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「東京に原爆を投下するよう命じるほかない」電報(画像あり)が伝えたトルーマンの発言 終戦から79年

飯塚真紀子在米ジャーナリスト
広島に原爆を投下したB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」。(写真:ロイター/アフロ)

 広島に原爆が投下されてから79年。

 原爆投下については、原爆を投下するターゲットを決めるために1945年4月に設けられた標的委員会が、京都、広島、横浜、小倉、新潟の5つの都市を候補にあげていた。京都はまだ爆撃を受けていない大都市であるという理由から、広島は大規模な軍事基地があり、爆弾の破壊力が最大になる地形であるため候補に入れられた。1945年6月までに、京都、広島、小倉、新潟の4都市が標的として絞り込まれる。

準備が整った原爆の使用を許可

 1945年7月、連合国は焼夷弾による日本への攻撃を進めていたが、トリニティー実験(米ニューメキシコ州の砂漠で行われた人類初の核実験)の成功について知らされた、当時の大統領ハリー・トルーマンは戦争終結の手段として原爆を使用することを考える。ポツダムでは、陸軍長官ヘンリー・スティムソンが日本の文化の中心である京都を標的の候補地とすることに異議を唱え、トルーマンはスティムソンの考えを支持した。スティムソンのいるポツダムからワシントン D.C.のレスリー・グローブス将軍(原爆開発のためのマンハッタン計画を指揮)に暗号メッセージで送られた最終的な標的の候補地は、広島、小倉、新潟、長崎。 

 1945年7月25日に出された指令には、「第20空軍は、1945年8月3日頃以降、目視による爆撃ができる天候であれば、広島、小倉、新潟、長崎のいずれかの標的に最初の特殊爆弾を投下する予定である」と明記されている。また、「追加の爆弾は、プロジェクトスタッフによる準備ができ次第、上記の標的に投下される。上記以外の標的に関しては、追加の指示が出される」とも記されている。

電報が伝えたトルーマンの発言

 準備ができ次第、投下を許可し、広島、小倉、新潟、長崎以外の標的も考えられていた原爆。このことは、当然、トルーマンの念頭にあったのだろう。広島と長崎に原爆投下後、トルーマンは3番目の原爆の投下の標的について言及している。ワシントンD.C.で当時、英国大使館の駐米公使を務めていたジョン・バルフォアが送った電報がそれを伝えている。

 その電報には、1945年8月14日のお昼頃、バルフォアがトルーマンとした話し合いの様子が記されている。この時、トルーマンは、日本が公式に降伏を発表するのを待っていたが、その発表を知らせるメッセージをまだ受け取っていなかったことが以下のように示唆されている。

「今朝の正午頃にウィンザー公爵とともに私が訪問したトルーマン大統領は、ベルンの日本公使館が東京から受け取った電報には“全世界が待ち望んでいたメッセージは含まれていなかった”と、当地のスイス臨時代理大使から聞いたばかりだった」

全世界が待ち望んでいたメッセージとは、日本が降伏を発表することを指す。

 この電報はまた、トルーマンが以下のように言及したと伝えている。

「大統領は、東京に原爆を投下するよう命じる以外にもう選択肢はない、と悲しそうに述べた」

 日本が降伏を発表しないためにした発言のようだ。

ワシントンD.C.の英国大使館の駐米公使ジョン・バルフォアが送った電報。出典:https://unredacted.com/
ワシントンD.C.の英国大使館の駐米公使ジョン・バルフォアが送った電報。出典:https://unredacted.com/

 しかし、この時点で、次の原爆はまだ使用可能な状況ではなく、使用可能になるまでにはあと1週間要すると考えられていた。また、同じ日の数時間後、日本から降伏の発表が届いたことから、東京に原爆を投下するという選択肢はすぐに消えた。もし、日本がこの日降伏を発表することなく、1週間後に次の原爆が使用可能になっていたなら、東京に原爆が投下されていた可能性もあったのかもしれない。

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在米ジャーナリスト

大分県生まれ。早稲田大学卒業。出版社にて編集記者を務めた後、渡米。ロサンゼルスを拠点に、政治、経済、社会、トレンドなどをテーマに、様々なメディアに寄稿している。ノーム・チョムスキー、ロバート・シラー、ジェームズ・ワトソン、ジャレド・ダイアモンド、エズラ・ヴォーゲル、ジム・ロジャーズなど多数の知識人にインタビュー。著書に『9・11の標的をつくった男 天才と差別ー建築家ミノル・ヤマサキの生涯』(講談社刊)、『そしてぼくは銃口を向けた」』、『銃弾の向こう側』、『ある日本人ゲイの告白』(草思社刊)、訳書に『封印された「放射能」の恐怖 フクシマ事故で何人がガンになるのか』(講談社 )がある。

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