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プーチン大統領を裁くには:新しい特別法廷の設置と、ヨーロッパ市民、国際刑事裁判所の闘い【後編】

今井佐緒里欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者
戦士した兵士に敬意を表するキーウの「追憶の壁」。ポーランドのラウ外相とクレバ外相(写真:ロイター/アフロ)

この記事は前編の続きです。【前編はこちらをクリック

「2月24日の侵略初日から、我々は次の問いの答えを探し求めてきました。ウクライナに攻撃を始めた者たちを裁判にかけるには、どうすればよいのかと」。

9月23日、ウクライナ大統領府の副長官で、弁護士でもあるアンドリー・スミルノフ氏は、米『タイム』誌に寄稿をした。

タイトルは「我々は、プーチンとその体制を裁判にかけるための、特別法廷が必要だ」である。

彼は述べている。

「戦争犯罪を犯したロシア人兵士とその指揮官は責任を問われるでしょう。しかし、1つの疑問が未解決のままです。侵略の罪を犯したロシア政府関係者は、刑事責任を問われるべきではないでしょうか」。

ロシア政府関係者とは、ウクライナへの軍事侵攻を公けに支持したプーチン大統領と、ロシア国家安全保障会議のメンバーのことである。

「侵略という犯罪は、よく『すべての犯罪の母』と呼ばれます。他のすべての国際犯罪を吸収する、最高位の国際犯罪なのです」

「過去半年以上にわたって、ウクライナ政府と国際機関は、ロシアのウクライナに対する戦争に関連する数万件の刑事訴訟を登録し、調査しています」

それにもかかわらず、「その中には、同盟国での何百もの刑事訴訟も含まれていますが、侵略の犯罪に関する訴訟は一つもありません。それこそが他の戦争犯罪の幹となる根本的な犯罪なのに」。

だからこそ「我々は、国際特別法廷の創設を求める」のだと。誰も侵略の責任を問われないで良いのか。国際法の教義が機能しなくて良いのか。

ロシア派が支配する都市ドネツクで、砲撃され破損した建物で犠牲者になった市民。3月1日
ロシア派が支配する都市ドネツクで、砲撃され破損した建物で犠牲者になった市民。3月1日写真:ロイター/アフロ

スミルノフ氏は「これは全世界に対する問いである」という。

ある日突然、権力に狂った独裁者が、どこかの国に対して新たな領土主張を宣言したなら、どうするのか。多くの女性や子どもを含む何万人もの罪のない人々の死を受け入れる覚悟があるのか、我々は準備ができているのかーーと問うている。

「侵略という犯罪」の難しさ

なぜ、「侵略の犯罪」に関する訴訟は一つもないのだろうか。

前編で、国連の司法機関と言える「国際司法裁判所(ICJ)」については解説した。

ウクライナは、まず最初に「国際司法裁判所」に訴えた直後、フランス・ストラスブールにある「欧州人権裁判所」に提訴した。ロシアを含む欧州の48カ国が加盟していた。欧州評議会の組織で、日本もオブザーバー国となっている。

ここは、戦争犯罪を裁くものではなく、欧州人権条約の遵守を図ることを目的とした裁判所である。キーウは「大規模な人権侵害があった」としたのだ。

しかし、ロシアは3月16日、「この国際機関を反ロシア政策の道具に変え、平等な対話という原則を放棄した」と主張して、脱退してしまった。

欧州人権裁判所の大法廷にいる露の反体制指導者アレクセイ・ナヴァルニー。写真は2018年で露に対する訴訟のため。彼が守られていたのはこの裁判所&欧州評議会の存在が大きかった。当時露はまだ加盟国だった。
欧州人権裁判所の大法廷にいる露の反体制指導者アレクセイ・ナヴァルニー。写真は2018年で露に対する訴訟のため。彼が守られていたのはこの裁判所&欧州評議会の存在が大きかった。当時露はまだ加盟国だった。写真:ロイター/アフロ

そしてウクライナは、もう一つの世界規模の司法機関、「国際刑事裁判所(ICC)」に働きかけた。

この組織は、国連とはつながってはいるものの、独立した機関である。2003年にオランダ・ハーグに設立された。

カリム・カーン主任検察官は、3月2日から調査を開始している。紛争の発端となった、最初のマイダン・デモが行われた2013年11月21日にさかのぼって、そこからロシア軍とウクライナ軍が行った戦争犯罪に関する調査をしている。

ところが、この裁判所では、「侵略という犯罪」を裁くのが難しいのだ。

そもそもウクライナもロシアも、国際刑事裁判所(以下、国際刑裁)の設立について定めた「ローマ規程」を締結していない。メンバーではないのだ。

それでもこの戦争で、ウクライナは国際刑裁の司法権限を認めたので、裁判所はロシアを以下の2,3,4の罪では訴追できる。しかし、1の「侵略犯罪」についてだけは、できないのである。

<国際刑裁では、4つの犯罪を念頭に設立された>

1,侵略という犯罪

2,戦争犯罪

例えば、故意の殺害・拷問、捕虜の非人道的な扱い、民間人に対する攻撃の指示、軍事目標以外の物の攻撃、毒ガス使用など、多岐に渡る具体的な内容のこと。

(広い意味で、戦争に関わるすべての罪を「戦争犯罪」と呼ぶことがあるが、ここでは狭い方の意味である)。

3,人道に対する罪

一般人に対する殺人・絶滅・奴隷的虐使・追放その他の非人道的行為、または政治的・人種的・宗教的理由に基づく迫害行為などのこと。

4,ジェノサイド(大量虐殺、集団虐殺)

