シリア:続・部族を制すればシリアを制する
2023年8月末から、クルド民族主義勢力が牛耳るシリア民主軍が占拠するユーフラテス川左岸の広域で、アラブの諸部族の民兵が蜂起して戦闘が続いている。直接の契機は、シリア民主軍が傘下のアラブの部族民兵であるダイル・ザウル軍事評議会の司令官を逮捕したことで、同評議会を構成するバカーラ部族やアカイダート諸部族の一部がシリア民主軍に造反し、ダイル・ザウル県のユーフラテス川左岸やハーブール川沿いの諸拠点でシリア民主軍を攻撃し複数の集落を制圧した。シリア民主軍の占拠地域でクルド民族主義勢力とアラブの諸部族との関係がよくないこと(=クルド民族主義勢力とそれを後援するアメリアが部族を“ちゃんと”制御する意志と能力がないということ)、及びユーフラテス川左岸を含む現在のシリアの政情で相応の影響力がある部族、そして部族とは何か、ということについては、別稿で解説した。
しかし、例えば「部族社会」がどのような社会であるのか全く理解せずに、アラブは部族社会だから云々と「わかったつもり」になることも、クルド民族主義勢力とアラブの諸部族との相性の悪さを単なる民族対立の問題に単純化することも、生産的ではない。構成員らが国家よりも部族に対してより強い帰属意識や忠誠心を持っていたとしても、彼らはシリア紛争のような事態に直面した際、部族の首長や指導者層の下で統一的な政治行動をとるか、と言ったらそんなことはまずない。シリアの政治・社会の中での部族の振る舞いや影響力を、現実の政治状況を無視して古文書探究的に「部族」で説明しても、逆に現地の住民とその社会を顧みずに地政学的に「部族」を論じても結局よくわからないということだ。
今回は部族の話なんで大ヒット間違いなし
さしあたり、下の図を参照しつつ今般の情勢に関与するアラブの諸部族を概観してみよう。
バカーラ部族は、ダイル・ザウル県西部からラッカ県東部にかけてのユーフラテス川左岸と、ハサカ県東部の山地を主な居住地とする。同部族は現在も指導者が明確な部族だ。だが、肝心の指導者であるナワーフ・バシールは、2000年代から「改革要求活動家」として活動し、シリア紛争勃発当初も「反体制派」に与して配下の部族民を動員しようとしたものの、「反体制派」内で満足いく地位に就けなくなると、政府に「帰参」してシリアに帰国した人物だ。また、バカーラ部族の一部は、ナワーフの立場とは無関係に親政府民兵を編成してシリア紛争に関与した。「反体制派」やそれに与する立場の研究者たちは、ナワーフをバカーラ部族の民兵を支援するイランの手先とみなし、同人の政治的役割や影響力を全く認めない。
アカイダート諸部族は、ダイル・ザウル県のユーフラテス川両岸、スワル市までのハーブール川沿岸に居住する。同部族は、学術的な部族の定義(父系の共通の出自を持つと信じる地縁、血縁集団)とは異なり、様々な起源の部族が政治的・社会的な理由で連合を組んだことによって形成された部族だ。形式的にはハフル家がアカイダート諸部族の指導者の家系だが、アカイダート諸部族にはほかにも複数の有力氏族があり、ジヤーブ、ナジュリス、ダンダルのような有力家系がひしめいている。2014年に「イスラーム国」に殲滅されたシュアイタートも、アカイダート諸部族の氏族の一つだ。ハフル家はシリア民主軍が占拠したユーフラテス川左岸を地盤とするが、ジヤーブ、ナジュリス、ダンダルらは政府の制圧地であるユーフラテス川右岸を地盤とする。アカイダート諸部族の地盤は異なる勢力に分割されることとなり、その結果アカイダート諸部族はどちらの側に対しても政治的影響力が低下した。
ジュブール部族は、ダイル・ザウル県スワル市から、ハサカ県ハサカ市周辺に居住する。同部族の現在の居住地は、アカイダート諸部族との抗争に敗れた結果のことなので、アカイダート諸部族とは常に対立含みと思ってよい。ジュブール部族の指導者を輩出するムサッラト家は、シリア政府の人民議会にも、「反体制派」の団体にも人員を輩出しており、シリア紛争への同部族の立場は分裂状態だ。ただし、同部族からは紛争を通じて有力な民兵が動員されていないので、ジュブール部族も紛争を通じて立場が弱くなった部族の一つだ。
シャンマル部族は、ユーフラテス川左岸地域で最も有力な部族だったが、20世紀半ばに指導者層の大半がヨルダンやアラビア半島に移転したため、現在のシリア国内での政治・軍事力が強いとは限らない。かつて「反体制派」の代表に祭り上げられたアフマド・ジャルバー氏はシャンマル部族の指導者の家系出身で、現在も「サナーディード」と名乗る民兵を擁しているが、有力な勢力というわけではなく、劣位の同盟者としてシリア民主軍に参加しているに過ぎない。シャンマル部族は、20世紀半ばにバカーラ部族、アカイダート諸部族と抗争したこともある。今般の戦闘については、中立だそうだ。
