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新型コロナ「都市封鎖」で高まる同調圧力。スペインの「強制」と日本の「要請」はどっちが効果的か?

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
1日200人の逮捕者、罰金を科せられる者は同2万人。強制抜きではスペインは無理(写真:ロイター/アフロ)

4月12日・全土封鎖30日目・午前11時半現在

感染者数:16万6019人(前日比4167人増)

死者:1万6972人(前日比619人増)

※数字はいずれも公式発表

明日(13日)からスペインでは一部の企業活動(建設業、製造業)が再開になる。感染者数と死亡者数がピークを超えた、という判断だが反対意見も当然あり、どちらが正しいかは1週間後の推移を見るしかない。公共交通機関を利用する人には、マスクを1000万枚無料配布するそうだ。こっちはしないよりはする方が絶対良い。

さて、今回はスペインの非常事態宣言と日本の緊急事態宣言を比較してみたい。

ご存じの通り最大の違いは強制力の有無。スペインの方は「強制」なので違反者には罰金も逮捕もあるが、日本の方は「要請」なのでない。

では、「強制」と「要請」、どっちが効果的なのか?

日本の“都市封鎖待望論”は当然

感染拡大防止のためには「強制」の勝ち、というのは論を待たない。

安倍首相が言う「接触7~8割削減」も「要請」では並大抵のことではないが、「強制」ならより簡単だ。日本で“都市封鎖待望論”が出ているのも当然だろう。

だけど実態から言えば、スペインの「強制」と日本の「要請」というのは、言葉の響きほどは差がないのではないかと思う。

なぜなら、国民性が違うからだ。

スペインは赤信号を渡る国である。

「みんなで渡れば怖くない」ではなくて、「1人でも渡る」。私も青でも赤でも左右をよく見て渡っているが、警察官が目の前にいても注意されたことは20年以上住んでいて一度もない(同じことを思わず日本でもやったら、血相を変えて怒られた)。サッカーでいうと、日本の子供は「撃て」と言わないとシュートを撃たないが、スペインの子供は「撃つな」と言わないと撃つのを止めない。

交通法規を守る日本人の方が正しいのだろうし、ゴール前の決定力はスペインの方があるだろう。

赤信号を渡る国、シュートを撃たない国

単純化すれば、日本人に比べスペイン人は我が強くてルールを守らず、上の言うことを聞かない。これは私が指導していたサッカーの現場でもそうだったし、教育現場、労働現場など社会のあらゆる面でそうだろう。

そのため、都市封鎖下のスペインでは日々200人程度の逮捕者が出ており、日々2万人程度が罰金を科されている。日本人には信じられない数字だろう。

「強制」してもこれなのだ。「要請」では到底コロナウイルスを止められていない。逆に、日本で「強制」すればとんでもない効果が上がると思う。安倍首相の自主性に任されるやり方が「丸投げ」と批判されているが、丸投げできるのは日本だから。スペインだと大変なことになる。

日本の同調圧力は今回はプラス

それに、日本には「同調圧力」がある。

周囲の目を気にして行動することはとかく否定的に語られるが、コロナウイルス感染対策だけを考えれば間違いなくプラス。世間の目を気にして「周りがやっているから……」と休業したり家で待機したりする人の方が、その逆よりも日本では圧倒的に多いだろうからだ(逆に「みんなで渡れば怖くない」式に同調してルールを破る可能性はゼロに限りなく近いだろう)。

まとめると、感染抑止の効率だけを考えれば、最強は「日本での強制」。最弱は「スペインでの要請」。その間で「スペインでの強制」の方が「日本での要請」よりたぶん上だろうってくらいだ。

8:団結心と“バルコニーポリス” 

さて、ここからは「都市封鎖」で次々と起こる12のことの8番目、団結心と“バルコニーポリス”について書く。

繁華街で警棒を持って「要請」する日本の警察官のニュース映像が出ていたが、スペインではあれほど威嚇的ではない。普通は静かに「どこへ行き」「どこに住んでいて」「何をしているのか」を聞くだけ。で、納得しなければ黙って罰金を科す。むろん歯向かえば警棒の出番だ。

今スペインで話題になっているのが、そうした本来の警察ではなく、バルコニーや窓から人を裁く“バルコニーポリス”の方だ。

全土封鎖で外出が禁止されると、窓やバルコニーが数少ない「社会の窓」(もう1つはもちろんテレビ)となる。そこに、閉じ込められている欲求不満と嫉妬、膨大な暇な時間が加わって“バルコニーポリス”が出動することになる。

自主的に街を監視する人たち

彼らは自主的にバルコニーから街を見張る。通行人が買い物袋を下げていなかったり、禁止されているジョギングしていたりすると、「ルールを守れ!」とか「団結心の無い奴だ!」とかの言葉を罵声とともに浴びせ、警察に通報する。

繰り返しになるが、「赤信号なんだから渡るな!」と血相を変えている人を私は見たことはない。この国の基本的なルールは、他人を放って置くことなのだ。

バルコニーからの自主的な監視行為は正義感の賜物で、感染防止という点では正当化できることかもしれない。が、問題は誤認もあること。激務を終えた医師や看護師、食料を供給し続けたスーパーの店員、自閉症の子供を連れた親らが、罵倒や通報の被害者となっている。

毎晩8時には、その同じバルコニーから医師や看護師への応援のコールや拍手が起こっている、というのに。

“オールスペイン”という発想はこの国にはない。いや、なかったはずだ。それが、コロナ禍という強大な圧力が掛けられたことで社会に同調圧力らしきものが生まれようとしている。

スペインでさえこうなのだから、感染抑止に最強の「日本での強制」は同調圧力が行き過ぎてしまうかもしれない。

コロナ後の社会はやはり変わるんだろうな。

(過去の記事はここ、1回目:12のこと2回目:封鎖の遅れ3回目:大移動が招く感染4回目:医療崩壊5回目:データ不信6回目:報道の大本営化

(次回に続く)

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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