これが他の3つと異なるのは、意図を明白に証明しなくてはいけないことである。調査官が、誰かが出した人間集団を破壊する命令を見つけなくてはいけない。意図があって虐殺が行われるということである。

国際刑裁では、1の侵略犯罪は、他の3つの罪よりも、司法の追及が及ぶ範囲が極めて狭く定義されている。いくつかの大国の横やりのためだ(それに追随した国も多かった)。

1の侵略犯罪だけは、ウクライナの同意だけでは、非締約国のロシアを訴追するには不十分なのである。

それでも、国連の安全保障理事会が、国際刑裁に裁判を委ねれば、例外として認められる。しかし、ロシアは常任理事国で、拒否権をもっている。認めるわけがないのが実情だ。

【前編】で書いたように、「侵略犯罪」は、徹底した調査が必要なほかの3つに比べれば、証明は比較的容易である。そして、国家元首、つまりプーチン大統領に最もつながりやすい罪である。

それなのに、いやだからこそ、歴史を振り返ると、侵略犯罪を打ち立てるのには、国家や指導者たちによる反対が絶えなかった。

正当な理にかなった戦争は、政治的決断である、そしてその政治的決断は、国家主権に属するのだということだ。

民主主義国家の国内でも、司法が完全に政治から独立するのは難しく、課題が多い。ましてや世界規模では、司法の独立は、少しずつ進歩しているものの、実現は遠い将来のことのようだ。

この障害を克服するために戦ったのは、国家・国籍の枠を超えた人間として正義を求め、平和を望んだ市民たちだった。彼らの努力が「国際刑事裁判所」の設立に結びついたのだがーー。

重要な二つの特別法廷。旧ユーゴスラビアとルワンダ

ここで歴史を紐解いてみたい。そうすることで、現状が理解できるからだ。

(冷戦前までのことは、前編を参照してください)。

国際刑事裁判所はどのように設立されたのだろうか。

国際的な刑事司法の発展は、冷戦中の1960年代から1980年代にかけて、少しずつ歩を進めていたものの、全体としては停滞していた。

東西の政治対立等を背景に、国連の国際司法裁判所への紛争付託件数は伸び悩んだ。

転機が訪れたのは、冷戦終了後の1990年代である。

二つの大きな出来事が、大転機となった。

バルカンの紛争と、ルワンダの内戦、そして双方で起きたジェノサイドである。

どちらにも特別法廷が設置されたが、驚くべきことに、これらは国連の安全保障理事会で設立が決められたのだ。拒否権を発動する国がなかったのだ。

つまり、この二つの特別法廷は、国連に属する司法機関だったといえる

安保理が決定する強制措置ならば、国連憲章第25条によって、すべての国連加盟国に拘束力が生じるものだ。

まず、バルカンの紛争である。

欧州にとって、第二次大戦以来の大惨事と言われた。

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は、第二次大戦後から1992年まで存在した国。オレンジ部分。後に分裂して複数の独立国がうまれる(この地図にはコソボは入っていない)。Wikipedia・Esemono作
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は、第二次大戦後から1992年まで存在した国。オレンジ部分。後に分裂して複数の独立国がうまれる(この地図にはコソボは入っていない)。Wikipedia・Esemono作

もともとバルカン半島は、第一次世界大戦の勃発の引き金となった場所だった。「民族の火薬庫」と言われるほどモザイク状なのは、この地域が山岳地帯なのが大きな理由だろう。

冷戦が終了し、1992年にユーゴスラビア社会主義連邦共和国は解体した。「7つの国境、6つの共和国、5つの主要民族、4つの言語、3つの宗教、二つの文字、一つの国(一人の指導者・チトー)」と言われた連邦国家だった。

解体後は紛争が起きて、各民族間の憎悪が増幅してしまった。

1993年に旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所が設立、1995年11月に最初の審理が始まった。

しかし同じ年の7月にはスレブレニツァの虐殺が起きてしまっていた。犠牲者はボスニア人男性(イスラム教徒)で8000人以上。現地に、オランダ部隊の平和維持軍(PKO)が展開していたにもかかわらずである。

2003年年3月、スレブレニツァの虐殺で犠牲になった8000人のイスラム教徒の親族が、掘ったばかりの墓の横に並ぶ棺の間を歩き、親族のものを探している。確認された最初の犠牲者600人の埋葬。
2003年年3月、スレブレニツァの虐殺で犠牲になった8000人のイスラム教徒の親族が、掘ったばかりの墓の横に並ぶ棺の間を歩き、親族のものを探している。確認された最初の犠牲者600人の埋葬。写真:ロイター/アフロ

棺にすがって泣く女性。2004年、確認された犠牲者338人を遺体安置所から墓地へ移し埋葬式が行われる。
棺にすがって泣く女性。2004年、確認された犠牲者338人を遺体安置所から墓地へ移し埋葬式が行われる。写真:ロイター/アフロ

このことは、特に欧州の人には、大変大きな衝撃をもたらした。

(ちなみに、この紛争で初めて使われた「民族浄化」という言葉は、アメリカの広告代理店が考え出したものだという。『戦争広告代理店』高木徹著を参照)。

セルビアのミロシェビッチ大統領の起訴は、コソボでの戦争によって後に可能になった。彼は「10年にわたる戦争の中心的な立役者」として、「人道に対する罪」で裁かれる最初の国家元首となるが、長引く裁判の間に、判決を待つことなく独房で死亡した。