このほか、ハサカ県の北部にはタイイ部族、シャラービーン部族のように、親政府民兵を動員して紛争に関与した部族、シリア政府の部族政策・対クルド人政策の結果この地域に移転してきたブールサーン部族のようなアラブの諸部族が居住している。彼らは、今般の戦闘の現場からは遠くに居住しているので、今のところその動向を特に気にするほどではない。しかし、これまでの経緯から、これらの諸部族には「シリア政府に与する」以外の政治・軍事的選択肢はない。
部族はみんなのお隣さん
読者諸賢におかれては、ここまで個々の部族の基本情報だけ列挙しても現在の状況や今後の展望が全くわからなかったことだろう。状況を理解し、展望するには、現在の状況、特にこの地域を取り巻く他の当事者、諸部族の後援者の動きも知らなくてはならないのだ。必ず押さえておくべき点は、この地域に住むアラブは、部族民だろうが都市民だろうが、親政府だろうが「反体制派」だろうがイスラーム過激派のシンパであろうが、クルド民族主義勢力の思想信条、政治目標を全くと言っていいほど支持も共感もしていないということだ。特に、クルド民族主義勢力がこの地域に構築した政治体制は、部族を含むアラブを形式的に「共同議長」のような名誉職に据えるだけで実質的な権限をクルド民族主義勢力が握る体制のようなので、アラブから見れば、「もっと権限をよこせ」という運動が出るのはある意味当然だ。
もう一方の当事者のシリア民主軍は、今般の戦闘をシリア政府やイランによる騒乱工作と主張し、この両者を非難している。アメリカから潤沢な支援を受けるクルド民族主義勢力の民兵は、量・質ともにアラブ諸部族の民兵よりも戦力的に勝っており、軍事的に決着をつけることも十分可能なようだ。
戦闘の当事者の周囲の状況に目を転じると、シリアの「反体制派」は、ネット上に「反体制派」寄りの立場で情報を発信する者たちがいるようだが、本件にたいした影響力はなさそうだ。「反体制派」は、アラブ民族主義やイスラーム主義の勢力、或いは「近代的・世俗的」文化人気質が強いので、クルド民族主義にもアラブの諸部族に対しても、蔑視・無視でしか臨めない。何よりも、元々「反体制派」だった民兵諸派は「イスラーム国」に負けるか、アメリカに買収されてシリア民主軍に合流するかしているので、「反体制派」には情勢に影響力を与える軍事力が乏しい。シリア政府は、事態をクルドの分離主義者とアラブの部族との争いと認識しているようだが、表立って関与しない。もっとも、シリア民主軍もこれに造反したアラブの諸部族も、政府の統制に服さない分離主義者・反乱者に過ぎないので、両方が弱体化したり、戦闘に政治的に介入して影響力か制圧地を広げたりできれば上出来ともいえる。
アラブの部族民兵は、シリア民主軍による不正をアメリカに訴えて問題を解決しようとしている模様だが、アメリカの動きは鈍い。9月3日には国務省の高官らが現地入りして「沈静化」を働きかけた模様だが、そのために何か提案や仲介をしているというわけでもない。もっとも、占領者の常とう手段として、アメリカから見れば占領下の住民を分割して個別に従属させる方が好都合ともいえるので、シリア民主軍をクルド民族主義勢力とアラブの諸部族とにはっきり分割し、相互にいがみ合わせながら管理するという将来像が描けないこともない。トルコは、配下の「アラブの部族」を用いて(今般の事態とは無関係の)アレッポ県とラッカ県の北部でシリア民主軍やシリア政府を攻撃した。トルコは、元々クルド民族主義勢力が大嫌いなので、これに便乗してシリア領内の自らの占領地を拡大したり、シリア民主軍を弱体化させたりしようとしていると思われる。この種の争いで通常「仲介」に出てこようとするのはロシアだ。ロシアは、それを通じてシリア政府の制圧地(≒ロシアの権益や影響力)を拡大しようとするが、今回はアレッポ県、イドリブ県方面でのイスラーム過激派、トルコ傘下の民兵への対応が優先なのか、特段の動きは見えない。イランについても、シリア紛争を通じ、各地から動員した「イランの民兵」をユーフラテス川沿岸に配置したり、アラブの諸部族をはじめとする親政府民兵を支援したりして浸透を図っているのだが、今のところ大きな動きはないようだ。
結局のところ、シリア民主軍の内部で戦闘や抗争が発生すると、外部の諸当事者は皆何かの形で得をするということになる。翻って、現在戦闘中のシリア民主軍の民兵たちは、連合内部、或いはシリア民主軍の制圧地の中での権益の奪い合いをしているだけなので、どちらが優位で決着してもあんまりいいことはなさそうだ。筆者としてはアラブ諸部族のうんちく話は大好きだが、今般の事態についてはそれをしているだけでは働いたことにならない、という問題なのだ。