復興が終わらないまま始まろうとする「復興五輪」の正直な姿
フーテン老人世直し録(569)
弥生某日
「十年一昔」というが、東日本大震災から10年目を迎えた日に感じたのは、震災は10年経っても終わっておらず、今も続いているという現実である。
2500人以上と言われる行方不明者の捜索は今日も各地で行われた。東京電力福島原子力発電所の廃炉作業は、事故から40年後の完了を目標にしたが、工程は大幅に遅れて先行きが見えないまま、今日も4000人体制の作業が続けられている。
東京五輪誘致の際、安倍前総理が「アンダーコントロールされている」とアピールした汚染水も増え続け、巨大タンクに貯められて第一原発の敷地内に並べられているが、来年秋には満杯になる予定だ。
そしてあの巨大地震の余震がいまでも続いている。先月13日の福島県沖地震は、震度6強の強い地震だったが、気象庁は10年前の巨大地震の余震と発表した。幸い津波も死者もなかったが、廃炉作業をしている原子炉が倒壊することにでもなれば深刻な事態を招いていた。この余震は今後も続くと言われている。
こうした中で2週間後の25日には、福島県楢葉町のJビレッジをスタート地点とする東京五輪の聖火リレーが始まる予定だ。福島県には放射線量が高いため立ち入りが禁止されている地域が県の面積の2.4%、337平方キロあるという。
聖火リレーはその地域を避けて通るのだろうが、それが東日本大震災の復興を応援する「復興五輪」の始まりになるのかと思うと、東京五輪の意義と目的は何か、改めて疑問を抱かずにはいられない。
そもそも石原慎太郎元東京都知事が東京五輪招致を言い出したのは2007年であるから「復興五輪」でもなんでもなかった。東京都は2016年東京五輪を目指したが、2009年にブラジルのリオデジャネイロに敗れ、石原氏はそこで東京五輪を断念する。
その石原氏を口説いたのが、2009年に一般財団法人「嘉納治五郎記念国際スポーツ研究・交流センター」を立ち上げた森喜朗氏である。2020年招致を再度目指すよう働きかけた。その2年後に東日本大震災が起こる。そのため招致の目的を「被災地に元気を与えるスポーツの祭典」とした。
同時に「巨大地震から復興する東北の姿を世界に見てもらうこと」も目的に掲げられた。しかし石原氏に「復興五輪」をやる意思はなかった。石原氏は2012年10月に都知事を辞職し、国政に復帰する道を選ぶ。招致活動は後任の猪瀬直樹氏に継承された。
時を同じくして民主党政権に代わり第二次安倍政権が誕生する。そして招致活動の前面に安倍前総理が出てきた。そこから東京五輪は「アベノミクス4本目の矢」と位置付けられ、外国人観光客を日本に招き入れる「観光立国」の柱として「経済的利益」が目的となる。
東京五輪をやれば経済的に潤うのは東京であって被災地ではない。東京で建設ラッシュが起これば被災地の復興は遅れる。それがなぜ被災地を応援することになるのか。被災地の復興が遅れれば「復興する東北の姿」を世界に発信することもできなくなる。フーテンにはまるで合点がいかなかった。
しかし安倍前総理が先頭に立って推進する東京五輪を批判すれば白い目で見られる。そんな時代が長く続いた。そこに訪れたのが新型コロナウイルスのパンデミックである。安倍前総理は「東京五輪」と「習近平国賓訪日」を意識するあまり、初期の水際対策に甘さが出た。台湾、ベトナム、モンゴルなどの水際対策と比べれば、その差は歴然である。
そして安倍前総理は五輪延期を決断せざるを得ない状況に追い込まれる。しかしその決断は東京五輪の成功より、自らの「政治的利益」を優先するものだった。自分の任期中に東京五輪を開催し、政治的影響力を強めたいと考え、森喜朗氏が勧める2年延期ではなく1年延期を決断した。
その時、安倍前総理は「世界が新型コロナウイルスに打ち勝った証として完全な形で東京五輪を開催する」と言った。「復興五輪」は「観光立国のための五輪」となり、それがまた「コロナに打ち勝った証としての五輪」に変化した。
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