ミロシェビッチ元大統領。2002年2月13日、ハーグの旧ユーゴスラビア国際刑事裁判における裁判の2日目。
ミロシェビッチ元大統領。2002年2月13日、ハーグの旧ユーゴスラビア国際刑事裁判における裁判の2日目。写真:ロイター/アフロ

そしてもう一つは、1994年のルワンダ大虐殺である。

当地には多数派のフツと少数派のツチがいたが、ベルギー植民地時代に宗主国等が少数派のツチを指導層にすることで、対立が煽られた。

その後はフツが支配層となったが対立が続き、90年以降は激しい内戦となった。

94年4月、フツのハビャリマナ大統領らが乗った飛行機が、ミサイル攻撃により撃墜されて死亡した。この暗殺がツチのせいとされ、ツチと穏健派のフツが約80万人も大虐殺された。

当時、国連の平和維持軍・維持活動(PKO)が展開していたにもかかわらず、権限が与えられず人数も足りず、ただ傍観するしかなかった。

フランスの国立視聴覚研究所のアーカイブビデオ(1分43秒)。衝撃的な映像なので視聴注意。

この問題を収拾するためにフランス兵が派遣されたが、彼らは「下水処理隊」と呼ばれ、心の病に侵されたものが続出した。血がとれないと、一日中シャワーを浴びている者もいたという。

こうして、1994年にルワンダ国際刑事裁判所が、タンザニアのアルーシャで設立された。

ジャン・カンバンダ元首相は、大統領と首相が殺された後、暫定政府で首相に就任。大量虐殺の100日間首相だったが、国外に逃亡した。

政府首脳の中で唯一ジェノサイドの罪を認めた。彼の証言によって、ツチに対するジェノサイドは偶発的なものではなく、閣議で公然と議論されていたことが判明した。

ジェノサイドの罪により終身刑を言い渡された。マリのクリコロ刑務所で服役中である。

1998年5月1日、被告席に座るルワンダのジャン・カンバンダ元首相。ルワンダ国際刑事裁判所法廷にて。
1998年5月1日、被告席に座るルワンダのジャン・カンバンダ元首相。ルワンダ国際刑事裁判所法廷にて。写真:ロイター/アフロ

ルワンダで働いたロメオ・ダレール国連PKO司令官(カナダ人)は、ずっと心の病に苦しめられたが、約10年後にルワンダ大学を訪れた。

そして当時PKO部隊の長として何もできなかったことを学生たちに謝罪。「当時、欧米先進国は、ユーゴスラビアしか見ていなかった」と、虐殺を防ぐことはできたはずなのではという無念を吐露した。

(このロメオ・ダレールのルワンダ再訪の旅を描いた映画が、一部YouTubeで見られます。サンダンス映画祭の受賞作。名作です)。

二つの法廷の経緯や数々の批判や非難、そして難しさは、ここでは詳細を書かない。どちらも本が必要になる、長く複雑な話である。

しかし、あまりにも長い裁判だったことは書いておく。有罪判決の軽さ、無罪判決の意外さ、犯人の逃亡、国や組織の駆け引きや介入・・・そして、多くの努力があったにもかかわらず国連やPKOが無力だと批判されたことや、犯罪の立証や裁判そのものが大変難しかったことも記しておく。

それでも、この二つの法廷の設立は、「国際法廷」という、ニュルンベルク・東京裁判以降停滞していた、古い問題を浮上させたのだった。

様々な議論や批判はあったが、勝者が裁いたニュルンベルク・東京裁判と異なり、この二つの特別法廷、つまり臨時法廷は、ともかくも国際社会によって設置が決められ、個人が裁かれる機能をもったのだ。

このことが、新たな国際刑事裁判所の創設への道を開いてゆく。

個人を裁ける国際刑事裁判所の誕生

新しい常設の裁判所を設立するにあたって、問題の核心はシンプル、かつ極めて重大だった。

ある行為が、国際犯罪に当たることに同意があるとする。その際に「個人を起訴できるか」である。個人が国際法廷でその責任を問われるという原則を受け入れるか否かーーという問いである。

個人を起訴できないというのは、第二次大戦後に誕生した「国際司法裁判所(ICJ)」の大きな欠点の一つであった。国家元首や要人は、外交的特権に守られていたし、そもそも刑事裁判所ではないのだ

ただし、他国の個人を起訴できるということは、自分の国の個人も起訴されるのが可能だということだ。将軍や大佐から一般兵までの軍人、公務員、政治家、大臣から国家元首までもである。

国家主権や、国の政治決断の観点で見るなら、このようなことが許容されるはずがない。当然国連の安保理で大国は、新しい国際裁判所の設立に賛成しなかったのだ。

だからこそ一層、人々は国際的な新しい常設裁判所を必要とした。

世界各地から集まった1000近いNGOが連合体を結成して、国連本部のあるニューヨークで激しいロビー活動を展開した。裁判所を改革するよう要求したのだ。

権力者に対する裁きは、他国の権力者によって犠牲になった国の人々の願いだけでははない。戦争に反対する自国民をつぶそうとする自国の権力者たちに対する、市民としての闘いであり願いでもある。昔からそうだった。

