橘安子が愛した英語とラジオ──『カムカムエヴリバディ』が描いたメディアの100年
4月8日、朝の連続ドラマ小説『カムカムエヴリバディ』が最終回を迎えた。
朝ドラ初の3人のヒロイン──上白石萌音・深津絵里・川栄李奈によって引き継がれていったこの物語は、1925年から2025年まで100年にわたる安子・るい・ひなたの三代記だ。脚本家・藤本有紀によるこの意欲的な作品は、充実したエンタテインメントとして、半年間・全112話を駆け抜けた。
視聴者の反応も上々だったようだ。それは、中盤から上昇傾向にある視聴率からもうかがえる。NHK+など配信も定着しつつある現在、もはや視聴率の数字そのものはあてにならないが、この右肩上がりは途中からオンタイムで観る視聴者が増えていったことを示唆している。
それは、インターネットメディアがいよいよ従来の放送メディアを相対化しつつある現在だからこそ、興味深い現象でもあった。なぜならこの作品は、マスメディアと日本のひとびととの100年の関係もテーマとしていたからだ。
ラジオが浸透した1930年代
「あーあー、聴こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります」
1925年3月22日の9時30分、アナウンサーがマイクに向かってそう話す白黒映像のシーンからこのドラマは始まる。
日本のラジオ放送が始まるのは、NHKの前身である東京放送局のその一声からだった。そして、これとまったく同じ瞬間に岡山のおはぎ店で誕生したのが最初のヒロイン・橘安子(上白石萌音)だ。
このドラマは、冒頭から行く先が示唆されていた。日常にラジオが溶け込んでいる日本社会が印象的に描かれていく。
朝は路上でラジオ体操をし、昼は仕事をしながらラジオで高校野球を聴き、夜はラジオを囲んで落語を楽しむ──それがお茶の間のある昭和初期のひとびとの生活だった。
安子はすくすくと成長し、1939年に彼女は14歳になっていた。そのころ出会った後の夫・雉真稔(松村北斗)に薦められたのが、朝6時半から放送していた『實用英語會話』だ。安子は毎朝ラジオを聴いて英語に親しむようになる。
安子と稔はデートを重ね、ジャズ喫茶ではルイ・アームストロングの「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」をはじめて耳にする。そして稔が大阪の大学に行っても、ふたりの文通は続く。
だが、そうしたなかで戦争が始まる。日本の真珠湾攻撃を国民に広く伝えたのもラジオだった。そして同日、英語講座も突然中止となる。
ラジオ講座は黎明期からメインコンテンツ
戦前のラジオは庶民の娯楽であったのと同時に、政府が中央集権的に国民を束ねるための統制装置でもあった。NHKの前身である社団法人日本放送協会も、1925年に東京・名古屋・大阪にそれぞれ開局した放送局を翌年に逓信省が統合したのが始まりだ。ラジオは誕生からほとんど間を置くことなく、国の管理下に入ったのである(※1)。
ラジオ体操も1928年に昭和天皇即位の礼のイベントとして生み出され、3年後の満州事変のころから急速に普及する(※2)。1941年に始まる太平洋戦争では、周知のとおり大本営発表を一方的に報じるプロパガンダとして機能し、そして玉音放送で敗戦を日本全国に伝える役割も果たした。
こうした戦前のラジオにおいて、英語に限らず教養講座は番組編成において多くの時間を占めていた。それは東京放送局・初代総裁の後藤新平がラジオ創成期に掲げた4つのテーゼのうちのふたつ──「文化の機会均等」と「教育の社会化」を目指すためでもあった(※3)。
ラジオ放送開始の翌年である1926年度には、すでに講演や講座が全体の三分の一もあったほどだ。当初からメインコンテンツだったが、それがさらに強まるのは1930年代に入ってからだ。1931年に第二放送が開始されて枠が増え、1932年にはラジオの受信契約数が100万世帯を超える。1933年には学校向け放送も始まり、後の教育テレビ=Eテレに繋がる体制ができた。このころ編成に掲げられていたのが、報道・慰安・教養(教育)の三大綱領だ(グラフ参照)。
