ウクライナ、国際刑事裁判所の加盟へ前進。奇妙な124条「殺害許可証?」発動予定
ウクライナが、国際刑事裁判所(ICC)への加盟に、大きな一歩を踏み出した。
ゼレンスキー大統領は8月15日、ウクライナ議会に、同裁判所の設立条約であるローマ規程を批准する法案を提出した。仏紙『ル・モンド』が報じた。
国際刑事裁判所とは、1998年にオランダ・ハーグで創設された裁判所だ。
「侵略犯罪」「戦争犯罪(※)」「人道に対する罪」「ジェノサイド」という4つの罪に対して、国や組織ではなく、加害者「個人」を訴追するために設立された。
(※「戦争犯罪」とは、ここでは狭いほうの意味で、捕虜の扱い、民間人への攻撃、 毒ガス使用など、条約で定められた具体的な項目をさす。戦争で犯された犯罪全部をさす、広いほうの意味ではない。)
ウクライナは、125カ国目の加盟国となるだろう。国連加盟国が200近いことを考えれば、まだまだ数が少ない。
同裁判所への加盟は、欧州連合(EU)の強い要求だった。今までウクライナは、ずっと加盟を避けてきたのだった。
現在、同裁判所の所長は日本人だ。赤根智子氏である。2024年3月に投票により選出された。
赤根氏は、ロシアがウクライナ占領地から子どもたちを誘拐した罪で、プーチン大統領に逮捕状を出すことを決定した裁判官の一人である。
なぜウクライナは加盟を避けてきたのか
ウクライナ側は、自国の人間が訴えられて、刑事裁判の被告席に座ることになるのではないかと、ずっと恐れてきたのだ。
クリミア併合に続きドンバス紛争が始まったのは2014年のことで、10年も前のことだ。ロシアにドンバスをかき回されてもウクライナは、国際刑事裁判所に加盟しなかったので、ハーグの検察官たちや、ウクライナの活動家たちをイライラさせていた。
「我々ウクライナの当局者の中には、戦時中ならなおさら、自国の兵士や将校がハーグの被告人席に入るのは嫌だと言う人たちがいました。これは2014年から聞いていることですが・・・」と、NGOの「ウクライナ法律顧問グループ」のナディア・ボルコヴァ氏は、『ル・モンド』にコメントした。
ウクライナには、2014年のクリミア併合・ドンバス紛争の時から、ずっと戦争犯罪を記録してきたNGOの数々がある。
彼らは2022年に戦争が始まると「5AM連合」を結成した。「5AM(午前5時)」とは、2022年2月24日、首都キーウに最初の空襲があった午前5時にちなんでつけられた。前述の「ウクライナ法律顧問グループ」は、この連合の一員である。
2022年に本格的に戦争を始まったのを機に、ウクライナは大きく変わろうとしていた。
参考記事:プーチン大統領を裁くには。新しい特別法廷の設置と、ヨー ロッパ市民、国際刑事裁判所の闘い【後編】
何より、EUが強硬な姿勢を強めてきたのだ。EUでは、全加盟国がローマ規程を批准している。加盟国候補の西バルカンの国々も加盟しているし、およそ「欧州」と呼ばれる所の国々は、全部入っている。入っていないのは、トルコ、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアくらいのものだ。
ウクライナ大統領府のイリーナ・ムドラ副長官は、同国のサイト『ヨーロピアン・プラウダ』に16日に掲載された論説で、次のように主張した。
「ローマ規程の批准は、欧州統合への我々のコミットメントを示す強力なシグナルとなるだろう」。国際刑事裁判所に加盟することで、「ウクライナはロシア人犯罪者を処罰する機会が増え、外交舞台での立場が強化され、(…)ロシアは国際的に孤立することになる」。
さらに、欧州安全保障協力機構(OSCE)や、国連の人権高等弁務官事務所や難民高等弁務官事務所なども協力してきた。
7年間の「殺害許可証」?
