米兵がガザ侵攻に抗議の焼身自殺――「ヒーローか、アナーキストか」を考える
- ワシントンD.C.にあるイスラエル大使館前で現役米兵がガザ侵攻に抗議して焼身自殺したことは、アメリカで賛否両論を招いた。
- この問題の背後関係として「カルト教団」や左派メディアの影響などを取り上げるメディアもある。
- しかし、どんな思想信条かにかかわらず、焼身自殺という過激な手法が反戦世論を高めかねないことにアメリカ政府は懸念を強めているとみられる。
「もうジェノサイドに加担しない」
ワシントンD.C.にあるイスラエル大使館前で2月25日、若い男性が焼身自殺した。
その様子を自らカメラで配信した彼は燃料のようなものを被り、火をかける直前に以下のように宣言した。
「私はアーロン・ブッシュネル。現役の米空軍兵士だ。自分はもうジェノサイドに加担しない…これから極端な方法で抗議をするが、パレスチナの人々が植民者によって行われていることに比べれば、たいして極端でもない…それが我々の支配階級が当たり前と決めていることなのだ」
その直後に火をつけたブッシュネルはみるみる炎に包まれ、駆けつけた警官が「大丈夫か」と声をかけると、「パレスチナに自由を!」と叫んだのが最後の言葉になった。
その後「銃じゃない、消火器をもってこい」と叫ぶ警官の声も動画に収まっている。
ブッシュネルは病院に運ばれたが、25年の一生を終えた。
ヒーローか、アナーキストか
首都ワシントンで発生したこの出来事はアメリカで大きな論争を招いたが、最大の争点になったのはブッシュネルの「ジェノサイドに加担しない」という主張だった。
中東ガザでは昨年10月からの戦闘により、パレスチナ側の発表で死者が3万人を超えた(イスラエルやアメリカはこれに疑念を呈している)。
これに対して、南アフリカが12月、国際司法裁判所(ICJ)にイスラエルをジェノサイド罪で提訴した。ICJはジェノサイド罪の認定を避けながらも、「パレスチナでジェノサイドが発生しないよう努力すること」を暫定命令として下した。
この問題に関して、バイデン政権は民間人死傷に懸念を表明しながらも、イスラエルの自衛権を支持し、武器援助を続けるだけでなく、即時停戦を求める12月の国連決議にも反対した。つまり、アメリカは実質的にはイスラエルを引き止めてこなかった。
これがブッシュネルのいう「ジェノサイドへの加担」とすると、アメリカの一員としての批判はイスラエルだけでなくアメリカ自身にも向かっていたのだ。
こうした批判は、イスラエルを支持するアメリカ以外の先進国でもみられる。例えばドイツの弁護士グループは2月25日、ショルツ首相を含むドイツ政府首脳らを「ジェノサイドの支援」で提訴した。そこには国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)への拠出金停止も含まれる。
だからこそ、パレスチナ支持者にはブッシュネルをヒーロー、殉教者と賞賛する者が目立ち、逆にイスラエル支持者にはアナーキスト、狂った放火魔といった批判さえある。
カルト教団や左派メディアの影響?
賛否両論を招いただけに、事件の背後関係についての情報も入り乱れている。
報道によると、ブッシュネルはマサチューセッツ州にある宗教団体「イエスの村」の関連施設で育った。この団体は共同生活を重視するが、外界から隔絶した空間での信者へのハラスメントなども報告されていて、しばしば「カルト教団」と呼ばれる。
この団体の出身者は「上位下達の組織から別の上位下達の組織へ」ということで軍に入隊する者が多いという。
また、ブッシュネルは焼身自殺する直前、地元メディアアトランタ・コミュニティ・プレス・コレクティブ(ACPC)に、「極端な抗議活動」に関するの声明文を送付していた。ACPCは差別反対運動ブラック・ライブズ・マター(BLM)や急進的な環境活動家などに好意的である一方、政府、警察、大企業などに批判的な論調が目立つ。
友人によると、ブッシュネルは勤務のかたわら生活困窮者の支援ボランティアにも熱心に参加しており、BLMの取り締まりを行う軍隊にも批判を隠さなかったという。
もっとも、その思想信条はブッシュネルを突き動かす原動力になったかもしれないが、どの程度の影響があったかの即断は避けるべきだろう。
ブッシュネルの行為をあえて評価すれば、他者を傷つけない焼身自殺は‘テロリズム’ではないが、一般的でない抗議手法という意味で‘過激主義’ と呼んで差し支えない。
とはいえ、少なくとも確認される範囲で、イエスの村が政治的な過激主義を扇動したり、ACPCが「我が身を犠牲にした」抗議を賞賛したりしたことはない。この点、「アメリカへの報復」を明示的に示唆したアルカイダや、腐敗した体制を打破するための「内戦」を叫ぶ極右と同列には扱えない。
これまでにもあった政治的な焼身自殺
このように背後関係に不明点も多く、評価も難しいが、ショッキングなアピールが多くの人の耳目をひいたことは間違いない。
政治的な焼身自殺はこれまでにもいくつもの国で発生し、多くの人の共感や支持を集めた。
そのなかには冷戦時代にソ連統治下のウクライナや中国に編入されたチベットで共産党支配に抗議して焼身自殺した人もあれば、ベトナム戦争に反対して自ら火をかけたベトナム人やアメリカ人もいる。
さらに2011年に中東・北アフリカで発生した政治変動「アラブの春」の引き金になったのは、2010年暮れにチュニジアで政治の腐敗に抗議する若者の焼身自殺だった。
このように政治的な焼身自殺は宗教やイデオロギーを超えて確認されるが、巨大な権力に対する無力感、絶望感を晴らす「最後の手段」は、現在のウクライナやチベットで抵抗する人々にとっての一つの記念碑であり、アメリカ軍のベトナム撤退を促す反戦運動の高まりをももたらした。
イギリスの社会学者マイケル・ビッグスによると、「自らの苦痛をデモンストレーションの手段として用いることの力を過小評価すべきではない」。
バイデン政権の二重の懸念とは
現在のアメリカに目を向けると、AP通信の世論調査で「イスラエルの攻撃が行き過ぎ」という回答が50%におよび、「適切な範囲」の31%を大きく上回る。
ブッシュネルの事件を受け、バイデン政権は「恐るべき悲劇」と表現するにとどまった。ブッシュネルをことさら批判すれば、反戦世論、反イスラエル世論をかえって高めかねないという判断が働いたとみてよい。
これに加えて、アメリカ政府にとっては、治安機関における過激主義の拡散も懸念材料になる。それは左派とは限らない。
テロ・テロ対策研究学会(START)の調査によると、トランプ前大統領の選挙敗北の結果を認めず、2021年1月7日に連邦議会議事堂に侵入し、逮捕された暴徒のうち約15%は軍務経験があった。
一方、左派に関していえば、アメリカ史上屈指の「評判の悪い戦争」ベトナム戦争の時代にも米兵が反戦運動に参加したり、無謀な作戦に反発した上官を殺害(フラッギング)したりする事件が多発した。
それでも、現役、退役を問わず、兵士による戦争反対の焼身自殺はこれまで確認されていない。ここまで突き抜けた者は多くないとしても、潜在的にブッシュネルに共感する者が米軍内にもいるとみた方がいいだろう。
右派、左派を問わず、過激主義が浸透すればアメリカの屋台骨も揺らぎかねない。そう思われないようにするためにも、アメリカ政府はこの問題が早々に人々の記憶から消えることを願っているとみられるのである。