部族を制すればシリアを制する
2020年8月に入ると、ユーフラテス川左岸のクルド民族主義勢力が占拠する地域で、地元のアラブの諸部族とクルド民族主義勢力との関係が悪化し、諸部族が自治権限の移譲やクルド民族主義勢力の退去を要求して蜂起や集会開催を盛んにおこなうようになった。こうした事態の直接のきっかけは、ダイル・ザウル県のユーフラテス左岸を主な居住地とするアカイダート諸部族の指導者の一人が、「イスラーム国」に暗殺されたことのようだ。アカイダート諸部族は、地域を占拠し「自治」を営んでいるはずのクルド民族主義勢力に治安維持に失敗した責任を帰して、自らの権限拡大を要求したのである。
アラブは部族社会、という言い方はいろいろなところで耳にするだろうが、我が強く理解困難な習慣や同害報復のような掟を持ち出す連中、という印象論以上に部族の何たるかについて知った上で語ることができているだろうか?また、実は部族を専攻する研究者についても、個別の部族の観察に特化する場合が多く、例えばシリアなりユーフラテス川沿岸なりの部族全般の政治・社会的役割や影響力を包括的に観察した業績は多いとは言えない。ここでいう部族とは、「父系の共通の出自を持つと信じる地縁、血縁集団」のことである。あくまで「信じる」というところがポイントなので、以後留意してほしい。
シリアの諸部族、特にクルド民族主義勢力が占拠する地域に居住する諸部族については、アメリカがトルコやシリアに調査員(工作員?)を派遣して状況を調査し、アメリカの対シリア政策に利用する方途を探ってきた。この手の報告書は案外沢山出回っている。ただし、管見の限りこれらの報告書は、調査実施者が「トルコなりクルド民族主義勢力の占拠地で」、「アメリカの調査員が」行う聞き取り調査に対し、対象となる部族民が状況に配慮したり相手の意向を忖度したりするという可能性に無頓着で、そこから生じるバイアスを何とかしようとした形跡がほとんど見られない。極端な話、応答次第では身の安全や個人の利益にもかかわる質問に対し、質問者に迎合しようとする回答者の反応を丸のみにした粗雑な調査に基づき、地域に対する政策立案や現地の諸部族との関係構築に臨んでいるのではないかと恐怖すら覚える。
支配者側が部族に対して用いる手段は、武力・暴力で押さえつけえるだけではない。シリアでは、20世紀初頭に植民地支配を営んだフランスやシリア・アラブ共和国が、特権の付与、年金給付、国会議員・地方議員のような政治的地位に就けるなどの買収・懐柔策を用いた。また、仲良しの部族やその指導者を優遇し、そうでない部族者指導者を冷遇するという、「分割統治」も支配者側の常套手段だった。フランスは、シリアに進出した時点での現地の有力部族だったシャンマル、アネイザ諸部族(ルワーラ、サブハ、フィドアーンなど)を懐柔の対象とした。では、これらの諸部族は、現在もシリア、特に同国北東部で勢力を誇り、紛争で重要な役割を果たしているのだろうか?答えは「否」である。これらの有力諸部族は、1950年代以降シリア政府がアラブ民族主義・社会主義政策を強めるにつれて抑圧・権益剥奪の対象となり、特に農地改革を嫌って有力部族は指導者以下、縁故を頼ってヨルダンやアラビア半島へと移転していった。また、部族の生活に自動車の利用が浸透したり、諸部族が揚水ポンプを用いた農場経営に乗り出したりするようになると、諸部族間の力関係も変化し、上記の有力部族といえども、従来はずっと格下扱いしてきた諸部族との関係を見直さざるを得なくなった。シリア紛争において、一時「反体制派」全体の指導者に祭り上げられたアフマド・ジャルバー氏はシャンマル部族の指導者の家系の一つの出身だが、同氏の活躍ぶりが過去も現在も「いまいち」なのは、シャンマルという名門部族の看板だけでは物事が進まない現状を象徴している。
