ウクライナがロシア正教を禁止する波紋。ローマ教皇の非難とロシアの西欧悪魔論。日本がウ教会芸術支援へ。
ウクライナ議会は8月20日、ロシアと関係のある宗教団体を禁止する法律を承認した。今後、「敵国との関係を断つ」ための9ヶ月の猶予が与えられる。
最高議会議員265人ほどが、第2読会と最終読会でこの法律に賛成票を投じた。議員総数は450人である。29人の議員が反対票を投じて、残りは棄権か欠席だった。
このことが、宗教界に大きな波紋を広げている。国家が特定の宗教を禁止するという事態だからである。しかし、ウクライナは侵略された国家でもあるという複雑な状況である。
減りゆくモスクワ系の教会
ウクライナで最も信仰されている宗教は正教(ギリシャ正教、東方正教とも呼ばれる)である。72%を占めており、カトリックは9%と、他の宗教を大きく引き離している。
歴史の長い間、ウクライナ正教会は、モスクワ総主教庁の下部組織に置かれていた。ロシア正教会のリーダーは「総主教」だが、ウクライナ正教会のリーダーは、位が下の「府主教」であった。
しかし、2014年のクリミア併合・ドンバス内戦以降、ウクライナ正教会は、ロシアからの独立を目指す動きが活発になっていった。
この頃から、従来どおりモスクワ総主教庁のキリル総主教に従おうとする教会と、独立を目指す教会の分裂が激しくなっていった。
そして、2019年、ウクライナ正教は独立した。ロシア正教会からの独立の承認を与えたのは、もはや教会数や信者数では力がないが、権威はある「コンスタンティノープル総主教」だった。
(コンスタンティノープルとは、東ローマ帝国、またの名をビザンチン帝国の首都名で、現在の名はイスタンブール。トルコにある)。
このことは、2022年にプーチン大統領が戦争を始めた理由の一つに違いない。
参考記事:【前編】ウクライナとロシアの宗教戦争:キエフと手を結んだ権威コンスタンティノープルの逆襲
戦争が始まると、モスクワに従う正教会の数はどんどん減っていった。ウクライナのために戦死した兵士、犠牲になった市民の遺族は、モスクワに従う教会による葬式や埋葬を拒否したからだ。
キーウの国際社会学研究所が2023年に実施した調査によると、ウクライナ人の66%がモスクワ系教会の禁止に賛成だと答えた。
同じ組織が実施した意見調査によると、ウクライナ人の54%がウクライナ独立教会を支持した(前年度は42%)。モスクワ系を支持するのはわずか4%だった。前年は18%だったのが、さらに激減している。
さらに、ウクライナ当局は、モスクワに従う正教会の上級聖職者は、ロシア連邦保安庁(FSB・旧KGB)と緊密に連携しているとも非難している。彼らの多くは敵との諜報活動を行ったとして、起訴されている。一部は捕虜交換で、ロシアに引き渡された。
モスクワとつながっている教会には9ヶ月の余地が与えられているが、今後どうなるのだろうか。
2022年まで、モスクワ系教会のすべての礼拝は、ロシア総主教キリルの祝福によって始まっていたという。今でも一部の聖職者たちは、引き続きそれを尊重しているとウクライナのメディアが報じたという。『ル・モンド』が報じた。
ウクライナを批判するフランシスコ教皇と、「西側は悪魔崇拝」と主張するロシア側
かつて、モスクワ総主教庁が管轄する修道会は3万6000ほどあり、そのうちの3分の1がウクライナにあった。
教区の数でいうと、モスクワ系が9000ほど。独立したウクライナ教会のほうも同じくらいだったが、急速な成長を遂げているという。それらをすべて失うとなると、モスクワ側には大痛手である。
さらに重要なのは、ロシアの歴史では、ロシアという国のルーツは中世の「キエフ公国」にある。この公国がキリスト教(ギリシア正教)を国教とした。
ウクライナ側は「この公国はウクライナのルーツであって、ロシアのルーツではない」と主張している。ロシアとしては、この主張を認めるわけにはいかない。
ロシアのザハロワ報道官は、今回のウクライナ議会の決定を、「真の正統な正教を破壊し、その代用として偽りの教会に置き換える」ことを目的としていると反発した。
ところが、意外なことに、ローマ教皇フランシスコは、ウクライナの法律を非難した。結果的に、ロシア側を擁護することになりかねない。
この話を聞いた筆者の知り合いの、比較的実践的なカトリック教徒たちは、まずは一様に驚いた。
