戦前も戦後も一度も憲法改正したことのない国の憲法論
フーテン老人世直し録(336)
霜月某日
11月3日は明治天皇の誕生日である。戦前は「明治節」と呼ばれる祝日だった。戦後の11月3日は平和と文化を尊重する日本国憲法が公布されたのを記念して「文化の日」という祝日になった。
昭和21年11月3日に昭和天皇が日本国憲法を公布したのは明治節を意識していたからである。昭和天皇は日本の民主主義の始まりを明治天皇の「五箇条の御誓文」にあると考え、大日本帝国憲法の手続きに従って帝国議会が改正した憲法を日本国民の総意に基づく民主主義的な憲法として公布した。
我々は天皇主権の大日本帝国憲法と国民主権の日本国憲法を全く異なるものと考えているが、しかし成立の手続きを見れば新しく憲法を作った訳ではなく大日本帝国憲法を改正しただけで、しかも当時の日本には主権がなくGHQのマッカーサー司令官の指示によって政治体制が一新された。この生誕の経緯に日本国憲法の複雑さがある。
敗戦後に幣原内閣が進めた憲法改正作業はマッカーサーによって拒否され、マッカーサー草案を下敷きにした改正案が大日本帝国憲法の手続きにより枢密院に諮問された。枢密院では「天皇機関説」で有名な憲法学者美濃部達吉が改正に反対し、帝国憲法の運用を変えれば民主主義は実現できると主張した。
しかし多数の賛成で改正案は枢密院から帝国議会に送られ、衆議院で憲法9条に修正が加えられる。「芦田修正」と呼ばれる。この9条を巡りそれ以降の日本には様々な論争が巻き起こり戦後政治の一大テーマとなるが、それが今や「護憲か、改憲か」で国内に分断と対立をエスカレートさせている。
自国の憲法を巡って国民の意見が真っ向から対立し、それが戦後70年間も続いている国が世界のどこにあるだろうか。フーテンは聞いたことがない。もう一つ、明治22年の大日本帝国憲法制定以来128年間、日本人は憲法を一字一句変えずにきた。憲法を全く変えない国というのが世界のどこにあるか。これもフーテンは聞いたことがない。
一時期の安倍政権は改正の条件が厳しすぎるとして改正手続きを緩和しようとしたが、衆参両院の3分の2以上による発議という日本の条件が厳しすぎることはない。米国でもドイツでも日本と同等かそれ以上に厳しい条件が課されている。にもかかわらず米国は戦後6回、ドイツは60回もの憲法改正を行った。憲法と国民の関係に日本だけ特殊な要因があると考えざるを得ない。
戦前も戦後も一度も憲法改正が行われてこなかった理由は信仰ともいうべき護憲運動があったからである。戦前は伊藤博文や井上毅など薩長藩閥政府の要人がドイツの憲法を真似て作ったものを天皇から与えられた欽定憲法として権威づけたため、天皇信仰の右翼や大衆が護憲運動を行った。
戦後は非武装の思想が9条に盛り込まれたことで、戦争でつらい体験をした国民や民主主義思想を広めることで社会主義を実現しようとする左翼勢力が護憲の担い手になった。天皇に代わる平和信仰が憲法改正を阻み「改憲」は71年間手を付けられずに来た。
非武装の思想を憲法に盛り込んだのはマッカーサーである。第一次世界大戦以来の世界は各国が「戦争放棄」を謳う「パリ不戦条約」に合意したが、しかしどの国にも自衛権はあるという考えだった。しかしマッカーサーは日本には自衛権を認めない完全非武装の憲法草案を作成する。
この記事は有料です。
「田中良紹のフーテン老人世直し録」のバックナンバーをお申し込みください。
「田中良紹のフーテン老人世直し録」のバックナンバー 2017年11月
税込550円(記事6本)
2017年11月号の有料記事一覧
※すでに購入済みの方はログインしてください。