有力部族の退去や勢力の低下に伴って浮上したのが、マワーリー諸部族、アファーディラ、バカーラ、アカイダート諸部族、ジュブール、タイイなど、19世紀~20世紀は二線級だった諸部族だった。ハーフィズ・アサド前大統領は1970年に政権を掌握すると、国内の安定を重視して退去した有力部族との関係再建(これはあんまりうまくいかなかった)や、上記の二線級の諸部族の取り込みに努めた。1970年のアサド政権発足以来、シリアの国会ではこの段落で挙げた諸部族の指導者層出身の議員をたいして頭を使わなくてもかなりの確度で抽出することができる。また、ちょっと頭を使えば与党バアス党や軍・情報機関の高官にもこれらの諸部族の関係者がそこそこ登用されているのがわかる。もっとも、アサド政権は部族を「優遇」したわけではなく、不在地主の土地所有の上限を引き下げたり、公職に登用する者を恣意的に選んだりして、諸部族の影響力を削ぐことも怠らなかった。バッシャール・アサド大統領の下でも諸部族への政策は原則として継承された。シリア紛争が勃発すると、それまでシリア政府に取り込まれていた諸部族の中には離反したり、指導者らが海外に逃亡したりして政治的に使い物にならなくなる部族も出たが、そうした中でもバカーラ、タイイ、アカイダート諸部族の一部、ジュブールはシリア政府側にとどまり、今般のアラブ諸部族とクルド民族主義勢力との緊張に際しても、バカーラやタイイの指導者が「占領・分離主義排除」の立場からアラブの諸部族支持を表明した。
シリア政府と部族との関係で注目すべき点は、紛争を通じて諸部族の離反や逃亡に直面した政府側が、より小規模で無名の部族からの登用や民兵編成を増やしたことである。バカーラやタイイのようなまだ「名門・有力」の範疇に入る諸部族も政権側にとどまったが、2012年以後3度実施されたシリアの国会議員選挙や親政府民兵の出自を観察すると、アサーシナ、シャラービーンなどかなり注意しないと見落としてしまうような部族の出身者が目立つようになった。こうした状況は、シリア政府による部族統制の弛緩ともいえるし、シリア政府が状況に応じて都合の良い部族を取捨選択して起用しているともいえる。
それでは、クルド民族主義勢力、「反体制派」、イスラーム過激派などのシリア紛争諸当事者はシリアの諸部族にどのように接したのだろうか。結論から言うと、残念ながら彼らの部族対応はシリア政府と比べて上手とは言えない。クルド民族主義勢力は、アメリカの配下の現地勢力としての多様性を演出するため「シリア民主軍」を結成し、上述のアフマド・ジャルバー氏の勢力もこれに参加しているが、クルド民族主義勢力にとってアラブの諸部族は「お飾り」の域を出ていない。「反体制派」は、まだ彼らが「平和的に」抗議行動を行っていたと主張する2011年6月の時点で、「部族の金曜日」と銘打った抗議デモの動員スローガンを巡って否定的な指摘が相次ぎ、彼らの部族軽視・蔑視をあからさまにした。イスラーム過激派については、シリアにおけるアル=カーイダも「イスラーム国」も、部族の縁故を通じて浸透を試み、一部では成果を上げた模様である。しかし、「イスラーム国」によるシュアイタート部族(これはアカイダート諸部族の一派)粛清にみられるように、イスラーム過激派にとっては部族の核心である地縁・血縁よりもイスラームが優先なので、双方の関係は次第に敵対的になっていった。現在のシリア紛争の各当事者の勢力分布を、各々の当事者とその後援者の実力を反映したものと考えると、諸部族への対応も各当事者の実力の一部として計算してもよいだろう。
部族の政治・社会的役割を考えた場合、部族が国家や政権を打倒したり樹立したりする、国家の領域の一部なり全部なりを制圧・占拠する、という方向の役割と影響力に目が向きがちである。しかし、ここまで論じた通り、国家や支配者の側が部族や部族連合を任意に形成・解体したり、特定の部族を優遇/冷遇したりするという方向の役割や影響力も決して忘れてはならない。また、部族の指導者の影響力や権威も、部族ごと、個人ごとで著しく異なり、あらゆる部族が同一の論理や組織で機能しているわけではない。例えば、アカイダート諸部族ではハフル家が諸部族全体の指導者の家系として認知されているが、傘下の諸部族へのハフル家の統制は形式的なものに過ぎないらしい。つまり、シリアでの部族の統制や取り込みには、硬軟織り交ぜた神経質な対応と、「それでも逆らう者は殲滅する」くらいの覚悟と準備で臨まなくてはならない難題だということだ。成功してもたいしていいことはなさそうだが、失敗すると支持や人材供給源を失うだけでなく、まさに「草木も背く」事態をも招きかねない。