これは「国家 対 国籍を超えた市民であり人間」という対立なのだ。

この考えは、それほど理解が難しいものだろうか。

日本でも、多くの人が「プーチン大統領のせいで、ロシア人兵士も気の毒に」と思っているのではないか。

それは「ロシア人だって、私たちと同じように平和な暮らしを望んでいるに違いない」、「母国が攻められてきたわけでもないのに、好き好んで、人を殺しに遠い所に行きたくはないに違いない」という、国籍や国境を超えた、人間として等しい思いを抱いているからではないだろうか。

ウクライナ軍に奪還された後、ハリコフ地方のマラ・ロハン村の集団墓地で見つかったロシア兵の遺体を集めるボランティアたち。5月19日。
ウクライナ軍に奪還された後、ハリコフ地方のマラ・ロハン村の集団墓地で見つかったロシア兵の遺体を集めるボランティアたち。5月19日。写真:ロイター/アフロ

だからこそ、ロシア国民に責任はないわけではないが、プーチン大統領という個人を、独裁的な国家元首を責めたいのではないか。

ただ残念なことに日本人は、同じ思いをもつ世界の人々とつながる、国境を超えた連帯が苦手であるが・・・。

激しいロビー活動を主導したのは、欧米先進国の市民や団体である。

同じ思いは、アフリカの人々からも発せられた。ルワンダの大きなトラウマの後、権力者の政治的・軍事的な力に絶望したアフリカの人々は、最後の手段として司法に目を向けるようになったのだ。

1998年6月15日、ローマで国際刑事裁判所の設立のための会議が始まった。

アナン国連事務総長は会議の冒頭で、世界は大量虐殺の犠牲者数百万人に、悪に対する防波堤を構築する義務があると宣言した。

156カ国の代表団が、最も恐ろしい犯罪の加害者を裁く世界法廷という50年来の夢の実現に向けて政治交渉を始めるなか、アナン総長は、国際社会にはそれを実現する道徳的義務があると述べた。

98年6月15日、ローマで開かれた国際刑事裁判所(ICC)設立のための会議の全体像。
98年6月15日、ローマで開かれた国際刑事裁判所(ICC)設立のための会議の全体像。写真:ロイター/アフロ

同日、会議に出席するアナン国連事務総長
同日、会議に出席するアナン国連事務総長写真:ロイター/アフロ

こうして同年7月17日、ローマ会議において、ローマ規程が120カ国によって採択され、立ち上がって拍手喝采で迎えられた。

これは、長く非常に困難な交渉の結果であった。

人々の、国を超えた人間としての願いが、正義を追求する心が、120カ国の国内政治を動かしたのだ。「外交の奇跡」と呼ばれた。

国の枠組みを超えた大きな運動に参加している人々は、裁判所に関する国連のすべての会議に、オブザーバーとして参加することが認められた。そして秘密外交にありがちな偽善を排除する。そして市民団体は、かつてないほどの足場を築いていくのだった。

こうして2003年3月11日、国際刑事裁判所はハーグに設立された。国連からは独立した組織である。

現在、123カ国が締約国である。そのうち33カ国がアフリカ諸国、25カ国が西欧諸国およびその他の諸国、18カ国が東欧諸国、28カ国がラテンアメリカ・カリブ海諸国、19カ国がアジア太平洋諸国(少ない)である。

ただ、日本やEU加盟国は批准しているが、多くの大国は不参加である。ロシア、中国、インド等は批准していない。アメリカも同様だ。

アメリカは、クリントン大統領(民主党)がギリギリで署名したが、次のブッシュ大統領(共和党)が撤回、その後は、民主党の大統領では態度が和らぐ傾向はあるが、署名すらしていない。

それどころか、トランプ大統領(共和党)は、アフガニスタンでのアメリカ軍兵士による虐待行為を調べていた同裁判所に反発し、検察官たちに制裁を科したことすらある。

フィリピンのドゥテルテ政権は、強引な薬物取り締まりの手法に同裁判所の捜査が及ぶと、ローマ規程から脱退してしまった。

また、設立当初、侵略犯罪についてだけは、その定義と管轄権の行使の条件を定める規定が採択されないと、国際刑裁が管轄権を行使できないとされてしまった。

ようやく合意が得られたのは、ウガンダの首都カンパラで開かれた2010年の会議のことで、「カンパラ合意」と呼ばれている。大きな前進であった。ただこの合意は、現在約40の国しか批准していない。

このように、侵略犯罪に関しては、権限は狭いのである。

侵略犯罪以外で、プーチン大統領を裁けるか

それでも現在、国際刑裁はウクライナで正義を追求するために、懸命の努力をしている。

焦点は主に「2,戦争犯罪」と「3,人道に対する罪」である。

大きな貢献をしているのは、「ユーロジャスト(Eurojust)」というEUの機関である。EU加盟国間で司法・検察協力をする、世界で初めての国際的常設ネットワークだ。

ユーロジャストのビルの全景。ゆったり一車線くらいの道を挟んで、真向かいに並んで中国大使館と北朝鮮大使館がある。建物が国際刑裁に似ているが、距離は約2キロ離れている。
ユーロジャストのビルの全景。ゆったり一車線くらいの道を挟んで、真向かいに並んで中国大使館と北朝鮮大使館がある。建物が国際刑裁に似ているが、距離は約2キロ離れている。写真:ロイター/アフロ

