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【函館市】サケ缶事業の始まり。北洋漁業の成長と缶詰製造発展の鍵となった函館出身の人物『平塚常次郎像』

しらたま。地域ライター(函館市)

ひっそりと建ち、近くを通ると何気なく目にしていた人物の像。
函館アリーナ敷地内にあるこの像は『平塚常次郎像』

今回はこちらの像についてご紹介させていただきます。

基本情報

場  所:北海道函館市湯川町1丁目32

「平塚常次郎」は元町公園にある四天王像として建てられている1人、「平塚時蔵」の甥にあたる人物で1881年(明治14)に函館で生まれ育った人物です。

1898年(明治31)には札幌露精語学校にて2年間ロシア語を学び、退学後に入隊し、1905年(明治38)に除隊。
北洋漁業ロシア領カムチャツカで漁業資源の調査に従事している間に、アムール河畔の漁場で堤清六と出会い"日本を世界に押し出す"という夢を持ち、再会の約束をします。

青い空が似合います
青い空が似合います

その後、日本で再会した平塚常次郎は堤清六とともに新潟市に「堤商会」を設立。
この「堤商会」は現マルハニチロの前身となる会社です。

サケ事業を目指し堤清六が購入した帆船「宝寿丸」で出漁した際に大量のサケを積んでくるも、シロサケやギンザケなど白い身のサケに慣れていた当時の日本人にとって、紅サケの真紅な肉は馴染みがなく高値で売ることができなかったのだとか。

サケが泳いでいるようなデザインです
サケが泳いでいるようなデザインです

翌年ウスチ・カムチャツカの2漁場を落札し宝寿丸、喜多丸で出漁した際に缶詰に着目。
2人は缶詰製造に踏み切る決意を固めカムチャッカに工場を建設し大量生産に成功した後、日本最初の衛生缶を使用した缶詰の工業的な大量生産を開始しました。

これを機に堤商会は北洋漁業を中心に世界有数の漁業会社へと成長を遂げたそうです。

周りにベンチもあります
周りにベンチもあります

ともに「堤商会」を設立した堤清六の没後、川上・窪田の後を受け、平塚常次郎は昭和13年に社長に就任します。
1年足らずで公職を追放されるも、昭和27年日魯社長に再就任し北洋漁業の再建に尽力。

その英姿を称えて建てられたのが『平塚常次郎像』です。 
函館アリーナが建つ前は市民会館前庭の噴水の中に立っていました。

函館アリーナと『平塚常次郎像』
函館アリーナと『平塚常次郎像』

噴水の中にあった時はよく見かけていた方も多いのではないでしょうか。

筆者も今回「平塚常次郎」について知り改めてじっくり見たいなと思いました。

皆様も、この機会にぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

◎『平塚常次郎像』◎
・場  所:北海道函館市湯川町1丁目32(Googleマップ)
・参  考:「函館市文化・スポーツ振興財団」公式サイト(外部リンク)
・参  考:「マルハニチロ」公式サイト ヒストリーページ(外部リンク)

地域ライター(函館市)

食べもの・イベント・風景など様々なものを通して函館の街の情報を発信していきたいと思っています。函館市の新しい発見や素敵なところの再確認を一緒にしていけると嬉しいです。

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