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橋梁架け替えで移設された地元住民待望の天空の駅 山陰本線 餘部駅【前編】(兵庫県美方郡香美町)

清水要鉄道・旅行ライター
余部橋梁を渡る特急はまかぜ

全長310.6m、地上からの高さは82.5m、日本海に面した集落の頭上を跨ぎ、絶景で名高い余部橋梁。明治時代に建設された鋼製トレッスル橋からコンクリート橋に架け替えられた後も旧橋梁の一部が保存され、鉄道ファンだけでなく国内外の観光客の注目を集めている。その橋の浜坂方の付け根にある小さな駅が餘部(あまるべ)駅だ。今回は前後編に分けてこの駅と橋梁を紹介していく。

ホーム
ホーム

餘部駅は昭和34(1959)年4月16日開業。当初より旅客営業のみの無人駅であった。地名は鉄橋の表記と同じ「余部」だが、同じ兵庫県内の姫新線に余部(よべ)駅が既に存在していたことから、漢字を変えて「餘部」という表記になった。

待合室
待合室

駅が開業したのは戦後の高度成長期だったが、鉄道自体が当地に通ったのはそれから半世紀近く前の明治45(1912)年3月1日のことだった。駅が設けられたのは1.8キロ離れた鎧で、鉄橋の下にある余部村の人々は列車の合間を縫って鉄橋を渡り、四つのトンネルを潜って鎧駅まで行かなければ列車を使うことができなかった。自家用車の普及率が低い上に道路も未整備だった当時、鎧駅までの最短経路は集落を跨ぎ、山を貫く線路だったのだ。もちろん、今の時代に真似をしてはいけないのは言うまでもない。

餘部駅全景 左の線路が現在の本線で、右の線路が旧線
餘部駅全景 左の線路が現在の本線で、右の線路が旧線

この危険な状況を改善すべく、昭和30(1955)年頃より地元住民は駅の設置を求める運動を開始。小学生が県知事に駅設置を求める手紙を送ったこともあったという。念願かなって駅の設置が決まった際には子供たちも含めた住民たちが海岸から石を運んで、駅までの道やホームの建設に協力したという。

移設前の旧ホーム 平成18(2006)年10月8日
移設前の旧ホーム 平成18(2006)年10月8日

こうして開業した餘部駅に転機が訪れたのは平成20(2008)年2月29日のこと。余部橋梁架け替え工事に伴って、仮設ホームと通路、構内踏切が設置されたのだ。平成22(2010)年7月17日からは橋梁架け替え工事のため香住~浜坂間が運休してバス代行となり、完成後の8月12日より営業を再開した。架け替え前はホームが線路より山側にあったが、架け替え後は海側に移転している。

集落から余部橋梁とクリスタルタワーを見上げる
集落から余部橋梁とクリスタルタワーを見上げる

架け替えによって役目を終えた旧橋梁は一部が保存されて、平成25(2013)年5月3日に展望施設・余部鉄橋「空の駅」としてオープンした。平成29(2017)年11月26日からは「余部クリスタルタワー」と命名されたエレベーターが使用開始されている。それ以前、集落から駅までは険しい坂道を登らねばならなかったが、エレベーター設置によって利便性が大いに向上している。

クリスタルタワーと「空の駅」
クリスタルタワーと「空の駅」

余部クリスタルタワーおよび「空の駅」の利用可能時間は6時から23時、無料開放されているため、観光客だけでなく一般の駅利用者にとってもありがたい存在であろう。

余部橋梁
余部橋梁

余部橋梁の架け替えに伴って、余部の風景は大きく変化し、集落から駅に至る道も付け替えられた。旧駅時代は駅のすぐ裏手にあった「お立ち台(余部橋梁を見下ろす撮影地)」へも駅から坂道を一旦下って、途中の分岐からまた登っていかねばならなくなった。このお立ち台への坂道こそ移転前の旧駅に通じていた道なのだが、移転によって通る人も少なくなっている。表題写真と上の写真はこのお立ち台から撮影した。

後編では余部橋梁の歴史や駅周辺を紹介する。

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鉄道・旅行ライター

駅に降りることが好きな「降り鉄」で、全駅訪問目指して全国の駅を巡る日々。

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