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【東京】世田谷区の代田は「伝説の巨人の足跡」が地名の由来ってホント?

旅人間はらぺこライター

はらぺこライターの旅人間です。

今回は関東に多くに残る「巨人伝説」について少し考察してみたいと思います。信じるか、信じないかは…あなた次第!になりますが…。

ここは小田急線「世田谷代田駅」です。ここに巨人伝説に関わる興味深い案内『代田と「ダイダラボッチ」』があります。

ダイダラボッチの「ダイダ~」→「代田」になったってことか。なるほど…!

足跡がドーンと描かれ、そこにある説明を読んでみると…

代田という地名は「ダイダラボッチ」に由来するという説があります。
「ダイダラボッチ」は伝説上の巨人で、「山を背負って運び、足跡は沼湖になった。」という天地造像の民話として語り継がれてきました。
かつて代田の北東部に湧水により形成された低地があり、巨人の足跡に見立てて「ダイダラボッチ」と呼んだともいわれています。

と、まぁ~こんな説明があるのですが、以前にYahooの記事で紹介した神奈川県相模原市の巨人伝説と似ています。

相模原市の巨人伝説

ちなみに、相模原市では「ダイダラボッチ」ではなく「でいらぼっち」と呼ばれています。富士山を背負ってやって来て、休憩しようと富士山を置いたら根が生えて動かなくなり…でいらぼっちは地団太を踏んで悔しがったというお話です。

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巨人伝説の真相って何だろう?

諸説様々ですが…

昭和の初め頃まで、関東には大きな沼や窪地が所々にあり、それは「巨人の足跡」と語り継がれるようになった。というのが一般的な通説のようです。

また、それは「国造りの神に対する信仰」とも考えられています。つまり、大きな力を持った大男が山や沼を作ったという考えではなく、山や沼など自然地形を創造した偉大な神に対する信仰といった考え方です。

ところが…

その信仰は時代と共に変化し、衰退していきます。偉大な神は次第に ”力持ちで大足の巨人”となり、「大地を堀って山と湖が、足跡が沼に」といった伝説に変化していった。

そんな感じでしょうか? もちろん、真実は分かりませんが…。

代田の巨人伝説について

この代田に関しても、都市開発が進み、埋め立てられ当時の状態は全く分かりません。ダイダラボッチの足跡がどんな感じに見えていたのか?本当にあったのか?なかったのか?分からないのです。

とは言え…

日本民俗学の開拓者である 柳田國男は著書『ダイダラ坊の足跡』の中で「長さ約百間もあるかと思ふ右片足の跡が一つ、爪先あがりに土深く踏みつけてある」と具体的に生々しく表現しています。やっぱり、巨人の足跡はあったのかもしれませんね。

ここは信じるか?信じないか?になりますが、いわゆる日本の昔話、ここは素直に信じるロマンを持っておきたいなぁ~と個人的には考えています。

ちなみに、現在…世田谷代田駅の駅前広場には「巨大な足跡」が描かれています。

代田にあったとされる巨人の足跡はどの辺りにあったのか?

ただ、色々と調べてみると…

代田にあったと伝わるダイダラボッチの足跡は、この小田急線「世田谷代田駅」付近ではなく、京王線「代田橋駅」付近だったよう。

柳田國男は著書には「ダイタの橋から東南へ五六町」と書かれているらしく、現在の「もりやまテラス(旧守山小学校)」付近ではないか?と伝わっているのだとか。

地名の由来は巨人とは関係ないという説も…

最後になりますが…「代田」という地名は、巨人伝説などではなく豊臣秀吉の小田原攻めで敗北した北条側であった世田谷城城主・吉良氏朝の家臣が代田七人衆と呼ばれていたといったことに関係しているといった説もあるそうです。

つまり、戦に負けた武士たちが刀を鍬に代えて開発したのが代田の始まりだとも…。

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最後に…

実際のトコロ…やはり真実は分かりません。

でも、分からないから人々はアレコレ想像し、色んな物語が生んだりするのでしょう。古くから日本に伝わる民話や物語って、やっぱり興味深いですね。

世田谷代田駅の駅前広場
地図(外部リンク)
※参考:Wikipedia(外部リンク)

はらぺこライター

旅行好きのライター。各地に伝わる伝説や民話、古くから地元で大切にされているモノを親しみやすく紹介したい|地元で人気の食堂やレトロな喫茶店巡り|”思わずクスッと笑ってしまうような”珍スポット探し|目標は個性的でヘンテコな旅本の出版|フォローして頂けたら嬉しいです。

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