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【函館市】圧巻の迫力。函館の繁栄と発展の基礎を築いた偉人の像『高田屋嘉兵衛銅像』

しらたま。地域ライター(函館市)

市電「宝来町」徒歩 約2分の場所にたたずむこちらの『高田屋嘉兵衛銅像』

今回はこちらをご紹介させていただきます。

基本情報

場  所:北海道函館市宝来町

高田屋嘉兵衛像
高田屋嘉兵衛像

高田屋嘉兵衛が初めて箱館に来航したのは、1796(寛政8)年のこと。
当時、近江商人が食い込む松前・江差が栄えていたのに対し、箱館の人口はわずか3000人の寒村だったそうです。

後にペリーが「網知らずの港」と激賞した箱館港を高田屋嘉兵衛は安全性を重視した基地とし、造船や海運業などを手がけます。

1801(享和元)年に国後航路の発見・択捉島開拓の功により幕府から「蝦夷地常雇船頭」を任じられ、苗字帯刀を許された高田屋嘉兵衛は自身の財とともに今の函館の基礎を築いた人物です。

当時の箱館にあった全建物の半分にあたる350戸を焼失する大火が、1806(文化3)年に発生します。
高田屋の店舗も被害にあいながら、住民に米や古着を配ったほかハマグリの養殖や松や杉の移植など巨大な富を地域復興に投じ、箱館の都市形成に大きな役割を果たしてくれたそうです。

これらを含む功績を称え箱館開港100周年を記念して1958年、函館出身の彫刻家・梁川剛一氏によって、かつて嘉兵衛の屋敷があった宝来町に建てられたのが『高田屋嘉兵衛銅像』です。

目が合うような気がします
目が合うような気がします

後ろ姿
後ろ姿

この銅像はゴロヴニン事件で幕府の代理人としてロシアの軍艦「ジャーナ」へ乗り込んだ際の、正装の仙台平の袴、白足袋、麻裏草履を履き帯刀した姿なのだとか。

銅像の姿がいつのものなのか、どうして建てられたかなどの背景を知ると、今までと見え方も違ってくる気がしますね。

函館山と高田屋嘉兵衛銅像
函館山と高田屋嘉兵衛銅像

また、天気がいいと函館山も見ることができるため、より壮大さを感じられ迫力が増します。

たまたま通りがかった方も思わず写真を撮ってしまう『高田屋嘉兵衛銅像』。

函館の街並み・基礎を築いた歴史を感じに、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

◎『高田屋嘉兵衛銅像』◎
場  所:北海道函館市宝来町(Googleマップ)
アクセス:市電「宝来町」徒歩 約2分
駐車場 :なし(公共交通機関または近隣有料駐車場をご利用ください)
参  考:函館市公式観光サイト「はこぶら」(外部リンク)
※銅像を見る際は車や建物・周りの人などに気を付けてお楽しみください。

地域ライター(函館市)

食べもの・イベント・風景など様々なものを通して函館の街の情報を発信していきたいと思っています。函館市の新しい発見や素敵なところの再確認を一緒にしていけると嬉しいです。

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