ユーロジャストの中に合同捜査チームを立ち上げた国々がある。現在、リトアニア、ポーランド、エストニア、ラトビア、スロバキア、ルーマニア、そしてウクライナからなるこの欧州チームに国際刑裁は参加し、共有のエビデンスにアクセスすることができるようになる。

また、すでに欧州の少なくとも14の検察庁が、捜査開始を発表している。

ウクライナはEU加盟国ではないが、第三国での戦争犯罪を裁くことができる「普遍的管轄権」に基づいている。

(人間は生まれながらにして法のもとに平等でなくてはならない、だから人権は国や民族・国籍を問わず普遍的であり、犯罪の罰も普遍的であるべきで、国境が妨げになるべきではない、という思想に基づく)。

国際刑裁の主任検察官であるカリム・カーン氏は、10月13日、ユーロジャストでの記者会見で、ウクライナはロシアの戦争犯罪容疑者を国際刑事裁判所に引き渡すことができると述べた。

カリム・カーン検事。中央アフリカの武力紛争に関してマハマット・サイード・アブデル・カニの公判に備える。
カリム・カーン検事。中央アフリカの武力紛争に関してマハマット・サイード・アブデル・カニの公判に備える。写真:代表撮影/ロイター/アフロ

一方で、国際刑裁がいつ最初の告発を行うかについては言及せず、「証拠が十分に揃うまで待ちたい」、「我々は前進しており集中しているが、適切な時期に発表するつもりだ」と述べた。

基本的には、ウクライナ国内での裁判が優先され、国際刑裁は最後の手段としてのみ利用される(世界の案件のすべてを行えるほどの司法関係者の数もいない)。そして、高官の起訴など、ウクライナの手の届かない事件を扱うはずである。

この記者会見の時点で、ウクライナのアンドレイ・コスチン検事総長によると、ウクライナは侵略されて後、186人を起訴、45人について裁判を起こし、10人を有罪にした。ほとんどが欠席裁判である。

彼は「ウクライナ人は犯罪を許さないだろうから、正義はウクライナ社会全体の要求である」と9月のヤルタ欧州戦略会議において述べていた。

それでは、国際刑裁は、「1,侵略の罪」では無理でも、「2,戦争犯罪」と「3,人道に対する罪」で、プーチン大統領や側近を起訴することはできるのだろうか。

規程上は可能である。しかし、軍隊には様々な階級の多数の指揮官がおり、国家元首にまでさかのぼるには、指揮系統の解明が必要になる。違法な攻撃を直接プーチン大統領が命令した、戦争犯罪が行われていると知りながら阻止しなかったといった証拠が必要になってくる。

国際刑裁は設立以来、30件を超える事例を扱ってきた。しかし、戦争犯罪・人道に対する罪・ジェノサイドで有罪とした武装勢力指導者などは5人、無罪としたのは4人である。逃亡中の者も数人いる。

「部隊や大隊の指揮官を超えることはないだろうと、私は感じています。せいぜい将軍でしょう。私が間違っていることを祈るとしても、ロシア政府まで調査が及ぶことはないと思います」と、ウクライナで国際人道法担当特別大使に就任したアントン・コリネヴィッチ氏は嘆いている。

「2,戦争犯罪」と「3,人道に対する罪」でも、プーチン大統領の訴追が難しいことが、キーウが侵略の罪に関する特別法廷の設置を求める理由の1つである。

コリネヴィッチ氏(右)は、国際法の専門家で、今年5月まで3年間クリミア自治共和国大統領をつとめていた。左はウクライナ外務省のオクサナ・ゾロタリョワ氏。
コリネヴィッチ氏(右)は、国際法の専門家で、今年5月まで3年間クリミア自治共和国大統領をつとめていた。左はウクライナ外務省のオクサナ・ゾロタリョワ氏。写真:ロイター/アフロ

ジェノサイドの主張

付け加えるなら、ウクライナがジェノサイドを主張するのは、このためもあるではないかという印象を、筆者はもっている。

国際刑裁が着手している範囲(2,3)では、プーチン大統領に届くのは難しい。侵略という犯罪(1)で裁くには、新しい法廷をつくらなければならず、ハードルが高い。となると、残りはジェノサイド(4)になるからだ。

ウクライナのクレバ外相は、7月22日、ドイツの『シュピーゲル』誌に署名入りで、「ウクライナにおけるロシアの作戦を『ジェノサイド(大量虐殺)』と呼ぶべき時が来た」と題する論説を発表した。

英仏語の報道を見ていると、大方の専門家は否定はできないと認めているが、ジェノサイドと積極的に認めているのはかなり少数派のようだ。

もちろんウクライナは、自国民が大勢殺された憤りと悲しみを、世界に向けて声を大にして叫んで訴えているのだ。

冷静に今後を見据えた場合、ジェノサイドだとの叫びは、抑止につながるだろうか。その可能性はある。人々の注目を集めるし、ロシアは反論に忙しくなる。

『ル・モンド』は、アルベール・カミュの有名な言葉によれば、「物事に悪い名前をつけることは、世界の不幸を増やすこと」であると引用した。

また、フィリップ・サンズ氏は、ラファエル・レムキン氏の造った言葉「ジェノサイド」について「ある種の魔力がある」と語ったと報じ、恐怖を呼び起こす、犯罪中の犯罪である、と描いている。

世界中の誰もが「ジェノサイド」と認めるような事態ではないほうが、そして今後もそんな事態が起きないほうが、ウクライナにとっては良いはずだ。それなのに、ある種の魔力を感じさせる言葉「ジェノサイド」を何度も叫び、「ジェノサイドと認めろ」と大声で訴えずにはいられない、この不条理をどうすればよいのだろうか。

