イランの「対イスラエル反撃」はシリアでの部族民兵とクルド民族主義勢力との抗争
シリア北東部のダイル・ザウル県の東部(ユーフラテス川左岸)では地元のアラブの諸部族とシリア民主軍(SDF)とが度々交戦してきた。SDFとは、アメリカが「イスラーム国」対策を名目に育成したクルド民族主義勢力主体の民兵で、「イスラーム国」の占拠地がすべて解放されてからもラッカ、ハサカ、ダイル・ザウルの3県を占拠している。2024年8月7日、イブラーヒーム・ハフル率いる「アラブ部族軍」が、親政府民兵の国家防衛隊の支援を受けてユーフラテス川左岸の広範囲でシリア民主軍の拠点を襲撃した。イブラーヒーム・ハフルは、ダイル・ザウル県のユーフラテス川沿岸地域の有力部族であるアカイダート諸部族の指導者の家系出身で、もともとはSDF傘下の民兵を率いていたが2023年夏以降はSDFと対立し、シリア政府や親政府の部族の支援を募ってSDFと交戦するようになった人物だ。
シリアを含むアラブ諸国の部族は一定の水準で武装しているが、部族の民兵は常備軍でもなければ、必要な訓練を受けていたり、安定した兵站能力を持っていたりするわけではないので、部族の民兵だけではイスラーム過激派やどこかの国家や正規軍の支援を受けた武装勢力にはかなわない。SDFはアメリカに支援された民兵なので、部族の民兵だけではこれに勝つことは至難である。そこで、イブラーヒーム・ハフルと仲間たちは「反体制派」から転じて、シリア政府と親政府民兵やイラク、イランの勢力から訓練や装備の供給を受けてSDFと争うようになったのだ。この両者の抗争は、シリア政府の側から見ればクルドの分離主義者の違法行為との闘いであり、SDFから見ればシリア政府による不安定化工作だ。本稿執筆の時点では、SDFが「アラブ部族軍」の出撃・砲撃の拠点と主張するユーフラテス川右岸の集落を砲撃するなど、2020年8月ごろから度々発生するダイル・ザウル県のアラブの諸部族とSDFとの戦闘よりは規模が大きい衝突のようだ。アメリカを拠点とする専門家らの見立てでは、この地域の住民はシリア政府への反感が強い上、SDFの背後にはアメリカ軍が控えているため、政府や親政府民兵がSDFから領域を奪取することはなさそうとのことだ。ただし、SDFの占拠地に居住する非クルド人(アラブの諸部族を含む)は、クルド民族主義勢力の政治目標を支持していないし、彼らの主義主張に共感もしていない人々だということも忘れてはならない。
今般の戦闘で注意すべき点は、戦闘が「お決まりの」アラブの諸部族とSDFとの抗争という装いをとりつつ、実はイランとアメリカとの対立の一環かもしれないというところだ。7月末にイスラエルがレバノンのベイルートを攻撃したり、テヘランでハマースのハニーヤ政治局長を暗殺したりしたことに対するイランをはじめとする「抵抗の枢軸」陣営の反撃は不可避ともいえる。しかし、「抵抗の枢軸」陣営はイスラエル・アメリカ陣営と全面戦争をする意志も能力もないため、現在の紛争の強度を上げたり、範囲を広げたりする幅がなるべく少ない反撃の手段を選択せざるを得ない。そうなると、イラクやシリアでアメリカ軍に嫌がらせ程度の攻撃を繰り返すことも、「抵抗の枢軸」陣営からの反撃の一環となる。もちろん、アメリカ軍もわずかでも人的被害が出た場合はそれに対応した軍事行動をとる。実際、イラクのアイン・アサド基地砲撃(5日。アメリカ兵複数が負傷)、ハサカ県ヤアルビーヤ郡のアメリカ軍基地への無人機攻撃(9日。アメリカ兵複数が負傷)、正体不明の無人機がダイル・ザウル県のイラクとの国境近くで「イランの民兵」の者5人を殺害(11日)など、シリアとイラクでの戦闘が増えている。なお、アメリカ軍基地への攻撃については、「イラクのイスラーム抵抗運動」の一派と思しき名義の発信者から、今まで「イラクのイスラーム抵抗運動」が用いてきたものとは異なる経路と書式で戦果発表がされている。
「抵抗の枢軸」陣営にとっては、アメリカ軍がシリア領を占領し、基地を設けることは邪魔以外の何物でもない。シリア紛争に政府側で参戦したロシアにしても、ウクライナ紛争のような中東域外でのアメリカとの対立を計算に入れて、シリアのアメリカ軍に嫌がらせをする動機は十分ある。そのため、シリア、イラン、ロシアにとっては、直接戦闘を仕掛けることは論外としても、アメリカ軍に物理的・政治的負担を強いてシリア領の占領をあきらめさせることは長期的・継続的な目標だ。現在の中東での紛争は、パレスチナ、レバノン、シリア、イラク、イエメン、イランに広がる広域的な紛争である。そのため軍事攻撃や要人暗殺は、ガザ地区という狭小な地域に限られたものではなく広範囲に複数の地域や当事者が連動して展開している。イランや「抵抗の枢軸」陣営が7月末のイスラエルからの攻撃に反撃する場合も、反撃作戦はささやかな嫌がらせから大規模な攻撃に至るまで、シリアの田舎の民兵の小競り合いからイランとイスラエル・アメリカとの直接交戦に至るまで、当事者にとってはそれぞれが強く関連し、それなりに計算された結果ともいえるのではないだろうか。