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闇堕ちしやすい独身男性とは――フェミサイドの生まれ方

六辻彰二国際政治学者
頭を抱える男性(イメージ)(写真:アフロ)
  • 欧米では女性に憎悪を募らせた独身男性の暴力がヘイトクライムやテロと認定されている
  • 「結果としての」独身男性には特有の性格があることが調査で明らかになっている
  • 日本では統計上の処理により、この問題が「ない」ことにされている

 結婚したくてもできない独身男性が女性への憎悪に染まりやすいことに、世界各国では警戒が高まっている。

英国で「過激化する恐れ」認定

 イギリス内務省は2021年、インセルを「数年以内に過激化する恐れのあるカテゴリー」に認定した。

 インセル(involuntarily celibate: incel)は日本語で非自発的単身者と訳せる。異性との交際が長期間なく、経済的理由などで結婚を諦めた、「結果としての独身」という意味だ。

 本来この俗語は性別に関係ないが、最近の用法では男性にほぼ限定される。

プリマス銃乱射事件の犠牲者の追悼式(2021.8.18)
プリマス銃乱射事件の犠牲者の追悼式(2021.8.18)写真:代表撮影/ロイター/アフロ

 イギリス政府が警戒を募らせた転機は、2021年8月に西部の港町プリマスで発生した銃乱射事件だった。3歳の女の子とその父親を含む5人を狙い撃ちにした後に自殺した22歳の実行犯ジェイク・デヴィソンインセルを自認し、メンタルヘルスに既往歴もあった

 この事件はミソジニー(女性嫌悪)、フェミサイド(女性殺し)の典型例とみられている。そのため、イギリスでは女性嫌悪が広がらないよう学校で指導するなど、過激化防止の取り組みが始まっている。

「インセルの反乱は始まっている」

 こうした事件はイギリスだけではない。

 インセルが世界で注目された一つのきっかけはカナダのトロントで2018年4月、歩道で自動車を暴走させて歩行者11人を殺害し、逮捕されたアレック・ミナシアン(終身刑が確定)がFacebookで「インセルの反乱は始まっている」と宣言したことだった。

 「自分をインセルにした世の中への反乱」を掲げたこの事件で殺害された11人のうち8人までが女性だった。

ミナシアンが暴走させ11人を殺害した自動車(2018.4.23)
ミナシアンが暴走させ11人を殺害した自動車(2018.4.23)写真:ロイター/アフロ

 この事件の犯人ミナシアンがとりわけ共感を覚えていたのは、米カリフォルニア州アイラビスタで2014年、6人が殺害された事件で、逮捕前に自殺した当時22歳の実行犯エリオット・ロジャーといわれる。ロジャーは犯行声明のなかで女性とつきあう機会がなかったことへの不満や、「性的に活発な」男性への嫉妬を書き綴っていた

「いかにもインセル」な性格

 とはいえ、もちろんインセル全員が危険なわけではない。イギリス内務省などが警戒する対象は、「いかにもインセル」な性格が強く、インセルの集まる掲示板などで女性蔑視の発言を繰り返す者だ。

 「いかにもインセル」とみられる性格には、どんなものがあるか。

不安のイメージ。心理学的な調査によると、インセルには抑圧された感覚、不安、孤独感が強い。
不安のイメージ。心理学的な調査によると、インセルには抑圧された感覚、不安、孤独感が強い。写真:アフロ

 スウォンジー大学の心理学者アンドリュー・トーマス博士らの調査によると、非インセル378人と比べてインセル(という自覚のある男性)151人には抑圧された感覚、不安、孤独感が強かった。その一方で、生活への満足感が総じて低く、より「カジュアルなセックス」を望む傾向が強かった。

 さらに注目すべきは、インセルの被験者には、対人関係における被害者という感覚が強くみられたことだ。つまり、「周囲が自分にマウントをとろうとする」と感じやすい。

 これに加えて、インセルには「世の中の不公正」について熟考する傾向も強いとも報告された。内にこもりやすく、うつ症状を引き起こしやすいというのだ。

自殺のための他殺

 「いかにもインセル」な性格が、インセルであることの原因なのか、結果なのかは明らかではない。しかし、似たような結果を示す心理学、精神分析の調査・研究は多い。

女性や、女性と親しくなれる男性に疎外感を抱く男性(イメージ)
女性や、女性と親しくなれる男性に疎外感を抱く男性(イメージ)写真:アフロ

 ローマにあるサピエンツ大学のジャコモ・チョッカ教授らのグループは770人の調査から、インセルには不安や抑圧感だけでなく偏執症(パラノイア)の傾向があると結論づけた。

 精神的に追い詰められやすいインセルには自殺が目立つという報告もある。ジョージタウン大学医学部でテロリストの動機や心理を研究し、アメリカ政府のテロ対策にも関わるアン・スペックハルト博士らのチームによると、インセルという自覚のある調査対象272人のうち約6割に多かれ少なかれ自殺願望があった

 だからこそ、インセルによる無差別殺傷などの事件では逮捕される前に自殺する犯人が多いと指摘されている。

逆恨みの理論武装

 「いかにもインセル」な性格の持ち主には、理論武装で逆恨みを覆い隠すことも珍しくない。そのキーがレッドピルとブラックピルの二つだ。

 このうちレッドピルはハリウッド映画「マトリックス」(1999)に由来する。「マトリックス」で主人公ネオが服用したレッドピルは、世の中で当たり前と思われていることが虚構で、真実の世界は別にあると目覚める錠剤だ。

