「エホバの証人」信者からネオナチへ――ドイツ‘報復’大量殺人の深層
- ドイツのハンブルクで「エホバの証人」の施設が元信者に銃撃され、7人が殺害された。
- 実行犯は自殺したが、その後の調査で「エホバの証人」脱退後、ネオナチに転向していたことが判明した。
- 「エホバの証人」はヒトラーの権威を否定したため、信者が強制収容所に送られた歴史を持つ。
ドイツで「エホバの証人」で信者7人が銃殺された大量殺人事件は、その後の調査で、元信者が団体に敵意を募らせた挙句、極右イデオロギーに感化された疑いが濃くなった。
元信者が「エホバの証人」襲撃
ドイツ第二の都市ハンブルクで3月10日、「エホバの証人」の王国会館(礼拝施設)が銃をもった男に襲撃され、居合わせた7人(胎児1人を含む)の信者が殺害された。
実行犯フィリップ・F(ドイツでは個人情報保護の観点から容疑者の姓が公表されない)は逃亡を試みたが、通報を受けて駆けつけた警察官に取り囲まれて自殺した。
今回の事件は大量殺人だけでもセンセーショナルだったが、それに加えて実行犯が「エホバの証人」の元信者だったことでも注目を集めた。
エホバの証人はキリスト教の一派で、19世紀のアメリカで生まれた。全世界の信者は869万人 以上、このうちドイツには17万人程度がいるとみられる。
その大きな特徴は聖書を厳格に解釈し、後世に加えられた要素を拒絶することだ。そのため、例えばクリスマスなどの行事は行われない。また、新約聖書『使徒書』にある「偶像への供え物、血、絞め殺したもの、不品行を避けなければならない」という記述に従い、たとえ瀕死の重態でも輸血を拒否することでも知られる。
これまでにもあった襲撃
その特異性もあって、エホバの証人は外部とのかかわりが疎遠になりがちだ(信者はそう言わないが)。実際、今回の事件を受けてハンブルクではカトリックや他のプロテスタント教会が合同追悼式を行ったが、当のエホバの証人はこれに謝意を示しながらも参加しなかった。
家族内のトラブルを招くことも珍しくなく、日本ではいわゆる宗教2世の問題も指摘されている。
こうした背景のもと、エホバの証人が襲撃されることはこれまでにもあった。例えばドイツ中部ビーレフェルトでは2009年、82歳の男性が王国会館を銃撃しようとして逮捕された。犯人の娘はエホバの証人の信者だった。
今回の事件では元信者が自ら襲撃したわけだが、その背景には何があったのか。
ネオナチへの転向
事件後の捜査で背景が少しずつ明らかになってきた。ドイツ公共放送によると、実行犯フィリップ・Fは1年半ほど前、エホバの証人を脱退した。自発的な脱退だったか、排除されたかなどについてエホバの証人から説明はなく、警察が把握しているかも不明である。
確実なことは、昨年12月にAmazonのセルフ出版で「ヒトラーはキリストの代理人」と主張する書籍が発行されていたことだ。この本でフィリップ・Fは反ユダヤ主義を掲げ、「神に代わって」大量殺人を行うことを正当化していた。
ナチズムとエホバの証人の間には深い因縁がある。1933年にドイツの実権を握ったヒトラーがユダヤ人や共産主義者を迫害したことはよく知られているが、エホバの証人もやはり弾圧されたからだ。
ドイツの歴史学者ヨハン・ローベルによると、2000人の信者が強制収容所に送られたという。これは当時、ドイツにいたエホバの証人の信者の10分の1に当たる。
エホバの証人の教義では武器を持つことが許されない。そのため、徴兵制が普及した近代以降、教義を優先させる信者と世俗の政府の間の対立は各国でみられたが、当時のドイツで徴兵拒否はヒトラーの権威の否定と同じで、そのために迫害されたのである(同様に現在のロシアでも過激思想として布教が禁じられている)。
ネオナチに転向したフィリップ・Fがエホバの証人に憎悪を募らせたことは、その意味では不思議でない。
過激思想は飾りか
もっとも、その極右イデオロギーがどこまで「本気」だったかは疑わしい。
エホバの証人脱退から問題の書籍のセルフ出版までが1年余りしか空いていなかったことを考えると、極めて短期間に乗り換えたことになる。
フィリップ・Fが「かぶれた」程度のネオナチだったとすれば、むしろメンタル面での不調が直接的なきっかけになった公算が高い。
事件後、ハンブルク警察は事前に市民から匿名で情報が寄せられていたことを明らかにした。そこではフィリップ・Fが精神的に不安定で、銃器を持たせる危険が警告されていた。
これを受けて警察官が容疑者を訪問し、所持の届出があったセミオートマティック拳銃を確認したものの、「危険はない」と判断してひきあげていた。
この対応が後に警察への批判を集めたのだが、ここでのポイントは、結果的には匿名情報の信ぴょう性がかなり高かったということだ。
インスタント・テロリストの脅威
孤立や生活への不安などによってメンタルの問題を抱えた人間が、ごく短期間で過激思想に感化され、人生を清算するような凶行に及ぶことは、これまでにもみられたことだ。
2016年7月、フランスのニースで花火大会の見物客に向かってトラックが暴走し、84人が殺害された事件では、「イスラーム国(IS)」が犯行声明を出した。しかし、犯行後に警察との銃撃戦で死亡した実行犯は、チュニジア出身で一応ムスリムだったものの、事件の3ヶ月前までモスクに行ったことさえほとんどなく、むしろ離婚など個人的な問題を背景にうつ症状を強めていたと報告されている。
精神的に不安定な人々がネットなどに溢れるヘイトメッセージに感化しやすいことは、イスラーム過激主義だけでなく極右にもほぼ共通する。
これはいわば「インスタントのテロリスト」で、兆候があまりみられないまま、いきなり過激化するため、計画的・確信犯的なテロリストとは別のタイプの脅威といえる。ハンブルクのフィリップ・Fもこれに当たる疑いが濃い。
ドイツは極右によるテロがヨーロッパで最も多い国で、その件数はオスロ大学の調査では2015年から2021年までだけでも424件にのぼった。その間には、2020年に西部ハーナウで10人のムスリムが銃で殺害されるなど、多数の死者を出す事件も発生しており、ドイツは国家安全保障の問題として極右テロを捉えている。
こうした背景のもと、コロナだけでなくウクライナ侵攻による経済停滞で生活不安が広がり、メンタル面で不安定な人が増えるほど、インスタント・テロリストの増殖も懸念される。
それはドイツに限った話ではない。宗教やイデオロギーに関係なく、人知れず周囲に敵意を募らせ、突然凶行に走る人間は、もはやどの国でも珍しくないのだから。