカ政府は2022年からネツア・イェフダによる人権侵害を調査してきた。それを受けてか、イスラエル軍は2023年初旬、ネツア・イェフダをヨルダン川西岸から移動させた。

イスラエル政府の反応は

 Axiosの報道について、イスラエルのネタニヤフ首相は「制裁はあり得ない」「イスラエル軍兵士に制裁を科すものとは力の限り戦う」という声明を出した。

 確かに“制裁”はアメリカ政府の正式発表ではなく、確定的ではない。しかし、それを一旦置くとしても、ネタニヤフの強気の反応は不思議ではない。

 自身の不正資金問題などもあって、もともと不人気だったネタニヤフ政権にとって、ガザ攻撃は保守派の支持を繋ぎ止める生命線でもあるからだ。

 また、そもそもイスラエルはアメリカの従順な同盟国ではない

 むしろ、イスラエルはこれまでもシニア・パートナーであるアメリカを引っ張り出すために危機を演出したり、アメリカの仲介を拒否したりすることが珍しくなかった。

 ガザ侵攻に関しても、バイデン政権は南部ラファへの攻撃に再三“懸念”を表明しているが、イスラエルがこれを顧慮する様子はみられない。

 援助を受ける立場でありながら強気を崩さないネタニヤフ政権は、「アメリカは最終的にはイスラエル側につかざるを得ない」とバイデン政権の足元をみていると同時に、「援助を受けているからこそ突っ張り続けなければアメリカの言いなりになってしまう」という危機感もあるとみられる。

バイデン政権の忍耐はもつか

 ガザ侵攻のなかでもアメリカはイスラエルを支援し、しばしば国連安保理で「即時停戦」を求める決議に拒否権を発動した他、4月21日にはイスラエル向けの260億ドル相当の軍事援助を含む予算案が議会下院を通過し、上院に送られた。

 ただし、その裏でバイデン政権の忍耐が限界に近づいているのも疑いない。

 アメリカ国内でも「イスラエルは行き過ぎ」と考える有権者は増えていて、バイデンの支持基盤である民主党支持者の間で特に目立つ。11月に大統領選挙を控え、支持率の低迷に悩むバイデン政権にとって、これ以上イスラエルに付き合うリスクは大きい。

 そればかりか、同盟国の間でもイスラエルに引きずられることに警戒が広がっている。

 イスラエルとの取引を見直す企業は先進国でも増えていて、例えば日本の伊藤忠商事も今年2月、イスラエル軍需企業Elbit Systemsとの取引を停止した。これは2023年12月に南アフリカの提訴を受けて国際司法裁判所はイスラエル軍の活動を“ジェノサイド”とは断定しなかったものの、「ガザでのジェノサイドを防ぐ努力」を関係各国に命じたことを請けてのものとみられる。

 さらにオーストラリアスペインなどは「パレスチナを独立国家として承認する」検討を始めている。

 途上国・新興国の多くはすでにパレスチナを独立国家として認めているが、先進国の間でもこの動きが広がれば、「イスラエルによる占領は不当」という国際的認知がより強くなり、アメリカの孤立が浮き彫りになりかねない

 とはいえ、アメリカは当初ガザ侵攻を黙認し、その後も基本的に支持してきた手前、いまさら大きく立場を変えられない。

 こうした背景のもと、仮にAxiosが報じたようにバイデン政権が2022年10月7日以前のヨルダン川西岸での人権侵害に限って制裁を検討しているとすれば、ガザ侵攻そのものと直接関係の薄い部分でイスラエルにプレッシャーをかけるものといえる。

 とすると、今後バイデン政権がネツア・イェフダ制裁に踏み切った場合、それは「アメリカは人権侵害を許さない」というより、「アメリカの利益を脅かすのは許さない」というメッセージとして読み解くべきなのである。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

六辻彰二の最近の記事