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スペインの感染爆発はWHO(世界保健機関)のせいなのか?「発信力不足」と「誤解」で信用ダウン

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
科学者にコミュニケーション能力は必要ない。だが説得するにはカリスマが欠けていた(写真:ロイター/アフロ)

5月17日・非常事態宣言65日目・午前11時半現在

感染者数:23万1350人

死者:2万7650人(前日比87人増)

2カ月ぶりに死者の増加数が100人割れ。非常事態宣言の、5度目の6月末までの延長が検討されているが、都市封鎖は徐々に緩和され18日からは全土で商業活動(飲食や小売りなど)が一部再開する。

今回は「都市封鎖」で次々と起こる12のことの11番目、WHOへの失望について書く(文末に、事務局長の発言を時系列に並べたので参考に)。

テドロス事務局長発言の今さら感

コロナ禍で果たしたWHO(世界保健機関)の役割については、スペインでも「不信」とか「失望」という声が多く聞かれた。

私も、テドロス事務局長の発言には「何を今さら」と思うことも少なくなかった。

例えば「欧州が感染の中心になった」(3月13日)とか「すべての段階的緩和は新規感染を招く」(4月15日)とかには、わかっとらい!と言うしかない。

WHOは警告を与えるのが仕事で強制力を持たないから、当たり前のことでも何度も繰り返さないといけない。だからくどくなり、「現状追認」にしか聞こえない時もあるのだ、と冷静になれば思う。

彼らは科学者の集団であり、朴訥で実直でコミュニケーション能力に欠けることもあるのかもしれない。だが、WHOのメッセージに信憑性を持たせるのに、メッセンジャーの発信力は決定的な意味があったと思う。

「テスト、テスト、テスト」への誤解

例えば有名な「テスト、テスト、テスト」(3月16日)である。

これだけ聞くと、“とにかくテストをやりまくれ”というふうに聞こえる。だが、ソースに当たると、追記に「WHOは接触が確認され症状のある人だけにテストをすることを勧めています」とある。

スペインメディアもそうだったが、テストうんぬんだけ切り取って伝えた報道者も悪い。だが、事務局長ならば追記でフォローしなければならないような発言はすべきではない。

何と言うか、テドロス局長には“この人の言うことなら信じられる”というカリスマ性が欠けていた。正体不明のウイルスだからわからないことが多いし、警告というのはどうしても大袈裟に響くものだ。

だが、だからこそ、伝える力が重要になる。

科学で解明途上にあることを信じさせる力、“まだわからないのだが信じて欲しい”という迫力が、語気や表情、身振り手振りから伝わってこなかった。

証拠が無い、という科学的な誠実さが仇に

今日(5月17日)のニュースで「人工物(ドアノブとかキーボードとか)を介して感染する、という確たる証拠をWHOは見つけられなかった」というのがあった。

科学的で誠実な態度とは、証明できないことは証明できない、と認めること(だから、宇宙人はいない、と言う科学者は信用できないが、宇宙人の存在は確認されていない、と言う科学者は信用できる)。

だが、感染を証明できないことは当然、“ドアノブからは感染しない”という意味ではない。わからないうちは用心した方が良いからドアノブもキーボードも消毒した方が良い、と実際WHOはアドバイスしている。

マスクの使用についても彼らの見解が誤って伝えられた。

マスクに効果が無い、とWHOは言っていない!

WHOのQ&Aにはこうある。

「WHOは無症状の人たち(呼吸器系の症状が無い人たち)が一般社会で医療用マスクを着けることを勧めていません。なぜなら今現在、健康な人たちが医療用マスクをシステマチックに着けることがコロナウイルスの感染を予防する、という証拠が無いからです」

これが、“マスクに感染予防効果は無い”というふうに誤解された。

スペインの保健省のスポークスマンも何度も繰り返して誤解を広げた。「今現在」「証拠が無い」のは“予防効果は無い”とイコールではなく、用心のために着けておいて悪いことは何も無いのに。

実はこのQ&Aはこう続く。

一般社会で症状がある人にはマスクの使用をお勧めします。不適切で過剰な医療用マスクの使用は、供給不足で本当に必要な人に行き渡らないという深刻な問題を起こしかねません」

ここで重要なのは「医療用マスク」という文言。これ、手作りや市販の布マスクのことではなく、サージカルマスクとフィルター付きのマスク(N95、FFP2など)を指す。

つまり、WHOが言っているのは“医療用マスクは本当に必要な医療従事者にキープしておきましょう。普通の人で症状がある人は医療用マスクを着け、症状が無い人は医療用マスクは遠慮しましょう”ということ。

非常に常識的で正しいアドバイスなのだが、発信の仕方が悪いのか解釈の仕方が悪いのか――おそらくその両方だろう――、WHOがマスクの効果を否定するかのような、とんでもない誤解を生んだ。

「マスク強制ボイコット」も誤解から

よく読めば、これはスペインなど布マスクが存在しない国向けへのアドバイスであることがわかる。

日本だったら無症状者はアベノマスクなどの布マスクを着けることで、医療従事者用の医療用マスクが不足する危険は回避できるからだ。

スペインは現在、外出時にマスクの使用を義務付けるかどうか検討中だ。これに対して当然ながら“前にマスク着用は効果が無いと言っていたのは嘘だったのか!”という政府不信の声が沸き起こっている。

WHOのメッセージをちゃんと伝えなかった罰であり自業自得である。今、本当に必要なマスク着用は国民にボイコットされるかもしれない。

もう一つ、WHOへの批判を。

“中国寄り”という噂が本当かどうかわからないが、「緊急事態宣言は中国への不信の表明ではない」(1月30日)とか「(対中国への)交通と商業の制限をしないよう進言する」(2月5日)とかの噂の火に油を注ぐような言及は不要だった。”我われは医学的根拠に基づき発言し行動している”とでも言って、口をつぐんでおけば良かったのだ。

科学者がなぜ「政治的発言」をする?

