プーチン大統領を「侵略という犯罪」で裁くには。司法関係者の闘い【前編】 国連は何をしているか
今、世界の司法関係者の間で、いかにプーチン大統領を裁くかの闘いが続いている。
西側の勝利の日を見据えて、正義が実現することを望んでいるのだ。欧米の国際司法関係者は、熱く活気づいている。
闘いは既に、既存の世界規模の裁判所二つ、そして欧州の裁判所で始まっているが、それだけではない。
プーチン大統領と側近を裁くための、新しい法廷をつくる。なぜなら、既存の世界規模の裁判所二つでは、どちらもプーチン大統領という個人を起訴することができないからだ。
ウクライナと各国だけではなく、欧州連合(EU)や欧州評議会などの国際機関でも議論が行われている。欧州で行われている戦争であり、リードするのは欧州だ。
既に新しい特別法廷のための法文書の策定は進み、どこで開かれるかの議論も固まりつつある。
当初は、欧州人権裁判所と並んでフランス・ストラスブールへの設置が考えられていたが、オランダは、真の国際司法の首都であるハーグに、将来の侵略犯罪に関する法廷の暫定事務局を置くことを、キーウと協議し始めている。
ある弁護士による特別法廷の要求
きっかけは、戦争が始まってすぐ、2月28日付の英『フィナンシャル・タイムズ』紙に掲載された意見記事である。
プーチン大統領の軍事力行使は侵略という犯罪であり、違法な戦争の遂行であるとして、ロシア国家元首と側近を裁くための、特別法廷を設置するべきだという意見である。
執筆者は、フィリップ・サンズ氏。英国系フランス人弁護士で、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)法学部の教授である。
母方の祖父は、1914年、10歳のときにウクライナから西側に逃れてきたという。
彼は、学者としては既に名前が知られていた。
2016年の著書『ニュルンベルク合流:「ジェノサイド」と「人道に対する罪」の起源』で、数々の賞を受賞していたのだ。
しかし、彼は一介の学者にすぎない。大きな声となったのは、サンズ氏の優れた業績だけではなく、彼を支える大勢の市民やNGOが存在してこそである。
正義の追求の真の主役は、常に市民でありNGOである。平和を求め、戦争や侵略を糾弾する人々、世界の司法関係者。今までもそうだった。国家に対する、市民として人間としての闘いだった。そしてウクライナ戦争の今も、そうなのである。
この運動は、既に複数の国をも動かしている。
バルト三国がEUに働きかけ
10月21日、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)は、EUの首脳会議で、ロシアのウクライナに対する「侵略の罪」を裁く特別法廷を要求した。キーウの要求に呼応するものである。
それに先立って10月中旬には、バルト国はすでにEUに対し、ウクライナが国際刑事裁判所を「補完」するような、このような裁判所を設置するのを支援するよう求めていた。
半年間の議長国を12月まで務めているチェコも、ウクライナ東部のイジューム付近で埋められた数百体の遺体が発見されたことを受け、特別法廷の設置に賛成する発言をしていた。
なぜ既存の世界規模の裁判所では、プーチン大統領を裁くのが不可能なのだろうか。既存の裁判所では、何ができて何ができないのだろうか。
ウクライナでの暴力行為を、どこで、国際法のどの罪に基づいて裁くのか。新しい法廷設置の動きとは、どのようなものなのだろうか。
前後編の長い原稿となる。
プーチン氏を「侵略という犯罪」で裁くには
まず、戦争における罪は、主に4つのカテゴリーに分けることができる。
1,侵略という犯罪
2,戦争犯罪(捕虜の扱いや一般市民の保護などを定めた条約に違反するもの)
3,人道に対する罪
4,ジェノサイド
である。
※「戦争犯罪」という言葉には、広い意味(戦争で行われた犯罪全て)と、狭い意味の二つがある。ここで2番めに上がっているのは、狭いほうの意味である。
このうち「1,侵略の犯罪」「2,戦争犯罪」は、最も古くから、数世紀に渡って議論があるものだ。中でも「2,戦争犯罪」は、ジュネーブ条約など具体的な国際的取り決めがなされてきた。
第二次大戦後、ナチスを裁くニュルンベルク裁判で「人道に対する罪」が生まれ、同時代のやや後に「ジェノサイド」が新しくカテゴリー化した。
いま、プーチン大統領を裁く問題は、主に二つの罪が焦点となっている。
一つは領土に対する犯罪、つまり「1,侵略」。もう一つは、人間に対する犯罪である「4,ジェノサイド(大量虐殺・集団虐殺)」である。
実際に、「1,侵略という犯罪」は、プーチン大統領に直接つながることができる唯一の罪だとも指摘されている。