ウクライナがようやく加盟することにしたのは、EUや同裁判所からのプレッシャーの他にも、重要な一つの決定があった。
それはローマ規程の「第124条」を発動するというものだ。
この条項は、実に謎で奇っ怪な内容だ。平たく言うなら、ウクライナが加盟したら、ウクライナの領土内や、ウクライナ人(民間人・軍人を問わない)によって犯された戦争犯罪は、加盟から7年間は国際刑事裁判所によって訴追されずに免除されるという条項だ。
これは加盟時にしか使えない条項である。
1998年7月、ローマ規程を採択して同裁判所を設立しようという時に入れ込まれた条項である。
当時、人権団体やNGO、個人からも批判された。アムネスティ・インターナショナルは「(7年間の)殺害許可証」と呼んで非難した。
なぜこんな条項が入ったのかというと、フランスが、対外平和維持活動に関連して、訴追される可能性を恐れたために提案したのだ。もちろん、紆余曲折を経て他の国々よって承認されたので存在する。
それだけ新たに設立されようとしている国際刑事裁判所の存在は恐ろしく、不信感をもたれていたのだ。
こう書くとフランスに批判が集まりそうだが、条件を付けてでも加盟しただけで先駆的だと言えるだろう。今でも核保有国で国連常任理事国のアメリカ、ロシア、中国は同裁判所に加盟していない。
この条項を使ったのは、今までフランスとコロンビアだけである。
実際、フランスに関しては、訴追されるような事は何も起きなかった。内戦中のコロンビアに関しては、犯された犯罪は、同裁判所と協力のもと、コロンビアの国内裁判所が機能するから大丈夫となった。
(同裁判所は、国内裁判所を補完する役割のものだと定義されている)。
そのため、この124条については、疑心暗鬼になって加盟をためらう国が加盟しやすいようにする効果がある、という評価もある。実際、ウクライナは124条を使って加盟しようとしている。
しかし、フランスのケースは、軍が外国に展開していたものの、平和維持活動だった。コロンビアの場合は、対外要素が複雑にからんでいたものの、内戦だった。
ウクライナとロシアは国家間の戦争である。一体どうなるのだろうか。
「124条の発動は、ほとんど(あるいは全く)影響がない」という評価がある。理由はいくつかある。
・プーチン大統領等への子供誘拐の罪に対する逮捕状は、既に出されているので、全く影響なし。
・124条があっても、別の規程で「人道に対する罪」と「ジェノサイド」は訴追できるから問題ない。実際に124条の免責7年間が適用されるのは「戦争犯罪」だけである。
(その「戦争犯罪」すら、広く解釈することで「人道に対する罪」になるものが多いので、訴追可能になりうるという)。
・ウクライナの裁判所が機能するから、国内裁判所で裁けば良い。
――ということのようだが・・・。
どうもよくわからない。
ウクライナ領土における「免責」は、国籍は関係ない。ウクライナ人がロシア兵に対して犯した罪も、ロシア人(や他国の人)がウクライナ人に対して犯した罪にも適用される。
ウクライナ人から見れば、敵が自国領土で戦争犯罪を犯しても、国際刑事裁判所では裁かれないことになる(国内裁判所で裁けばいいのだが)。
ここは理解できるとして、ウクライナ軍が占領したロシア領内はどうなるのだろう。
8月6日以降、ウ軍はロシア西部クルスク州に大規模な越境攻撃を続けている。これまでに1150平方キロメートルにわたる地域を掌握したと主張している。
もしウクライナ兵が占領したロシア領内で戦争犯罪を犯しても、免責されて同裁判所は訴追しないし、ロシアはローマ規程を批准していないので、どうすることもできない――となるのだろうか。
ロシアが領土を奪還してウクライナ兵を捕らえれば、ロシアの裁判所で裁くのだろうが、そうでなければどうなるのか。
国際法を無視し、他国を侵略し、国際法秩序に参加しないで、好き勝手にやっているほうが悪い、とは思うが・・・。独裁的な政治家のせいで不利な立場に立たされる一般兵士はたまったものではない。生まれる国は選べないのに。
ところで、124条が発動されるのは、いつになるのだろうか。
ローマ規程を批准する法案がウクライナ議会で承認されたら、その批准文書がニューヨークの国連に提出されて、3ヶ月後から適用されるという。
ということは、7年間の免責が適用され始めるのは、来年の初めくらいからだろうか。アメリカでは新大統領が誕生している頃になる。
これは何か意味するところがあるのだろうか。
どのくらい抑止の効果はあるのか
ウクライナは裁判所の一員となると、年間約2億ユーロの予算を拠出しなくてはならない。
検察官と裁判官の選挙に参加し、候補者を推薦することができるようになる。また、同裁判所が実施するすべての調査に協力する義務もある。
加盟する前の今でも、ウクライナは同裁判所の検察当局と日常的に協力しており、この協力は強化されるのだという。
デニス・マリウスカ法務大臣は、国会議員に宛てた書簡の中で、「ローマ規程を批准することで、ウクライナは法の支配へのコミットメントを示す」と断言した。
交戦相手国が無法ぶりを示しているのなら、例えば兵士を拷問したり、民間人を殺し女性を強姦したりするのなら、こちら側も敵に同等のことを行いたい、いや、それ以上のことをして復讐したいと思うのは、人間の自然な感情だ。しかし、法の支配を守るのなら、それはしてはいけないのだ。
さらにマリウスカ法務大臣は、同裁判所への加盟を「国際平和と安全を支持する、強力な外交政策の表明」とみなしていて、加盟が犯罪加害者を「抑止」することを期待していると述べている。
124条を発動しているのに、いったいどこまで抑止ができるのか。124条は国家同士の戦争に使われた前例がないので、ほとんど実験場になるだろう。
それでも、オランダ・ハーグに送られて、国際刑事裁判所で裁かれると思えば、非民主的な政治家たちには抑止になるかもしれない。「人道に対する罪」と、とりわけ個人による命令があってなされると定義される「ジェノサイド(大量虐殺)」に対しては、効果があることを期待したい。
また、汚職の蔓延など、ウクライナは旧東側世界であり、ソ連ロシアの風土に近いと思わせることが多いが、これを機に西側の民主主義に近づけることになるのだと思う。
日本はといえば、同裁判所への拠出金が最も多い国である。そして、世界初の地域事務所を日本に設立する案があるという。
日本人の刑事司法官を増やすとともに、まだまだ少ないアジアの締約国を増やすために、日本にはリーダーの地位が期待されている。
日本をとりまく安全保障環境が厳しいなかで、私達はどう世界の期待に応えていけばいいのか。危機をチャンスに国際司法への関心が高まって、発展していくことを願っている。