英語講座も早い段階から存在していた。東京放送局が開局した4か月後の1925年7月20日にはすでに『英語講座』が始まっており、1934年には英会話を軸とする『夏期英語講座』も生まれる。安子が稔の影響で聴くようになる『實用英語會話』も、これらの番組を前身として1938年に始まっていた(※4)。
稔が遺した英語とるい
稔が出征した後の1944年9月14日、安子は無事出産する。
生まれた女の子は、男の子でも女の子でも適する名前として稔が残していった「るい」と命名された。もちろんそれはルイ・アームストロングに由来する。
出征前、稔は安子にこう話していた。
戦争相手国の人物の名前を付けたのも、そうした密かな思いによるものだった。
そしてドラマが完結したいまわれわれが知るのは、稔の英語や命名への思いが、その後の安子やるい、そして孫の運命を大きく変えるきっかけになったことだ。
世界共通語である英語は、みずからの世界を切り拓くツールとして機能する。その後、安子はロバートと知り合って日本を発ち、そして幼少期に安子と『カムカム英語』を聴いていたるいを経て、ひなたもみずからの世界を英語で切り拓いていく。
戦前ラジオの功罪
『カムカム』のこうした戦前期の描写は、当時メディアの中心にあったラジオの功罪を描いている。
ラジオは、女性参政権がまだ認められていない時代でも庶民が気軽に英語を学ぶことを可能とした。それは政府統制によるものだったが、後にテレビにも引き継がれていく教育の機会平等=「一億総博知化」(※5)の助走でもあった。
それと同時に、戦前のラジオは負の側面も強く見せた。無論のことそれはプロパガンダだ。戦中も国民は大本営発表を一方的に知らされ、日本が優位な戦況だと信じる者も多くいた。
こうしたラジオの功罪とは、現NHKの前身である社団法人日本放送協会によるものだ(現在は特殊法人)。つまり、NHKがみずからの功罪を描いたという構図でもある。遠い過去のことではあるが、NHKにとっては非常に自己言及的な作品でもあった。
象徴的なのは、これが2021年から2022年の現在に放送されたことだろう。
現在の放送メディアはインターネットに相対化され、NHKや民放局は今後の進路を見定める必要をまさに迫られている。イギリスの公共放送・BBCが2034年を目標に放送からの離脱を想定し、日本でも昨年から総務省が地方局の統合に向けた検討会を始めている(※6)。
NHKもこうした状況と無縁ではない。昨年発表された中期経営計画では、2023年度中にBSのチャンネルをひとつ削減し、2025年度にはラジオのチャンネルもひとつ整理すると記されている(※7)。『カムカム』で描かれたラジオ100年目の2025年とは、予定通りにいけばNHKのAM局がひとつ減る年となる。
もちろん、だからといって音声や映像コンテンツが必要とされなくなるわけではない。今後、それらを運ぶのは通信が中心となる。
実際すでにラジオでは、聴取者の多くがradikoで番組を聴いている。テレビでも、この4月からNHK+のテレビ接続機器対応のアプリが公開され、民放局もTVerで放送同時配信を始める予定だ。放送は役割を終える道を進み始めた。
こうした放送の終わりに向けて動き出した時代に産み落とされた点で、『カムカムエヴリバディ』は象徴的な作品だった──。
■注釈
※1:吉見俊哉『「声」の資本主義──電話・ラジオ・蓄音機の社会史』(1995→2012年/河出文庫)。
※2:佐藤卓己『テレビ的教養──一億総博知化への系譜』(2008→2019年/岩波現代文庫)。
※3:NHK「NHK 放送史:ラジオ放送開始」。
※4:藤本有紀作、NHKドラマ制作班監修、NHK出版編『連続テレビ小説 カムカムエヴリバディ Part1──NHKドラマ・ガイド』(2021年/NHK出版)。
※5:佐藤卓己、同前。
※6:総務省「デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会」。
※7:NHK「NHK経営計画 2021-2023年度」。
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