公立学校の先生は本当に「定額働かせ放題」なのか?給特法と給特法廃止論、双方に大問題
公立学校の教員には残業代が出ない。給特法という特別法で、約50年前にできた制度がずっと続いている。その代わり月給の4%が加算されているが(教職調整額)、これでは「定額働かせ放題」だとして、給特法はたびたび批判されてきた。一見わかりやすい主張だが、本当にそうなのだろうか。今日はこの問題を考える。
西村祐二さん(公立高校教員)や内田良さん(名古屋大学教授)らが「月100時間もの残業を放置する「定額働かせ放題」=給特法は抜本改善して下さい!」というオンライン署名を集めて、先日(7月29日)記者会見を行った。4万人以上が署名するなど、多くの人の賛同を得ている。
※署名サイトはこちら
※給特法の正式名称は「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」で、条文はこちらから確認できる。
わたしはこうした問題提起に共感する部分もある一方で、疑問ももっている。「給特法こそが学校の長時間労働の元凶」とする見方、あるいは「給特法を改正すれば、教員の業務が適正化に向かう」という見立ては、本当にそうなのだろうか。給特法に問題が多いのも事実だが、給特法悪玉論にも大きな問題があるのではないか。
■給特法には確かに、とても深刻な問題がある。
まず、西村先生らの呼びかけに賛成する部分について述べたい。
給特法ができたのは1971年(昭和46年)で半世紀も前。当時と今では教員の置かれた状況は大きく異なっており、はるかに多忙だ。立法当時に前提としていた状況ではなくなっている。少し専門用語を使うが、立法事実が失われている可能性があるし、給特法は第一条からして疑問だ(公立学校の教員だけ特殊扱いしている)。
それに現実問題として、給特法の下では、教員が時間外に授業準備や採点、コメント書き、部活動などでいくら従事しても、校長の指揮命令のもとではないからという理由で、これまでの最高裁判例等でも「労働」、あるいは「労働時間」と見なされないケースが多かった。
参考までに、京都市立の小学校と中学校の教諭が訴えた裁判(京都市事件)では、研究発表校になったことなどから発生した授業準備や新規採用者への支援・指導、テストの採点、部活動指導等が問題視された。これについて最高裁は次のように述べている(平成23年7月12日判決、「」内は判決文より引用、こちらから参照可能)。
つまりは、先生たちは勝手にやってたんでしょう、と言わんばかりだ。しかし、テストの採点や授業準備等は、学校、教員の仕事の一環であり、決して先生たちの個人的な、趣味の活動ではあるまい。また、通常、部活動は勤務時間外に及ぶことがほとんどだ。17時の定時までは労働で、それ以降は、校長は時間外の命令をしていないのだから労働ではない、というのは、常識的に見ても、おかしな話だ(蛇足だが、定時の時間は自治体によって多少異なる)。
仕事しているのに、労働とみなされないなんて、一生懸命子どもたちのために頑張っている先生たちに誠に、たいへん失礼な話だと思う。
また、悪名高い給特法が、学生らの教員志望を遠ざけているのも、おそらく事実だろう。学生等の多くは、学校の長時間労働をとても気にしており(次のグラフ)、また、「ちゃんと働いているのに残業代も出されないなんて、やりがい搾取だ」と感じている人も少なくない。日本若者協議会の大学生らへの調査でもその点は示唆される(ただし、全体の回答数は211でそれほど多いわけではなく、SNS等で呼びかけたものなので、バイアスがおそらくある点には注意)。
■校長等の時間管理意識は低いのか?