ラファエル・レムキン教授。Wikipediaより(著作権者不詳)。
ラファエル・レムキン教授。Wikipediaより(著作権者不詳)。

「ジェノサイド」という言葉の生みの親であるラファエル・レムキンは、1900年ロシア帝国グロドノ県(現ベラルーシ)にポーランド系ユダヤ人の家庭に生まれた。

ワルシャワで地方検事補、弁護士として働いたが、大戦でポーランドは独立を失う。西のドイツ軍と東のソビエト軍に挟まれた中、スウェーデンに逃れ、米国に移住。

1944年、カーネギー国際平和基金によって『占領下のヨーロッパにおける枢軸国統治 Axis Rule in Occupied Europe』を発表。レムキン氏の国際法違反としてのジェノサイドという考えは国際社会に広く受け入れられ、ニュルンベルク裁判の法的根拠の一つとなった。

米国最高裁判所判事で、ニュルンベルク裁判の主任検事ロバート・H・ジャクソンの顧問として働いた。さらに、戦後のジェノサイド条約の制定に貢献した。

1953年、「ウクライナにおけるソ連のジェノサイド」という記事を、ニューヨーク市で演説して発表。ホロモドールに対してジェノサイドという言葉を用いた。貧困のうちに亡くなった。享年59歳。

変わりゆくウクライナ

様々な組織と連帯するウクライナだが、以前からこのようにウクライナ政府が協力的だったわけではない。

繰り返すが、ウクライナは国際刑裁に、今でも加盟していない。

ドンバス紛争が始まったのは2014年のことで、8年前のことだ。それでもウクライナは、国際刑裁に加盟しなかったので、ハーグの検察官たちや、ウクライナの活動家たちをイライラさせていた。

国際刑裁の調査がドンバスに入らなかったことは、キーウを失望させたが、ウクライナ側にも責任はあった。

「我々ウクライナの当局者の中には、戦時中ならなおさら、兵士や将校がハーグの被告人席に入るのは嫌だと言う人たちがいました。これは2014年から聞いていることですが・・・」と、NGOの「ウクライナ法律顧問グループ」のナディア・ボルコヴァ氏はコメントする。

しかし、今は違う。戦争を機に、ウクライナは大きく変わろうとしている。

このNGOは、2014年から戦争犯罪を記録してきたウクライナのNGOで構成される「5AM連合」(2月24日にキーウに最初の空襲があった午前5時にちなんで)の一員として、調査をさらに進めている。

他にも、欧州安全保障協力機構(OSCE)などの地域機構、人権高等弁務官事務所や難民高等弁務官事務所などの国連機関もある。

法律事務所も法廷闘争に参加している。2015年以降、ウクライナ検察庁は、判事への研修に、英国人弁護士ウェイン・ジョルダッシュの財団「グローバル・ライツ・コンプライアンス」を利用している。

今年からは捜査官、専門家、法医学者、判事からなる「機動司法チーム」が犯罪現場に介入している。

また、援護について特筆すべきは、EUの欧州議会である。

5月19日に採択された決議において、欧州議会はEUに対し、ロシアおよびベラルーシの政権を戦争犯罪、人道に対する罪、大量虐殺、侵略の罪で訴追することを支援するため、国際法廷とその手続きにおいて、必要なあらゆる措置をとるよう要請した。

さらに、これらの調査とその後の訴追は、戦争犯罪に関与したすべてのロシア軍メンバーおよび政府高官にも適用されるべきだとした。

しかも、侵略の罪を処罰し、ロシアの政治指導者や軍司令官とその同盟国の責任を追及するための特別国際法廷の創設を支持するよう、EUに要請しているのだ。

そして9月21日、ゼレンスキー大統領は、国連でビデオ演説を行った

ロシアが占領地域で住民投票を実施すると発表、約30万人の予備兵を招集する部分的動員令を発表したころのことだ。

戦争を終わらせる計画の一部として、ロシアを罰するために特別法廷を設置すべきだと述べた(ロシアの拒否権をなくすべきだとも述べた)。

9月21日、ニューヨークの国連本部の第77回国連総会で演説を行うゼレンスキー大統領。
9月21日、ニューヨークの国連本部の第77回国連総会で演説を行うゼレンスキー大統領。写真:ロイター/アフロ

ゼレンスキー氏のビデオ演説は、国連総会で101対7の賛成多数で、事前に認められたのである。他の指導者たちには否定された特権だ。

演説が終わったあと、世界の指導者たちからスタンディングオベーションを受けた。ロシア代表団は、ナミビアやアラブ首長国連邦などの代表団とともに、着席したままだったという。

さらに10月下旬、オランダ議会の下院は、侵略の罪でロシア指導部を訴追するための特別法廷をハーグに設置する案を、下院の過半数が支持して承認した

民主66党のショーツマ(Sjoerdsma)議員が提出した動議で、RTL Nieuwsの報道によると、「ウクライナで、このひどい戦争を始めたプーチン氏が、戦争が終わったときに逃げ出さないようにすることが非常に重要だ」と述べた。

オランダのSjoerd Sjoerdsma議員。外交官出身の41歳。中道リベラルのDemocrats 66党所属。Wikimedia・Levien Willemse撮影。
オランダのSjoerd Sjoerdsma議員。外交官出身の41歳。中道リベラルのDemocrats 66党所属。Wikimedia・Levien Willemse撮影。