ウクライナ戦争では、「侵略の犯罪」は、モスクワの公式声明とウクライナへの軍事派遣によって、すでに証明されていると言われる。
サンズ氏は「侵略の犯罪の証拠を集めることは困難ではない」という。
「ロシアが明らかに違法な戦争を仕掛けたのか、また戦争開始の決定を行ったのは誰か」が重要な問いになる。そして、ウクライナの都市への爆撃など、ロシアによる他国領土への大規模な攻撃は、犯罪の定義に一致するからだという。
特別法廷の被告人は、2月21日にテレビ放映されたロシア安全保障会議の参加者たちとなるだろう。ここでロシア大統領は「特別軍事作戦」を開始することを可能にした。
(同じ日の夜、プーチン大統領は国民向けに、ウクライナへの侵攻の説明を放送した。演説の全訳はこちら)。
このように、プーチン氏を侵略という犯罪で裁くのは、証拠集めは比較的簡単ですむ。他の3つの戦争犯罪のカテゴリーでは、加害者やその指揮について、徹底的な調査が必要なのと対照的なのである。
しかし、既存の国際法廷では、プーチン大統領を「侵略の犯罪」で裁けないとみなされているのだ。なぜなのだろうか。
この理由を説明するのには、ここで少し、歴史を紐解いた解説が必要になるだろう。
ニュルンベルク・東京裁判と、国連の司法機関の違い
第二次世界大戦で、連合国が勝利したことを受けて、1945年11月からドイツ軍将校を裁くニュルンベルク裁判、そして1946年5月から日本の政府・軍幹部らを裁く東京裁判が開かれた(正式名称は「極東国際軍事裁判」)。
ここで問われた罪に前例はなく、それ以降も国際法廷の場で裁かれたことはない。それは「侵略に対する罪」であった。当時は「平和に対する罪」と呼ばれた。
国際法上では、大変画期的な進歩ではあり、称賛された。
しかし、これらの裁判は、国際連盟や国際連合の名のもとに行われたものではなかった。
ニュルンベルク裁判では戦勝国の4カ国が、東京裁判では7カ国が原告となっている。
一握りの国が主導した裁判で、国際社会の支持を得た正当なものとはいえず、公正な司法判断とは言えないものだった。
しかも、西側諸国は、自分たちも侵略行為で訴えられる可能性があることを認識していたので、「平和に対する罪」の定義を、第二次世界大戦中の敗戦国の敵の行動に限定していたという。
さらに、「事後法だ」として、特にニュルンベルク裁判は批判にさらされた。
事後法とは、実行のときには適法であった行為に対して、のちになって刑事責任を問うことを定める法令のことだ。
(例えるなら、ある道路を、今まで通行可能だったから人々は通行していた。通行禁止という新しい決まりが出来た後に、「今まで通行していた」と人々を訴えることができる法令、ということだ)。
国連の司法機関の登場
一方、同時代の1945年には、誕生したばかりの国際連合の主要な司法機関として、「国際司法裁判所(ICJ)」が設立された。
国家間の紛争を解決する裁判手続きが設けられたのだ。国連安全保障理事会と総会の選挙で選ばれた、15名の独立・公平な裁判官により構成されている。オランダのハーグに存在する。
国家間の紛争を、戦争ではなく司法によって解決しようとする機関で、平和に貢献する大きな進歩であった。
例えば、日本が領土問題(ソ連・ロシアとの北方領土、韓国との竹島)を解決しようと、付託を提案したのは、この裁判所である。相手国の拒絶で実現していないが。
しかし、ここでは個人を起訴することはない。指導者たちの外交特権を認めているのである。国家主権の原則に関わる内容だからだ。
これが、この国連の司法機関といえる組織で、プーチン大統領を起訴できない、最大の理由である。
国連ではいつも、国家主権や常任理事国の拒否権が、国を超えた人々の平和への願いに対する壁となってしまう。
それでも国連では、侵略戦争をやめさせるための努力は行われてきたのだ。
1946年12月11日の国連総会では、「侵略戦争を行うこと」の犯罪性を確認。犯罪であるのは敗戦側の枢軸国の侵略だけでなく、侵略全般であるとする決議を採択した。
1974年12月14日には、国連総会決議で、国連憲章における武力行使の禁止について詳述した。
ここでは一般的に侵略を「他国の主権、領土保全または政治的独立に反対する国家による武力の行使、または、この定義に規定されているように、国連憲章と矛盾する他の方法による武力の行使」と定義した。
ただし、法的拘束力はない。
(冷戦後に、国連機関ではない「国際刑事裁判所」を設立するローマ規程の侵略の定義に影響を与えた。後編参照)。
このような歩みはあったものの、冷戦時代に入り、侵略の罪を成文化する試みは停滞していた。