次に、西村先生らの主張について、疑問点や批判的に考えるべきところについてお話ししたい。
給特法悪玉論にも、論者によって多少のちがいはあろうが、おおよそ共通しているのは、以下のロジックである。なお、少し前に(4月27日)放送されたNHKのクローズアップ現代でも似た話が紹介されていた。
給特法によって、公立学校の教員には残業代が出ない。(a)
↓
残業代を出さなくてよいので、教育委員会も学校側(校長等)も残業(休日勤務を含む)へのコスト意識が生まれず、残業をさせることや仕事を増やすことに抵抗感は少ない。時間管理も甘くなる。
企業では高額な残業代(割増賃金)を出すことをためらうために、業務量の削減や調整などが行われるが、学校はそういうインセンティブが働かない。(b)
↓
教員の残業が常態化している。(c)
↓
給特法を抜本的に改めるべき。(d)
(a)と(c) は事実だ。(c)は学校ごと、個人ごとに差はあるが。問題は(b)である。あるいは(b)から(c)への流れである。
たしかに、教育委員会や学校のコスト感覚があまりにも低い、と思うことは多々ある。
例えば、日常的な掃除や学期末などの大掃除をするのは、ほとんどの学校で児童生徒と教職員だ。これが県庁や市役所では、業者委託であることが多く、職員は掃除しない。予算不足のために、学校が子どもたちを巻き込んで自前で掃除をするようになった経緯、歴史があるらしいが、本来は必要だったコストを払わないまま、こんにちまで来ている。
コロナ対応だって、濃厚接触者の特定など、保健所の代行的なことを教頭らが手当もなしにやっている地域もある(手当を出している地域もあるが、多少の手当が付いたとしても、24時間気が抜けず、ストレスフルだと聞く)。
また、本業である授業についても、いわゆる「ゆとり教育」への批判以降、文科省はカリキュラムを増やし続けている。教科書も厚くなっている。週休1日でやっていた頃の授業時間と同じ量を、週休2日の今日に詰め込んでいるので、当然、先生たちも、子どもたちにとっても、かなりの負担になっている。
これらの例のように、残業代、追加的な予算投入のことを考えなくていいので、文科省や教育委員会は、学校や教員の仕事を増やしやすかった、という側面は、おそらくあった。
しかし、上記(b)の事実認識、ロジックには問題もある。
タイムカードすらなかった数年前までならいざ知らず、ここ数年では、教育委員会も校長、教頭も、ほとんどの管理職らが教員の業務負担軽減を進めようとしている。在校等時間(≒残業時間)の把握もするようになったので、給特法のせいで校長等の時間管理の意識が甘い、という主張は、少なくとも、ここ数年の事実を正確に捉えていない。
むしろ、教育委員会、校長らが「早く帰りましょう、時間外を減らしましょう」と強く呼びかけすぎているために、勤務時間の過少申告、虚偽申告まで起きている。勤務時間をごまかして、その場しのぎをする組織体質は、教員志望者を減らしている、と私は見ているが。
給特法悪玉論では、「残業代というサイフが痛まないために、まだまだ管理職等は、声がけ程度で、本腰を入れて業務削減に取り組んでいないのだ」と主張するかもしれない。
その通りかもしれないが、実際のところはよくわからない。現行でも、教員の負担軽減は進めたいが「何をどうしたらよいかわからない」と言う校長等もいるし、「保護者等の反対があること(部活動の縮小などが典型例)がなかなか進みにくい」という声をよく聞く。給特法がなくなると、こうした事態は変わるのだろうか?
上記のような校長等の「できない、できない」という言い訳は、私から見ると、甘えであるとも映るが、給特法のせいでそうなっているかと言われれば、疑問だ。(校長もつらい立場のところもあると理解しているが、もっとしっかりしてほしい。)
■給特法適用外の私立学校や国立附属学校でも、労働実態は大問題。
現に、給特法悪玉論には有力な反証、反例がある。
私立学校、それから国立附属学校(例:〇〇大学教育学部附属学校)は、給特法適用外である。だが、時間管理や業務量の削減に非常に熱心に取り組んでいる学校・校長等もいれば、そうではない学校・校長等もいる。
たとえ残業代が公立学校でも出るようになったとしても、それは校長が時間外勤務を認めた場合に限るなどとされ、結局はサービス残業が多いままになる可能性だって高い。実際、私立学校、国立附属などでよく起きていることだ。給特法を改正すれば、教員の超過勤務はよくなるはず、というのは、少なくとも、こうした事実を見る限りでは、懐疑的にならざるを得ない。
給特法悪玉論は、「給特法さえ変えれば」というシングルイシュー化することで、物事を過度に単純化するとともに、かつ、根拠の薄い楽観論が下敷きになっているように思う。
問題の本質はどこにあるのか。詳細を論じると長くなるので、短く述べるが、私からは2点申し添えたい。ひとつは、教員の負担を軽視して、学校と教員のやるべきことをビルド&ビルドで増やしてきた文部科学行政には反省すべきことが多いと思う。