「今、彼を裁ける裁判所は一つもない」。現状では「プーチン氏をここに呼び寄せる可能性はあまりない」が、「もしそのような事態になった場合、我々は準備ができており、実際に彼を裁判にかけることができることを確認しよう」と締めくくった。

クレバ外相は、「ウクライナに対する侵略犯罪のための特別法廷の設立を支持したオランダ下院の全議員に感謝する」とツイートした

そして前編で説明したように、バルト3国は10月下旬、EUの首脳会議で、特別法廷の設置をEUに要求した。

エストニアのカラス首相は、EUが「この方向でのリーダーになりうる」と述べている

エストニアのナルバで、ロシアとの国境を見渡すEUのデア・ライエン欧州委員会委員長とエストニアのカラス首相。10月10日。
エストニアのナルバで、ロシアとの国境を見渡すEUのデア・ライエン欧州委員会委員長とエストニアのカラス首相。10月10日。写真:ロイター/アフロ

特別法廷は実現するのか。各国の反応は

「ニュルンベルク裁判は、たった4つの国によってつくられ、その後多くの国によって支持されました。問題は、政治的な意思、そして一般的な受容性です」

今年、欧州人権裁判所の裁判官になるためにキーウを後にしたミコラ・グナトフスキー氏はこのように語り、フィリップ・サンズ氏のアイディアを歓迎している。

しかし、反論もある。

コペンハーゲン大学のケビン・ジョン・ヘラー教授は、問題は「すべての国が同じルールの下で裁かれるという基本的な考えから後退していることです」と述べる。

「今まさに訴追されるべきおぞましい侵略行為が目の前で繰り広げられているため、この問題に対しては特別法廷を設置するが、過去20年に起こった他の侵略行為に関しては設置しないと言っていることになります」

この意見はかなり後ろ向きに見える。「今までやらなかったのだから、これからも行わない」より、「今新たに始めて、これから改革してゆく」のほうがずっと良いではないか。

一方で彼は、2003年にイラクに侵攻した米英両国が、ロシアのウクライナ侵攻に関する罪を裁く特別法廷を設置すべきではないとも述べる。 

アメリカとイギリスは、ローマ規程の策定の際に、侵略犯罪に関する国際刑裁の司法権限を狭めた張本人であるという。

もし狭められていなかったら、国際刑裁の検察官はロシアの侵略犯罪に関しても捜査が可能で、特別法廷を設置する必要性もなかったのだ、とヘラー氏は話す。

フィリップ・サンズ氏も、イラク戦争に言及している。

「2003年のイラク戦争のせいで、多くの国々がアメリカに関することになると、ダブルスタンダードがあると考えていることから、ヨーロッパ以外の国で侵略の罪に関する法廷を受け入れる国はまずないでしょう」

「これらの国は、西側の偽善、さらには国連刑裁の新植民地主義的性格について語り、このイニシアチブを支持しないでしょう」と分析する。

「だから、侵略の罪に関する法廷を作るのは、ヨーロッパの人々次第なのです。ヨーロッパの話(history)なんですが・・・」。

しかし、各国の反応は鈍い。

国連常任理事国のうち、ロシアと中国は真っ向から反対、アメリカはケースバイケースで支持するだけ。フランスとイギリスは消極的である。

ワシントン、ロンドン、パリは、外国に軍隊を派遣している国なので、危険な前例になると考えていると『ル・モンド』は報じている。

フランスの理論武装は、外交筋によると「現在存在する国際司法において、戦争犯罪と人道に対する罪によって、プーチン大統領にまでさかのぼることができる」、「国際刑裁を弱体化させてはならない」である。

様々な外交筋によれば、国際刑裁のカリム・カーン検察官は、フランスと同じ路線で、侵略に関する特別法廷に反対しているのだという。

特定のケースでこの犯罪を捜査できないとしても、国際刑裁の任務との重複が多いという主張があった。

そして「攻撃的になることに意味があるのだろうか」という、外交の舞台からの指摘がある。ロシアを硬化させるだけという意見である。外交官は交渉して和平を導きたいのだ。

特にこの数日は、ロシアがヘルソン州都を撤退するのが現実味を帯びてきたからだろう、和平交渉にむけての活発な動きのニュースが増えた。

戦争が今後も長く続くようなら、ロシア国内の変化も重要な要素となりうる。

将来、ロシアで政権交代やクーデターなどが起これば、経済制裁の解除と引き換えに「プーチン元大統領」の身柄引き渡しを受けることができるかもしれない。

実際、旧ユーゴスラビア紛争では、長年にわたる国際社会からの圧力などを背景に、セルビア人武装勢力の元指導者が、国際刑事法廷に引き渡されているのだ。

記事冒頭で紹介した、米『タイム』誌に寄稿したウクライナ大統領府の副長官で、弁護士でもあるアンドリー・スミルノフ氏は、以下のように述べている。

「我々は、この法廷がウクライナに設置されるべきではないことを理解しています。世界の指導者たちが有能な裁判官をこの法廷に委ねることを期待しているのです。

ウクライナが生存権を求めて日夜戦っている間に、国際法の教義がついに機能することを強く希望します。さもなければ、この世界はただ絶望的になってしまいます」

この言葉は意義深い。第二次大戦後、ニュルンベルク裁判は、敗戦国ドイツで行われた。東京裁判は、敗戦国日本で行われた。戦勝国によって。

スミルノフ氏は、そのような法廷ではなく、国際社会が、国際法の知識と経験が豊かな裁判官に委ねて、公正に侵略という罪を裁いてほしいと述べているのだ。

「我々の目標は、公正な裁判と法的な報復です。プーチンとロシア連邦のエリート全員が(欠席裁判のために)物理的に刑務所に行かなくても、彼らは死ぬまでロシアとプーチン政権をまだ支持している少数の国に閉じ込められることになるのです」