国際連合憲章は、他の国家に対する侵略行為を禁止している。侵略の禁止は慣習法における絶対的規範とされている。このことは、国際刑事法の学者たちによって一般的に合意されている。国連に加盟していない国家をも拘束するとなっている・・・文面では。
しかし、「成文化されていない慣習法」であり続けているのだ。
慣習法でカバーされる侵略の正確な範囲については、現在に至るまで成文化された合意が得られていないのである。
プーチン氏をジェノサイドで起訴できるか
それではもう一つの罪、「4,ジェノサイド」はどうだろうか。これでプーチン大統領やロシア政府要人を起訴できるだろうか。
第二次大戦後、「侵略に対する罪」の成分化は停滞したが、ジェノサイドに対しては大きな進歩があった。
ジェノサイドという行為は古くからあるものの、それまで国際法上の犯罪として確立されたことはなかったのである。
ナチスによるユダヤ人大虐殺を前に、人々は恐れおののいた。そして1948年には「ジェノサイド条約」が、国連総会で全会一致で採択されたのである。
現在、152カ国が批准、41カ国が署名している。つまり世界のほぼ全ての国が批准や署名をしているのだが、日本はどちらもしていない。
ウクライナ戦争は「ジェノサイド条約違反だ」という意見があるが、果たして同国内で行われていることは、ジェノサイドなのだろうか。
ゼレンスキー大統領は、戦争が始まった時から「大量虐殺の兆し」を口にしていたし、さらに「大量虐殺を止めろ」と訴えていた。
4月にブチャで発見された犯罪を受けて「これは大量虐殺だ!」と評決を発表したのだった。
当時はバイデン大統領も「ジェノサイド」という言葉を使ったが、その後「法律家の判断に委ねられるだろう」と慎重になった。
マクロン仏大統領は、言葉のエスカレートが平和の大義にかなうかどうか「確信がない」と述べた。
専門家の間では意見が分かれている。
フィリップ・サンズは「ジェノサイドの罪を証明するのは簡単ではない」と言う。
調査官は「ある人間集団を破壊する命令」をみつけなくてはならないのである。加害者がある人間集団を、部分的または全体的に破壊する意図を証明する必要があるのだ。
これが、意図を明白に証明する必要がない「2,戦争犯罪」や「3,人道に対する罪」とは異なる点である。
国連の司法機関での努力
ウクライナは、ロシアの攻撃が始まった後、まず国連の国際司法裁判所に着手した。
最初に開かれた国際司法の手続きは、キーウが2月27日に開始したものである。
ウクライナは訴状の中で、ロシアがジェノサイドの概念を操作し、ドンバス地方のドネツク州とルハンスク州の住民に対してこの犯罪を行い、違法な軍事侵攻を正当化していると非難した。
国際司法裁判所の裁判官は3月16日、第一意見として、13票対2票(ロシアと中国の裁判官の票)で、ロシアに「軍事作戦の即時停止」を命じた。
国際法上、国連の裁判所の意見には拘束力がある。しかしモスクワはそれに耳を貸さなかったのである。
国連の非力があらわになる事態であった。
どの側近の罪が重くなるか
11月3日、イギリスの『The Sunday Times』に「プーチン大統領の防空壕の内部:彼はウクライナ侵攻計画をいかに秘匿したか」という記事が掲載された。
ここで、パトルシェフ安全保障会議書記と、情報機関「連邦保安局・FSB(旧KGB)」のボルトニコフ長官の2人が昨年夏、侵略方針を決めてプーチン氏に進言したとの内幕を報じた。
ラブロフ外相は直前まで詳細を知らされておらず、ショイグ国防相は侵略にためらいも見せたというのである。
露政府当局者などへの取材に基づく英歴史家の論文の抜粋を掲載したものだというが、誰がどういう意図で内情をもらしたのか。
これは将来、法廷での裁きが実現した場合、被告人の刑罰の程度を左右しかねない重要な情報になりうる。
かつては世界を二分した一方の雄、ソ連・ロシアのエリートたちの、国際法の知識を侮りすぎてはいけないと感じさせた。
後編へ続く・・・
それでは、もう一つの世界規模の国際裁判所である「国際刑事裁判所」はどうなのか。
こちらは、国連とつながってはいるが、独立した組織である。国連の国際司法裁判所と異なり、個人を起訴することができる場所である。
この裁判所の設立は、冷戦終了後の世界を待たなくてはならなかった。国連の裁判所の設立から、約60年経っている。
実現したのは、市民の強い意志によるものである。世界各地から集まった1000近いNGOが連合体を結成して、裁判所を改革するよう要求したのだった。
そして現在、ウクライナで欧米で、新しい法廷設立の準備はどのくらい進んでいるのだろうか。
<続く。後編はこちらをクリック>