シリア:続・続部族を制すればシリアを制する
現在、シリア北東部(ハサカ県、ラッカ県、ダイル・ザウル県)を中心とする地域はシリア民主軍(SDF)というアメリカに支援された民兵に制圧されている。この地域ではクルド民族主義勢力の一派である民主統一党(PYD)による自治体制が構築されているが、当該地域の政治・社会問題の一つに、PYDによる自治体制下にはクルド民族主義やその政治目的を支持しないし、共感もしていないアラブの住民が多数暮らしていることがある。もちろん、自治当局も主に地元のアラブ諸部族が動員した民兵をSDFの傘下に収めたり、アラブの裁量を認める形での統治制度を整備するなどの懐柔策を講じたりしている。しかし、それではアラブの住民はクルド民族主義勢力による自治のおまけか従属者に過ぎないので、権益配分への不満や「もっとよこせ」という声も絶えない。こうした流れを受けて、2023年8月末から、ダイル・ザウル県のユーフラテス川左岸地域でアラブの諸部族の民兵とSDFとの間でしばしば戦闘が発生するようになった。
2023年夏の交戦のアラブの部族側の指導者となったのは、アカイダート諸部族の指導者の家系の一つの出身のイブラーヒーム・ハフルだった。この時点で、ユーフラテス川左岸に住むアカイダート諸部族の者たちは、同部族出身のアフマド・ハビールが率いる「ダイル・ザウル軍事評議会」なる民兵組織を形成し、SDFに加わっていた。ところが、2024年2月22日付『シャルク・アウサト』(サウジ資本の汎アラブ紙)によると、このハビールがSDF内での影響力を利用してアカイダード諸部族の指導権を奪取しようとしたことから、SDFが同人を追放し、SDFとハビール、同人と結んだハフルが率いるアカイダートの一部との交戦に発展したそうだ。
現在、SDFとアカイダートとの対立は第二ラウンドと呼ぶべき局面にあるようだ。というのも、SDFと決裂する以前はハビールもハフルもシリア政府に反対する立場だったはずなのだが、8月末以来の交戦で不利になったハフルがシリアの首都ダマスカスに逃亡し、そこでダイル・ザウル出身の諸部族やシリアの軍・治安機関の支持を募って反SDF武装闘争を継続しているからだ。「アラブは部族社会」という安直な認識をしている者にとっては、本稿に登場したアカイダートをはじめとするアラブの諸部族は、部族民は国家よりも部族に忠誠を誓い、部族は強力な政治経済・軍事的動員力を誇り、部族民も個人的にかなりの重武装をしている、と思われるかもしれない。確かに、シリアでもアラブに限らず影響力や団結力が強い部族があり、部族やその指導者の動向が個々人の政治的立場を決定する要因となっている場面があることは否定できない。また、部族の人々がと市民はもちろん、警察程度の治安部隊では手に負えないくらいの武力を持っていることを示す事例もしばしば発生している。
しかし、少なくともシリアでは、部族の軍事力が国家をしのぐなどというお話は遠い昔話だ。というのも、部族やその指導者は常備軍やそのための装備・訓練・兵站機能を擁しているわけではなく、部族の民兵は原則として何か用事がある時に自弁の装備を持ち寄って集まる、言い方によっては烏合の衆みたいなものだからだ。となると、部族の民兵が国家権力に対抗するためには、国境を越えるくらいの広範な連合を形成して兵站や避難場所を確保したり、今般SDFがやっているようにアメリカなど外部の支援者を確保したりするほかない。そうでないと、アラブの諸部族はSDFという、やはりこちらも国家のように資源や組織力があるとは限らないが、部族よりも若干組織的な軍事力とアメリカという強力な後援者を擁する団体には「まるで歯が立たない」ということになる。そのため、シリアの諸部族もシリア・アラブ共和国独立以降は部族の代表者を国政や地方自治体の議会、そして与党(この場合はバアス党)に人材を供給するなどして、近代的なシリア国家と提携して自らの地位の維持・向上を図るようになった。その見返りに、諸部族は政府・与党が社会に浸透する経路として機能している。
今般、ハフルがシリア政府の支援を仰いでSDFとの抗争を継続する道を選んだということは、元々は「反体制派」民兵を率いていた同人らがシリア政府に「帰参」したことを意味する。ダイル・ザウル県のアカイダート諸部族は、ユーフラテス川左岸に住む者たちが「反体制」路線の継続やSDFへの従属を選び、ユーフラテス川右岸に住む者たちが政府の統制下に入った。ユーフラテス川左岸を地盤とするアカイダートの指導者の一部は、今でもシリアの人民議会の議員だ。つまり、シリア政府から見ると、SDFの内輪もめの結果アカイダートの有力者の一部がこちらに寝返り、政府の制圧地の外にあるユーフラテス川左岸地域に対する影響力拡大に成功したということになる。これを受け、政府はハフルとその仲間たちにユーフラテス川右岸のマヤーディーン市に訓練拠点を提供し、ハフルらはここを拠点にSDFへの武装闘争を継続することとなった。
上記の『シャルク・アウサト』の報道は、地元の記者や専門家の解説として、イブラーヒーム・ハフルとシリア政府との関係が地元で非難を浴びており、ハフルらの武装闘争が住民の支持を受けて大規模な蜂起につながる可能性に否定的だと論じている。もっとも、シリアの報道関係者や知識人、特に「反体制派」寄りの知識人らは、同国の地方の地縁・血縁集団として強固に存在するはずの部族に対し、軽視・蔑視でしか臨んでこなかった。このため、シリアの政情で部族についての論調は、部族を過小評価するものになりがちだというところには常に気を付けなくてはならない。
ここまでで重要なのは、発生時点ではSDFとその制圧下の住民との権益争いだった武力衝突が、現在はシリア政府によるSDF切り崩しの一環へと性質を変え、第二ラウンドとして展開中だということだ。繰り返すが、SDFの制圧地の住民のうち、アラブの諸部族を含む非クルド人は、クルド民族主義とその政治目標を支持していないし共感もしていない人々だ。この傾向は、筆者も参加した世論調査でも明らかになっている。SDFの制圧地での自治は、PYDが権力を独占し、その他のクルド民族主義諸政党や非クルド人の政治勢力を排除するものだ。そのため、SDF制圧下での自治に反対する者、不満を持つ者に対しては、「武力で弾圧する」が第一の選択肢となる権威主義的なものとならざるを得ない。シリア紛争が「悪の独裁政権対自由と民主主義を希求する善良な人々」との対決という単純なものではないことはずっと以前から明らかだが、部族の動向や彼らへの対処という観点からも、シリア人民を疎外した諸当事者による勢力争い、陣取り合戦の様相が強まっているということだろう。