『タイム』に寄稿したAndrii Smyrnov氏。Wikidataより
『タイム』に寄稿したAndrii Smyrnov氏。Wikidataより

そして、我々日本人はどうするべきか

私達日本人は、彼らの声をどう受け止めるべきだろうか。

2月28日、国際刑裁は、ウクライナの状況について調査を開始する許可を締約国に求める手続きを行った。付託したのは、欧州以外は、西洋のオーストラリア、ニュージーランド、カナダ、中南米のコロンビア、コスタリカ、チリと、日本だけなのである。アジアではたった一国である。

実は、国際刑事裁判所の最大の資金拠出国は日本なのだ。

日本政府は4月、国際刑裁の分担金を前倒しして支払った。林外相は「ロシアの責任は厳しく問われなければならない」と述べ、活動を後押ししていく姿勢を示した。

10月には、国際刑裁のホフマンスキー所長が来日して岸田首相と会談、世界初の地域事務所を日本に設立する案があるという。日本人の刑事司法官を増やすとともに、アジアの締約国を増やすために、日本にリーダーの地位を期待している。

10月20日岸田首相とホフマンスキー所長の会談を報じる国際刑裁のサイト。このトピックはしばらくの間、同サイトトップページのメインニュースの一つとなっていた。
10月20日岸田首相とホフマンスキー所長の会談を報じる国際刑裁のサイト。このトピックはしばらくの間、同サイトトップページのメインニュースの一つとなっていた。

日本人は、その期待に応えられるのか。

国際刑事司法と言うと、一般人にはなじみがなく、東京裁判以降あまり知識が更新されていないという現状。そして中国・ロシア・北朝鮮が隣国で、北朝鮮のミサイルが日本の領空を飛んでいるという厳しい現状にある。

ウクライナの惨状が最も他人事ではない国の一つが日本かもしれない。

そんな中、私達はどうするべきなのだろうか。日本の一国民として、そしてこの世界に生きる一人の市民として、一人の人間として。

明治維新にも負けないほどの日本の国際化が急がれるのではないだろうか。

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※この記事は、一般読者を対象にしています。国際的な司法や刑法にあまりなじみがなく、メディアの登場も少ない日本で、少しでも興味を抱いてくれる人が一人でも増えたらという思いで執筆いたしました。

不備な点があるかと思いますが、国際刑事司法の専門家のご鞭撻を仰げましたら幸いです。

【参考記事(一部)※以下に論文は掲載していません】

◎Le « crime d’agression », objet de débat juridique international / Par Rémy Ourdan, Stéphanie Maupas et Philippe Ricard / Le Monde 04/10/2022

◎Ukraine : le monde face aux crimes d’une guerre / Par Rémy Ourdan, Florence Aubenas, Stéphanie Maupas, Faustine Vincent et Thomas d'Istria / Le Monde 23/09/2022

◎La naissance de la CPI, un miracle diplomatique / Par CLAIRE TREAN / Le Monde 13/04/2002

◎Au Tribunal pénal de La Haye, l’invention d’une justice internationale / Par Rémy Ourdan et Stéphanie Maupas / Le Monde 17/11/2017

◎Les Nations unies doivent voter le projet sur le génocide / Par Le professeur Raphaël LEMKIN / Le Monde 02/10/1946

◎Il y a soixante ans, le procès de Nuremberg / Par Weill Nicolas / Le Monde 26/09/2005

◎プーチン大統領は法廷に立つのか◆どう裁く戦争犯罪、国際刑事法の今【時事ドットコム取材班】フィリップ・オステン教授インタビュー・2022年4月23日

◎情報BOX:プーチン大統領を裁けるか、「戦争犯罪」訴追の壁・Jacqueline Thomsen記者、Mike Scarcella記者・ロイター・2022年4月3日

◎ウクライナ侵攻、プーチン氏を法廷で裁けるか ・The Wall Street Journal日本語・By Niharika Mandhana・2022年5月3日

◎ロシアの"戦争犯罪"を問えるのか~国際刑事裁判所の課題~・鴨志田 郷 解説委員・NHK解説委員室・2022年5月27日

◎Opinion War in Ukraine Putin’s use of military force is a crime of aggression / By Philippe Sands / Financial Times / 28/02/2022

◎Es ist Zeit, Russlands Feldzug als Genozid zu bezeichnen / By Dmytro Kuleba / Spiegel Ausland 22/07/2022

◎We Need a Special Tribunal to Put Putin and His Regime on Trial / By Andrii Smyrnov / TIME 23/09/2022

※完成いたしました。読んでくださってありがとうございます。

欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出会い、平等と自由。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。元大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著「ニッポンの評判 世界17カ国レポート」新潮社、欧州の章編著「世界で広がる脱原発」宝島社、他。Association de Presse France-Japon会員。仏の某省機関の仕事を行う(2015年〜)。出版社の編集者出身。 早稲田大学卒。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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