このことは、プーチン政権がウクライナ占領地域で、カトリック教会を弾圧していることを知れば、いっそうの驚きとなる。
プーチン政権は、11世紀以来正教会と対立してきたカトリックを「侵略者」と位置付け、国民を結束させる狙いをもっているという。
東京新聞は、反体制派として知られるロシア正教会の聖職者アンドレイ・クラエフ氏の話を報じている。
「プーチン政権が、NATOの東方拡大を、十字軍による東方世界の破壊に例えるのは、哀れなプロパガンダだ。
ロシアの右派は西欧のキリスト教が堕落して悪魔崇拝に陥り、ウクライナとロシアを戦争に陥れたと信じている。
プーチン大統領は、ロシアが聖なる国であり、キリスト教本来の信仰を保持していると主張している。
プーチン政権が『ロシアと西欧の宗教対立』を叫ぶのは理由がある。
植民地のように扱ってきたウクライナに対して、苦戦している現実に我慢できないからだ。
『敵はウクライナではなく西欧全体』と印象付けることで、国民の不満を和らげるつもりだろう」
ザハロワ報道官は、2022年の夏にはすでに、戦争を鼓舞する精神的指導者に対する西側の制裁を「悪魔主義」と表現していた。
この「西側は悪魔主義」という考えは、ウクライナは「ネオナチ」という理論がもう限界になりつつあった時期に現れた。
国営放送の超有名な司会者ウラジーミル・ソロヴィエフが、脱線気味に「私たちは文化の存続のために、悪魔や悪魔崇拝、NATOと戦っている」というのは、いつものこととなっている。
ロシア正教のトップ・キリル総主教は、プーチン大統領を「反キリストとの戦い」のための「チーフ・エクソシスト(悪魔祓い長)」と呼んだことすらある。
ちなみに、この「西側は悪魔化している」という主張は、「キリスト教の信仰というよりも、ジハード(イスラム教の聖戦)の文脈で交わされた約束を彷彿とさせます」と、ロレーヌ大学でロシア文明を教えるアントワーヌ・ニビエール教授は指摘する。
参考記事:悪魔思想に取りつかれるプーチン政権。原発にミサイル、ウクライナ教会の破壊。イスラム教徒と聖戦共闘か
ウクライナ側は、そのようなレトリックではなく、もっと現実的である。
「ロシア正教会の活動」を断固として非難、「ロシア侵略者の人道に対する血なまぐさい犯罪に加担した」ことを強調している。これは8月16日、ウクライナ教会・宗教団体評議会が、ゼレンスキー大統領との会談結果を報告したプレスリリースでの表現である。
それなのになぜ、フランシスコ教皇はウクライナの決定を非難したのだろうか。
信仰の自由と政治の問題
フランシスコ教皇は、戦争中の国内における信仰の自由を懸念しているのだという。キリスト教系の仏紙『ラ・クロワ』が報じた。
「私はウクライナとロシア連邦での戦闘を、痛みをもって見続けています。そして最近ウクライナで採択された法律を考えると、祈る人々の自由が心配になります」
「なぜなら、真に祈る人は、常にすべての人のために祈っているからです。私たちは祈っている間、悪を犯しません。誰かが自国民に対して悪を犯した場合、その人は罪を犯すことになりますが、祈ったからといって悪を犯すことはできません」と、8月25日、サン・ピエトロ広場に集まった信者に主張した。
祈る人々の自由――この懸念は理解できる。筆者の知り合いたちも、「信仰の自由」という概念を持ち出されたら、それは納得できる、という反応だった。
教皇は「祈りたい人が自分たちの教会と考える場所で祈ることを許す」よう求めているのであり、「どうか、キリスト教会が直接的または間接的に廃止されることのないようにしてください」と訴えているのだ。
国連も無関心ではない。法案が2023年3月にまだ草案の段階だったときに既に、国連人権高等弁務官の報告書は「モスクワ系ウクライナ教会を標的とした国家活動は、差別的である可能性がある」という懸念を表明していた。
特定の政権が、宗教機関を統制下に置くために、口実として「外国の干渉の脅威」を使うことがある。
例えば1950年代には、中国カトリック教会は、バチカンとの決別を余儀なくされて、中国当局の公式協会に加わった。
最近ではニカラグアで、「クーデターの首謀者」や「テロの中心」という理由で、司祭の逮捕や宗教NGOの閉鎖が続いた。
だからウクライナ議会で可決された法律は、同国の信仰の自由について、正当な懸念を引き起こしていると『クロワ・インターナショナル』は解説している。
