シリア:アブー・ムハンマド・ジャウラーニーとジハード戦士の家畜化
シャーム解放機構(旧称・ヌスラ戦線。シリアのアル=カーイダ)による政権奪取以来、同派が支配する政治的移行が国際的な祝福を受けながら進みそうな情勢である。現在、人類は自由と民主主義を推進する(はずの)「国際社会」がそれらに相容れないはずのイスラーム過激派を放任・支援するという「テロとの戦い」の崩壊過程から、イスラーム過激派の代表選手であるアル=カーイダによる政権奪取と国家の経営が国際的に承認され、アル=カーイダはそれにアメリカ(とイスラエル)に奉仕することで応じるという、まさに未曽有の実験に突入した。そんな状況が訪れるのを事前に知っていたかのような顔をして、「イスラーム国」は週刊の機関誌の最新号で、「家畜化と動員」とのタイトルでシリア情勢を論評した。論評自体は、「国際社会」(要するにアメリカとイスラエル)と取引して一定の領域で権力の独占に成功したイスラーム過激派、具体的にはターリバーンとシャーム解放機構に対し、彼らが権力を独占したことに対する妬みと嫉妬を爆発させるつまらないものだ。しかし、そこで描かれる情景は、「テロとの戦い」が変質し、破綻していったのと軌を一にし、イスラーム過激派の側も「テロとの戦い」に適応し、変質していった姿だ。「イスラーム国」もそうして変質した団体の例外ではないのだが、「なぜあいつらは認められ、うちはそうじゃないのか??」という問いが今般の論説で論じられている。どうやら新しいシリアは、シャーム解放機構首領のアブー・ムハンマド・ジャウラーニー(本名:アフマド・シャルア)を最高権力者とする素晴らしい政体になりそうなのだが、今般「イスラーム国」が持ち出した「ジハード戦士の家畜化」をキーワードにしてジャウラーニーの歩みを回顧すると、今後の方向性がよりはっきりしそうだ。
イラク・イスラーム国の下っ端ジャウラーニー
今般の事態の展開に対する好悪の感情を抜きにしても、ジャウラーニーがアル=カーイダのフランチャイズだったイラク・イスラーム国の構成員だった事実は覆しようがない。同人が率いるヌスラ戦線は、遅くとも2012年初頭にはシリア紛争戦場に姿を現した。ジャウラーニーは、2003年にシリアからイラクに潜入してアル=カーイダの構成員になったらしい。シリアからイラクへのイスラーム過激派戦闘員の潜入については、いくつかのストーリーが(意図的に)ごちゃまぜにされて事実関係について諸説ある。例えば、2003年のアメリカのイラク侵攻の直前は、当時のイラクとシリアの両政府の公認の下、シリアからイラクへと「義勇兵」が入国した。しかし、短期間にイラクが敗北したことにより、これらの「義勇兵」の多くは情勢に何の影響も与えないままいなくなった。一方、その後イラクでの反アメリカ武装闘争が激化すると、アメリカはその責任を転嫁するかのようにシリア政府がアメリカを妨害するためにイスラーム過激派をイラクに送り込んでいると主張するようになった。ジャウラーニーは、恐らく後者の文脈でイラク入りしたのだろうが、そこでアル=カーイダ(現在の「イスラーム国」)の構成員となり、シリア紛争に乗じてシリアに舞い戻った。このストーリーに基づくと、アメリカに嫌がらせしようとして利用したはずのイスラーム過激派が、シリア政府の統制を脱し、却ってシリア政府に仇をなしたということになる。当時のイラク・イスラーム国、そしてその仲間だったアル=カーイダが、その名義を隠してシリア紛争に便乗しようとしてヌスラ戦線をシリアに送り込んだのを明言したのは、2013年4月9日に発表された、アブー・バクル・バグダーディー(当時のイラク・イスラーム国の首領。のちに「イスラーム国」の初代自称カリフ)の演説だ。この演説は、ヌスラ戦線を自派のフロントと認めた上で、イラクとシリアとの活動を統合して「イラクとシャームのイスラーム国」へと改称すると発表するものだ。バグダーディーは、ジャウラーニーを自派の「兵士の一人」とはっきり述べた。これに対し、ジャウラーニーは翌日に演説を発表し、活動の統合と改称について「事前に相談を受けていない」と反発し、独自に当時のアル=カーイダの指導者だったアイマン・ザワーヒリーに忠誠を表明した。つまり、ジャウラーニーがアル=カーイダの構成員であり、それを隠すためのヌスラ戦線を名乗ってシリア紛争に参戦したことは、当の本人たちによって公にされた事実だ。しかも、同人は「イスラーム国」からは上記のような重大決定を「事前に相談」するまでもない下っ端構成員とみなされていた。
