駅前と駅裏が逆転⁉ 袋小路の旧駅前と殉職した助役の弔魂碑 山陰本線 久谷駅(兵庫県美方郡新温泉町)
駅の出入口というものは、多くの場合、利用者にとって便利なように人家の多い側や古くからある主要な道がある側に向かって設置されるものである。開業当初は市街地側にのみ出入口があって、後から駅裏側にも出入口が設置されるという例が一般的だ。だが、駅の中には地形の制約上、市街地(集落)や道路とは反対側にしか出入口を設置できなかった駅も存在する。そうした駅の一つで、集落側への出入口が後から設置されたために駅前と駅裏が逆転してしまったのが、兵庫県北部の新温泉町にある久谷駅だ。
久谷駅は明治45(1912)年3月1日、山陰本線の香住~浜坂間延伸に合わせて開業。当初は相対式ホーム2面2線で、1番線に面して駅舎があった。駅があるのは久谷の集落を見下ろす崖の上で、集落との間には久谷川が流れている。崖っぷちの立地ゆえに集落側に駅舎を建てることができず、駅舎や出入口は山側(上写真右手)に設置された。必然的に集落から駅前へは踏切を渡って大きく迂回を強いられることになるわけだが、いつの頃からか集落から階段を上って2番ホームに達する裏口ができて、集落から駅までの時間が短縮されるようになった。裏口ができた時期は不明だが、昭和45(1970)年12月15日に駅が無人化されて、列車に乗る際に必ずしも改札口を抜ける必要がなくなった後ではないかと思われる。
集落からも近くて便利な裏口ができれば、当然利用者はそちらを選ぶわけで、元々人家も少なかった駅前との地位はあっという間に逆転してしまう。平成20(2008)年3月15日に使用停止されたのは、駅裏側の2番線ではなく、駅前側の1番線だった。1番線はその後もしばらく残っていたが、平成24(2012)年11月23日に使用停止となり、駅舎は令和元(2019)年夏ごろに解体された。現在の久谷駅は旧1番線の痕跡こそ残っているものの、旧2番線のみの棒線駅で、駅舎はない。
駅の餘部寄りに久谷踏切があり、その向こうには桃観(とうかん)トンネルが口を開けている。明治時代に建設された煉瓦造りの古いトンネルで、香美町との境にある桃観峠を貫いている。桃観峠は一説によれば、腿(もも)が疼くような難所として「ももうずき峠」と呼ばれており、鉄道建設に当たってよい名を付けようと「桃観峠」と改称されたという。4年の歳月と当時の金額で61万円を費やして完成した難工事で、27人もの犠牲者を出した。工事中には当時の国鉄総裁・後藤新平(九州の観光特急「いさぶろう・しんぺい」の名の由来)が余部橋梁と合わせて視察に訪れており、入口上部には後藤直筆による扁額が掲げられている。
桃観トンネルを右手に見て久谷踏切を渡り、衰退してしまったかつての駅前に行ってみよう。かつての駅前通りは舗装されているが、車のみならず人の通行も絶えて久しいようで荒れ気味だ。駅前通りは線路と並行して続き、駅前広場に突き当たって行き止まりになっている。道沿いには空き家が一軒建っているだけだ。道とホームの間の空き地には動物の白骨が散乱していた。シカの骨だろうか? 人の気配のない場所だけに不気味である。
未舗装の駅前広場に面して建物の基礎が残っているが、これが解体された駅舎の跡だ。昭和57(1982)年10月に建てられた二代目駅舎で、倉庫のような素っ気ないデザインだった。駅舎跡とホームの間には柵が建てられている。
建物も残っていないかつての駅前広場の隅には殉職した国鉄職員・尾崎宏氏の弔魂碑が建てられている。尾崎氏は殉職当時、香住駅の助役で、勤続37年のベテランだった。昭和51(1976)年12月26日、寒波による大雪の中で列車の安全運行を確保しようと久谷駅の分岐器を除雪していたところ、やってきた列車に気付くのが遅れて接触し、亡くなった。碑はその死を悼み、事故の再発防止への決意を示したもので、久谷駅を行き交う列車をひっそりと見守っている。
駅前通りを引き返して踏切を渡り、今度は集落方面へ行ってみよう。駅前通り(県道261号赤崎久谷停車場線)はほどなく桃観峠を越える国道178号線但馬漁火ラインとの分岐点に突き当たるが、桃観峠は土砂崩れにより通行止めとなっている。
国道と合流した道を下っていくと、右手に久谷駅が見えた。こうして見ると崖っぷちの立地がよくわかる。駅が開業した明治時代には斜面の造成もされずもっと険しい地形だったことだろう。ちなみに道路の反対側には八幡神社があり、桃観トンネル建設工事の犠牲者の慰霊碑がある。
Y字路を右に入ると久谷集落だ。久谷はかつての美方郡久谷村で、明治の町村制で美方郡大庭村となり、昭和29(1954)年10月1日の合併で美方郡浜坂町、平成17(2005)年10月1日の合併で新温泉町となった。当地の伝統行事「菖蒲綱引」は無形民俗文化財に指定されている。
最後は集落から「裏口」を通って駅に戻ることにしよう。裏口(現在は西口と言うべきか)は集落内の細い道から分かれて線路沿いの坂を登っていくもので、分岐の脇にはトンネルが口を開けている。トンネルは線路の下をくぐっていて、その向こうには墓地があり、その先は未舗装となって林の中に消えている。
駅へと続く坂道からは久谷の集落とその背後に聳える山陰の山々を望むことができる。集落の住民が駅に行きやすいようにとつくられ、かつての駅前から駅前としての地位をついには奪ってしまったかつての駅裏への通路。今は上り下りする人も少なくなってしまったが、完成した時の住民の喜びはいかばかりのものだったのだろう。久谷駅の112年の歴史に思いを馳せながらゆっくりと登るのもいいだろう。