しかし、ウクライナの状況はやや異なるという。この禁止令はウクライナ正教会全体に適用されるのではなく、9か月以内にロシアとの政治的・宗教的なつながりが無いことを証明できない教区または司教区にのみ適用されるのだ。
さらに今後、法的控訴の可能性が生まれるが、これは複雑な宗教論争になる。
ロシアの側はというと、ザハロワ報道官は、モスクワ総主教庁にとって、これはウクライナ正教会に対するキーウの「迫害」の延長であり、「信教の自由の分野における、国際的に認められた人権の明らかな侵害」である、と述べている。『バチカンニュース』が報じた。相変わらず頭がクラクラする発言だ。
ただ、政治的な思惑とは別に一つ言えるとしたら、報道ではロシアの信者が不在になっている感じがする。
筆者が宗教関連のニュースで一番驚いたのは、2019年5月にウクライナ教会が独立を宣言したときのことだ。
ロシア正教会のキリル総主教は、この独立の決定を「理解する」と述べたのだった。もうびっくりであった。
そして「一時的な」障害が、ロシアとウクライナの人々の「精神的な結束を破壊しないように祈っている」とも言った。表立っては分離への批判を避けたようである。
なぜこうなったのか。ロシア人信者の気持ちに沿ったものだという分析が見られた。
これは戦争前の事であるが、政治的なことはどのくらいロシア人の信者の気持ちに影響を与えているのだろうか。
信者は神様を信じているのだ。信仰とは、政治的な理由というより、精神的なものだろう。
同じキリスト教徒で正教で、隣人のウクライナ人相手に、どこまで政治的プロパガンダである「悪魔」理論が通用しているのだろう。
さらに、ソ連時代を生きた人々は、まだ多くが生きている。無宗教の平等「帝国」を築いたソ連時代の教育と精神をもった人達は、今何を考えているのだろう。
日本がウクライナの教会芸術を支援?
ところで、キーウの中心部には「キーウ・ペチェールシク大修道院(または洞窟修道院)」というものがある。
1051年に「キエフ公国」によって建立された歴史遺産で、中には聖ソフィア大聖堂や修道院群などがある。ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産に登録されている。
ロシアにとってもウクライナにとっても、正教の信仰と、歴史のかなめとも言える重要な建築物群だ。
当然、両国の紛争が始まってから、この場所をめぐって、ロシア側とウクライナ側でもめてきた。
この敷地内にある「すべての聖人(諸聖人)の教会」の修復を、日本政府が支援をするのだという。
ユネスコのプロジェクトと日本の信託基金の枠組みの中で、ウクライナは戦争で被害を受けた文化記念碑の修復のための助成金を受け取ったという。大修道院国立保護区の公式Facebookが報じた。
敷地は、大修道院の歴史文化国立保護館の管理下にある部分と、モスクワの庇護のもとにあるウクライナ正教会が賃貸契約で利用している部分とに分かれている。
ウクライナ側はここでも主権を取り戻そうとして、賃貸契約を更新しないことを決め、ロシア側と争っている。
問題は、ここにいる200人の聖職者の中には、ロシアへの忠誠を保ち続けていると疑われた者もいたことだ。スパイ容疑と捜査が続き、そのうちの一部は捕虜交換でロシアに引き渡された。
この教会は、幸いにも戦争で壊滅的な被害は受けていない。でも、その状況や古さから、特に塗装の点で修復が必要なのだという。研究そのものは14年前に開発されたという。
教会の修復プロジェクトには、文書の更新、絵画の優先保存、修復作業の実施という 3 つの段階が含まれている。現在準備段階が進行中であり、新しいデータを収集して分析する必要があると述べている。
日本の援助は、ユネスコを通じた文化援助である。しかも、賃貸契約で両国がもめている敷地ではなく、歴史文化国立保護の管理下にある敷地内にある教会の修復である。だから問題は無いと言えば無いのだが・・・。
それでも心配だ。宗教をめぐる対立に巻き込まれたとき、日本政府に毅然とした態度がとれるのだろうか。確かに優れた宗教芸術は、信仰の有無を問わず、人々に感動を与え、人類の歴史遺産となりうるものだ。しかし、激烈な宗教闘争が繰り広げられている中で、日本人に理論武装ができるのだろうか。
杞憂に終わればいいのだけど、心配である。