ところが、シリアの「反体制派」とその仲間たちは、ヌスラ戦線がアル=カーイダやイスラーム過激派であることをかたくなに否定し続けた。彼らは、シリアでイスラーム過激派が暴れているのは、「革命」や「反体制派」を貶めたり、シリアを経営する主体としてイスラーム過激派以外に代替案がないと主張したりするためのアサド政権の陰謀だと決めつけた。このストーリーは、イラクでアメリカに嫌がらせをするために利用したはずのイスラーム過激派が増長してアサド政権に仇なしたとのストーリーと整合性を欠く。また、アメリカ政府は2012年12月にヌスラ戦線をイラク・イスラーム国の別名としてテロ組織に指定したのだが、シリアの「反体制派」はヌスラ戦線を革命の担い手だとして擁護し、指定の撤回を要求した。ヌスラ戦線がアル=カーイダやイスラーム過激派ではないという主張は、上記のとおり事実に反する。となると、シリア「革命」はイスラーム過激派が担っているとしか解釈しようがないストーリーが新たに生まれたことになる。
「イスラーム国」とアル=カーイダ/ヌスラ戦線とが決裂すると、ヌスラ戦線をアル=カーイダから分離し、(イスラーム過激派ではないということにして)同派を国際的に支援しようとする策略が弄された。その推進者が、カタルとトルコで、これが功を奏して2015年にはヌスラ戦線によるイドリブ県占拠が達成され、2016年にはめでたく(?)ヌスラ戦線とアル=カーイダとの「分離」が宣言された。ヌスラ戦線がアル=カーイダから「分離」すれば、前者はテロ組織ではないので支援してもかまわないという論法が成り立つと考えられたのだ。しかし、この「分離宣言」、宣言と同時にアル=カーイダの幹部らしき人物がこれに「理解を示す」演説が発表されたため、「分離は偽装である」と疑われ続けた。
アル=カーイダとヌスラ戦線は、「分離宣言」から間もなく仲たがいした。ヌスラ戦線が、占拠地域での権力を独占しようとして、戦列を共にする他のイスラーム過激派諸派の制圧・解体に努めたからだ。アル=カーイダは、複数のイスラーム過激派諸派が個別にアル=カーイダとつながりつつ緩やかな連合を形成する状況を作りたかったようだが、ヌスラ戦線の権力独占志向がこれに反したのだ。アル=カーイダは「指揮権」を発動してヌスラ戦線による他派の制圧・解体を防ごうとしたが、ヌスラ戦線がこれに従わなかったことが両者の仲たがいを決定的にした。つまり、ヌスラ戦線が決別したのはアル=カーイダではあるが、イスラーム過激派としての思想や信条ではないということだ。イスラーム過激派間の忠誠表明は一種の契約関係なので、いずれかの都合で廃棄や更新ができるものらしいのだが、ここでのアル=カーイダとヌスラ戦線との忠誠関係は、シリア紛争の中でどう振る舞うのか、という戦術的な問題だということがよくわかる。つまり、ジャウラーニーは現世的な利害得失の判断に基づいてトルコやカタルの働きかけに応じてアル=カーイダと「分離」し、やはり占拠地域の権力独占という現世的な成功のためにアル=カーイダと仲たがいしたのだ。
「解放」の指導者ジャウラーニー
シャーム解放機構と名乗るようになった後も、ヌスラ戦線(そしてジャウラーニー)はイスラーム過激派であり、「イスラーム国」を含む他のイスラーム過激派の協力者・共犯者であり続けた。例えば、「イスラーム国」の歴代自称カリフのほとんどを含む同派の幹部とその家族は、シャーム解放機構の占拠地に好んで潜伏し、占拠地の治安を排他的に管理しているはずのシャーム解放機構は「知らなかった」とすっとぼけ続けた。自称カリフを含む「イスラーム国」の幹部がシャーム解放機構の占拠地に好んで潜伏しており、シャーム解放機構がそれをすっとぼけるという状態は、今後のシリアがどういうものになるのかを考える上で大いに参考になる。また、何度でも繰り返すが、トルキスタン・イスラーム党や、アンサール・イスラーム団という外国起源のイスラーム過激派も、シャーム解放機構の統制下で、「テロ組織」としての追求を受けることなくのんびり暮らしている。アンサール・イスラーム団は、2005年にイラクで邦人殺害事件を引き起こしており、本邦がシャーム解放機構の支配する「自由で民主的な」シリアとお付き合いする際に絶対に忘れてはならない懸案だ。
イスラーム過激派として上記にとどまらない数々の実績を誇るシャーム解放機構がシリアで「国際的な」承認と歓迎を受けつつ権力を奪取したことは、「イスラーム国」からは真のジハードに邁進する自派を攻撃するため、十字軍同盟がシャーム解放機構らを動員していると見える。そうした状態を、冒頭で挙げた論説はアメリカやユダヤが自称ジハード戦士を一定の領域内での権力を餌に調教して家畜化し、「イスラーム国」討伐に利用していると主張するのだ。「イスラーム国」も既にアメリカやイスラエルを攻撃しませんと宣言したも同然の状況なので、この論説は読み方によっては「うちにもどこかの権力をください」というお願いにもとれる。「イスラーム国」が論説で主張するとおり、あくまでイスラーム統治実現のため闘い続けるのか、それとも十字軍同盟から何か餌をもらって家畜となるのか、大いに見ものだ。現在「国際社会」が取り組んでいるのは、かつて人類が狼、野牛、イノシシを調教・家畜化し、犬、牛、豚へと飼いならしたのと同様に、イスラーム過激派を飼いならすという歴史的どころか文明的な壮挙らしい。