90年前の良レシピの講述者は97年前に出版された600のロジカルレシピが載録された料理書の著者だった
以前の「90年前のレシピに見る、肉焼きはどう進化したか」という記事については、前回の記事でも触れたように、1932(昭和7)年6月30日付の朝日新聞の記事に、ほぼ現代でも通用するほどの肉焼きに対する知見が詰め込まれている。
前回の「美食を描かなかった美食家、手塚治虫と戦後日本の食文化の断絶」を書いたときには、「もしかすると明治の終わりから昭和初期はすばらしい料理家が多かったが、積み上げかけた食文化が戦争で崩壊し、その瓦礫をさまざますぎる人が拾った結果、食文化が四方八方に飛び散ったのか」と考えていたし、実際戦後に起きた事象はそれに近い。
餃子や鶏のから揚げが日本でこれほどの地位を獲得したのは、大陸からの引揚者が一役買っているし、それによって日本独特の超多様で超ハイレベルな食文化が形成された面は否めない。
だがもうひとつの歴史をたどっていたら……。つまり明治、大正、昭和初期に日本を席巻した明治期の新しい食文化とそこで生まれた料理人・料理家とその弟子たちがすくすくとその才能を伸ばしていたら、日本の食文化はどこまで伸びたのだろうかと思う。
というのも、冒頭に書いた90年前の肉レシピの講述者の著書が、あまりにも際立ちすぎていたのだ。
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