もうひとつは、校長等の登用・育成と人事評価の問題である。業務負担軽減に熱心な人材が校長として、登用・評価されていない可能性がある。(記者会見でワーク・ライフバランス社の小室さんも校長評価の問題に言及していた。)給特法を改正せずとも、校長の登用・育成と人事評価を改善することは、いまからでも着手可能だ。
■給特法は、定額働かせ放題ではない。
もうひとつ、大きな疑問がある。「定額働かせ放題」というキャッチーな給特法批判は、事実を歪曲しているのではないか。
給特法があってもなくても、校長ならびに教育委員会には、教職員の健康を害することがないよう配慮する義務(安全配慮義務)がある。校長、教育委員会の中で、教員は「働かせ放題」だと考えている人がいれば、安全配慮義務違反の可能性があるし、校長等の資質としておおいに疑われる。給特法があってもなくても、そうした問題のある校長等には然るべき処分で退場していただく(校長を辞めてもらう)のが筋だろう。
参考:安全配慮義務が争われた最近の裁判例
⇒過重労働の教員が裁判で訴え、勝ち取ったこと:校長、教育委員会にはどんな責任があるのか
それに、給特法は、教員の長時間労働を抑制するために、時間外勤務命令を出せる場合を限定している、とも読める。しかも、第6条第2項では、超過勤務させる場合を定める政令は「教育職員の健康と福祉を害することとならないよう勤務の実情について十分な配慮がされなければならない」としている。
つまり、給特法は、決して「働かせ放題」を推進する法律ではない。むしろ、本来の趣旨は、教員の健康を守ること、長時間労働を抑制することのほうに力点にある。
学校の長時間勤務は常態化しており、給特法の趣旨、前提から乖離しまくっているのは事実だ。給特法の本来の趣旨をきちんと理解して、推進していないのだとすれば、その責任は、文科省にも、教育委員会にも、多くの校長にもある、とは思う。
念のために申し添えるが、学校の長時間労働が問題ではない、などとは私はまったく考えていないし、給特法に問題がないとも思っていない。だが、給特法のせいで長時間労働がいつまでも解消しないのだ、と断じることには、本当にそうなのか、もっと問題の本質を慎重に捉えるべきだと申し上げている。
給特法のせいよりも、前述のとおり、文科行政等の問題と、安全配慮義務をはじめとする労働安全衛生があまりにも、学校では脆弱なことが問題視されるべきだと、私は捉えている。各学校、教育委員会は、労働基準法(時間外手当の項目など一部を除いて、ほかの条文は公立学校教員にも適用されている)や労働安全衛生法の規定と趣旨をしっかり守るようにしていく必要がある。
■副作用が大きすぎる、給特法の早急な改正。
加えて、早急に給特法を改正して、時間外勤務手当を出していくのは、マイナス影響、副作用も大きい。ここでは2点あげておこう。
第一に、働き方改革を阻害する方向にも働きかねない。
というのは、長時間労働の是正にあまり熱心でない学校、教員で、ダラダラ仕事をしているわけではないかもしれないが、かなり遅くまで残っている人は、残業代がそれなりに支給される。一方で、育児または介護などがあって、働き方を工夫して頑張っている先生にとっては、いまの教職調整額はおそらくなくなる分、給与ダウンし(これは退職金にも響く)、かつ残業代はそれほどもらえない。これでは、モチベーションは大きくダウンする人も出てくるのではないか。
働き方改革や業務改善に熱心な学校、人ほど、損をする制度が望ましいと、言えるだろうか。
第二に、時間外勤務手当として多額の財政負担を国・地方自治体が行う場合、そのぶん、ほかの予算は削られるか、抑制されると考えるのが、常識的な見方だろう。国でも自治体でも、医療や福祉などの社会保障関係経費の負担がどんどん重くなっており、少子化が進む学校教育への予算投入には消極的な見解が支配的である。つまり、時間外勤務手当を出す分、おそらく教員定数の増加や教員以外のスタッフの増加などは、さらに夢のまた夢となるであろう。
署名に賛同するかしないかは個人の考え方なので、とやかく申し上げるつもりはないが、賛同した4万人近い方に聞いてみたい。残業代が出るようになることと、教職員数が増えることと、優先度の高いのはどちらなのか?
ちなみに、教職員定数を決めている義務教育標準法も、約半世紀前から、骨格(学級数におうじて教員数を算定することなど)は変わっておらず、大問題である。(詳しくは拙著に書いた。『先生を、死なせない。教師の過労死を繰り返さないために、今、できること』。)
繰り返すが、給特法にも問題も多いので、現行のままでよいとは思わない。しかし、かといって、今すぐ廃止することは、副作用も含めて、よくよく考えていかないといけない。「定額働かせ放題」というキャッチフレーズのもと、一時の雰囲気で性急に改正しては、こんなはずじゃなかった、という事態になりかねない。
給特法を改正さえすれば、教職員も子どもたちもハッピーになる、というのは、以上述べたとおり、疑問点が多く、楽観的すぎる。もっと多面的に現状と影響を考えつつ、あり方を議論するべきだ。
◎妹尾の関連記事
●ヒーローが現れるのを待つな――スーパー校長ばかりに期待してはいけない
●先生はスーパーマンじゃない。――なぜ、学校はすごく忙しくなったのか?