特定の国の名前を挙げて褒めたりけなしたりするのは「政治的な発言」であって「科学的な発言」ではない。政治的な発言は政治家に任せておけば良い。中途半端に口を挟むとWHOへの信用度が下がり、背後にある立派な仕事まで評価されなくなる。

世界はWHOの警告に耳を傾けるべきだった。世界的な緊急事態は1月30日に始まったのだから」(4月27日)の発言に腹を立てた人は多かったろう。私もその一人だ。このメッセージは「政治」であり「科学」ではない。

とはいえ、今回これを書くに当たってWHOの資料を読み込むと、やることはやっていた(ただし伝え方が悪かった)というのがわかった。

一般人向け(子供向けもある)と医療従事者向けのQ&A集は、コロナウイルスの理解に非常に役に立つし、特に素晴らしいのが『感染による深刻な呼吸障害の医療センター』(2020年3月。133ページ)という名のドキュメントだ。

これは医療施設のハードとソフト両面の設営・運営方法を豊富な図入りで解説したもので、とかく教条的なものになりがちなWHOのイメージを一新する、実用的なマニュアルである。衝立の立て方や換気装置の設置法から、動線の作り方やエリアの分け方、人員の装備や配置、患者の選別法や掃除の仕方までとにかくすべてが、私のような素人にもわかりやすく解説されている。

本気で止めてやる、という気迫があれば……

こうしたWHOの仕事を見直すにつれ、1月、2月の段階でもっと強い言葉で、伝わる言い方で発信してくれていればなあ、と思う。

旅行者の感染にフォーカスを当てるのではなく、老人ホームで肺炎で亡くなった人にPCR検査をしていれば、スペインの非常事態宣言の1カ月前、2月中旬にはすでに市中感染とクラスターが発生していた、と把握できていたはずだった。

3月に入ってもサッカーを中止せず、数十万人規模のデモに「私の息子が参加すると言ったら『好きにしろ』と言う」(前出の保健省スポークスマン)なんて呑気だったスペインに、血相を変えて怒ってくれていれば……。

1月

14日「人から人への感染もあるかもしれない」(他)

24日中国と会合後「世界的な緊急事態ではない」「だが、いつか宣言しないという意味ではない」

30日WHO緊急事態宣言

「緊急事態宣言は中国への不信の表明ではない」「今は交通と商業の制限は必要ない」

2月

5日「(対中国への)交通と商業の制限をしないよう進言する」

11日WHOがウイルスをCovid-19と名付ける

「(ウイルスは)テロよりも危険な社会の敵ナンバー1になった」

18日「偽情報がウイルスより早く広まっている」

23日「動き出す時間は尽きようとしている」

25日「パンデミックの可能性に備えないといけない」

「国際的な行き来を止めるのは現実的ではない。感染はあるだろうが止められる」(他)

3月

11日WHOパンデミック宣言

13日「欧州が感染の中心になった」

14日スペイン非常事態宣言

16日「テスト、テスト、テスト」

「スペインは勇気ある決断をした」

21日「若者も何週間も入院し死亡する可能性もある」

4月

6日「スペインの最前線の人々のヒロイックな働きには感心した」(他)

8日「ウイルスを政治化しないでほしい」(トランプ大統領の批判に対して)

10日「我われも封鎖緩和を願っているが、急げば死の感染が再発する」

14日トランプ大統領WHOへの拠出金を停止

15日「すべての段階的緩和は新規感染を招く」

22日「ウイルスは我われと長期間一緒だろう」「(欧州と北米の)老人ホームで激しい感染が起こったのは悲劇だ」(他)

23日「研究所でウイルスが作られた証拠はない」

27日「世界はWHOの警告に耳を傾けるべきだった。世界的な緊急事態は1月30日に始まったのだから」

「人命と経済を秤にかけないといけないが、緩和を急ぎ過ぎると経済的打撃は逆に大きくなる」(他)

5月

2日スペイン封鎖緩和スタート

6日「緩和は慎重にしないと隔離生活に逆戻りする危険がある」

14日「このウイルスは決して消滅しない可能性がある」(他)

※以上すべて『エル・パイス』紙より引用。日付は報道時点。発言主は断りのない限りテドロス事務局長で、「他」はディレクターや幹部のもの。スペイン語からの木村訳

(過去の記事は以下のリンクに。1回目:12のこと2回目:封鎖の遅れ3回目:大移動が招く感染4回目:医療崩壊5回目:データ不信6回目:報道の大本営化7回目:高まる同調圧力8回目:失業者救済スタート9回目:意外な封鎖下の需要

(次回に続く)

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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