映画「マトリックス」撮影中の主演キアヌ・リーブス(1999)。この映画に登場した「レッドピル」はその後、「常識にとらわれない」という意味で英語に定着した。
映画「マトリックス」撮影中の主演キアヌ・リーブス(1999)。この映画に登場した「レッドピル」はその後、「常識にとらわれない」という意味で英語に定着した。写真:Shutterstock/アフロ

 ここから最近の英語で「レッドピルを飲む」は、一般的に「政府やメディアが伝える‘常識’を疑い、自分自身で考える」比喩として用いられるが、インセルの文脈では主に以下の点に「目覚める」ことを指す。

・‘男性が女性に対して支配的立場にある’という考えはウソ

・カップル成立には、地位、財力、容姿などで男性を選べる女性の決定権が大きい

・結婚制度そのものが女性の利益になる

・この世界で男性はむしろ不利に扱われている

 この論理がかなりバイアスの強いものであることは、いうまでもない。いわゆる上昇婚は男性より女性に多いとしても、この論理はカップル成立における男性の決定権を過小評価しすぎで、「他者の悪意」を前提に、一部の事実を都合よく拡大解釈する陰謀論に近い。

ブラックピルの魅惑

 ただし、「レッドピルを飲む」だけなら、女性や、女性と親しくできる男性を襲撃する必要はない。結婚がそれほど不公平だというならむしろ独身貴族を謳歌するか、あるいは逆に自分も選ばれるように頑張ればいいのだ。

結婚のイメージ。インセルは自覚的に独身を選んだというより、経済的事情などで結婚をあきらめた「非自発的」な独身である。
結婚のイメージ。インセルは自覚的に独身を選んだというより、経済的事情などで結婚をあきらめた「非自発的」な独身である。写真:イメージマート

 しかし、そこに低所得などの社会的不安、さらに未練や自信のなさが加わると、よりこじれた精神になりやすい。

 ここで登場するのが、レッドピルの発展型ともいえるブラックピルだ。

 インセルの集まる掲示板などで、「ブラックピルを飲む」とは、経済力、社会的地位、容姿や性的魅力などで不利な男性が立場を改善できる見込みはほとんどない、と認めることを意味する。

 これは「世界のあり方は変わらない」という諦め、「何をやっても無駄」という絶望感、無力感である。

 一般的に無力感は破壊衝動を招きやすい。

「無力であれば人は苦悩する…行動する能力を取り戻そうとせずにいられない…一つの方法は、権力を持つ人や集団に従って一体化することである…もう一つの方法は人の破壊力に頼ることである…創造できない人は破壊することを望む」。(エーリッヒ・フロム『悪について』筑摩書房, p30-31.)

 「ブラックピルを飲む」ことはインセルが闇堕ちする決定的瞬間といえる。

写真:イメージマート

埋もれるインセル

 それでは、日本ではどうなのか。

 2020年の国勢調査によると、男性の生涯未婚率は28.3%だった。そのなかには経済的理由などで結婚を諦めたインセルも多いとみられる。

 SNSを覗くと、生活への不安や心身の不調を訴えるインセルの声は珍しくない。先日Twitterでは「#独身中年男性」がトレンド入りした。

 しかし、日本でインセル的過激思想が拡大しているかどうかを把握するのは難しい。データがあまりに不足しているからだ

 例えば、先述のようにインセルには自殺願望が目立つが、警察庁が自殺者の統計項目に「配偶者の有無」を加えたのはようやく今年からだ。日本の自殺者には40~50歳代男性が特に目立つが、自殺願望に傾くインセルに関する調査は、これでやっとスタート地点に立ったという段階なのである。

インセル過激派は「いない」

 これが他殺になると、なおさら不透明だ。

男性が牛刀を振り回して乗客を襲った小田急線の車両(2021.8.6)
男性が牛刀を振り回して乗客を襲った小田急線の車両(2021.8.6)提供:ロイター/アフロ

 日本にしばしば現れる「死刑になりたかった」「幸せそうな人が妬ましかった」という通り魔には、欧米のインセル事件で目立つ、人生の清算に他人をつき合わせる思考に共通する。

 また、2021年8月の小田急線無差別刺傷事件のように、とりわけ女性が標的になる事件も発生している。

 しかし、これらが欧米で懸念されるインセル・テロに該当するかさえ定かでない。

 日本には極めて限定的な内容のヘイトスピーチ規制法しかなく、嫌悪(ヘイト)に基づく犯罪の統計が体系的に収集されていない。そのため、法律上も一般の傷害や殺人として処理されていて、女性嫌悪やフェミサイドだけでなく、ほとんどのヘイトクライムが統計的には空白のままだ

 その理由を政府は「日本にヘイトクライムはほとんどないから」と説明する。しかし、データがなければ、ほとんどないかどうかも確認できない。それは実態が覆い隠されることにもなりかねない。

アルゼンチンで行われたフェミサイドと女性への暴力に対する抗議デモ(2022.6.3)
アルゼンチンで行われたフェミサイドと女性への暴力に対する抗議デモ(2022.6.3)写真:ロイター/アフロ

 この数年とりわけ目立つ無差別殺傷にインセル思想がどの程度かかわっているかすら調査できなければ、フェミサイドの実態把握も困難なままだ。

 独身を選択したわけでないインセルの増加はライフスタイルの多様化という言葉で飾れない。むしろ、一つの社会病理とさえいえる。

 欧米の教訓を踏まえれば、「いかにもインセル」につき物の格差、孤立、メンタル面の不調などに光を当てることは、長い目でみれば社会の安全にもつながる課題なのであり、日本もそろそろ腰を据えてこの問題に向き合わなければならない時期を迎えているといえるだろう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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