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勝負師は勝負しなけりゃお邪魔虫

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(338)

霜月某日

 小池百合子東京都知事が希望の党代表を辞任した。案の定と言うか遅すぎるぐらいだとフーテンは思った。小池氏の代名詞である「勝負師」が勝負から逃げた時点で、「勝負師」としての小池百合子は終わっていたと思うので、代表辞任には何の違和感もない。ただ「勝負師」がなぜ勝負から逃げたのかはいまだに不明である。

 小池百合子という政治家についてフーテンの記憶にあるのは以下の通りである。彼女が政治家になった1990年代初頭の「政治改革の嵐」の中で、フーテンは国会審議をNHKのように限定的ではなくすべて公開する「国会テレビ構想」を政治の世界に訴えていた。

 それがようやく認められCS放送で「国会TV」を放送開始したのが1998年。しかし放送業界の壁に阻まれ新規参入事業者のチャンネルはいずれも経営が厳しく次々に大手企業に買収されていく運命にあった。

 そのころ小渕政権で経済企画庁政務次官の職にあった小池氏にフーテンは呼び出された。「国会TV」に強い関心を示され情報公開に並々ならぬ熱意を持っている印象を受けた。しかし結果的に状況が好転することはなく、「国会TV」はCS放送からネットの世界に撤退することになる。

 フーテンは冷戦の終焉直前から日米の政治を比較取材してきた経験を07年ころからブログに書くようになるが、そのブログで注目したのは小池防衛大臣の勝負師ぶりだった。彼女は小泉総理が仕掛けた郵政解散で「刺客第一号」に名乗りを上げるなど勝負師の片鱗を見せてはいたが、防衛大臣になると最高権力者である安倍総理に揺さぶりをかけ続けたのである。

 07年7月の参院選で安倍総理は小沢一郎氏率いる民主党に大惨敗を喫するが、退陣せずに総理に居座ろうとした。参院選敗北の責任を取ろうとしない総理は前代未聞だったが自民党内から批判の声は上がらなかった。

 すると小池防衛大臣が選挙直後の特別国会を欠席して訪米し、自分のカウンターパートであるゲーツ国防長官のみならず、格上のチェイニー副大統領やライス国務長官と相次いで会談を行う。外交儀礼をまるで無視した前代未聞の訪米で、フーテンには「安倍の次には私がいる」と米国政府に売り込みをかけているように見えた。

 8月には安倍総理のインド訪問と同時期に自分もインドの他の地域を訪れるという通常あり得ない外交日程を組み、また直後の内閣改造で自分から留任を拒否する態度に出た。しかも2か月弱の在任中に「防衛省の天皇」と呼ばれた守屋武正事務次官を更迭し安倍総理や塩崎官房長官を慌てさせる。つまりことごとく安倍総理に逆らった。

 そのせいか安倍総理はぶざまな退陣劇を演ずることになるが、2012年に再び返り咲くと、当然のごとく小池氏は自民党内で冷遇される。その不満を爆発させたのが一昨年の東京都知事選挙である。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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