<シリア>窃盗でっち上げ、ISが手首切断「失った右手を見るたび、恐怖の記憶が」(写真12枚)
◆イスラム法を独自解釈し、「神の裁き」を喧伝したIS
4年近くにわたりシリア・ラッカを支配した過激派組織イスラム国(IS)。独自に解釈したイスラム法による統治を布告し、公開処刑や手足切断刑を繰り返し、ネットで世界に宣伝した。だが実際の現場では「法」は恣意的に運用され、でっち上げの罪を着せられた住民もいた。ISに手首を切断された男性をラッカ現地で取材。取材は2019年10月。(玉本英子・アジアプレス)
シリア・ラッカ市内の広場に集まった群衆。黒覆面の男たちが、青年の右腕を机に置き、体を押さえつける。「この者には窃盗の罪で神罰が下される」とマイクで告げられると、手首めがけてナタが振り下ろされた。ISが公開刑を執行する映像だ。
ISは、シリア・イラクで支配地域を広げた2014年頃から、これら公開刑を町や村で繰り返した。広大な地域を支配したISは「国家」を名乗り、イスラム法による統治を宣言。捕虜や外国人人質をあいついで斬首し、のちには後藤健二さんら日本人も犠牲となった。残酷な処刑や公開刑の生々しい写真や動画は、次々とネットで発信された。IS志願の外国人が続々とシリア入りし、欧米各国でもテロ事件が頻発する。
米軍は、シリアでISと戦うクルド主導勢力を支援。2017年秋、激戦の末、ISはラッカから敗走した。IS支配下で何が起きていたのか。私は恐怖支配が終わったラッカに入り、公開刑に処せられた被害者を捜した。
住民の多くが当時の話をするのを怖がった。ISがまだ潜伏し、襲撃や暗殺が絶えなかったからだ。ようやく見つかった証言者の一人は、市内西部で理髪店を営む20代の男性。「イスラム男性の髭を剃った罪」で80回のムチ打ち刑を受けた。「ムチの痛さよりも、人前での屈辱がつらかった」
◆スパイ協力拒むと「窃盗」の罪を着せられ手首切断
窃盗罪は手足の切断、喫煙や飲酒などはムチ打ち、神への冒とくは死刑というように、イスラム法にはハッド刑と呼ばれる身体罰がある。イスラム諸国には、この宗教的法体系を取り入れている例があるが、運用の度合いは国によってさまざまだ。ISは、これらを極端に解釈し、厳格に適用した。一方で、実際には、こうした法律は、ときに恣意的にも使われた。
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ラッカ中心部、セイフ・ダウラ地区のサリム・モハメッド・アルマスリさん(26)は、石材工として働いてきた。シャツの袖から、黒い手袋をはめた義手がのぞく。2016年夏、ISに右手首を切断されたのだ。サリムさんによると、自由シリア軍関係者の動向や所在を密告するスパイになれと強要されたが、断ったという。すると1か月間、刑務所に入れられ、その後、突然、「バイク窃盗の罪」を着せられた。
裁判では弁論の機会は与えられず、宗教裁判官のスーダン人に刑を言い渡されただけだった。その日は金曜日で、すぐさまモスクの前の通りに車で移送された。夕方のお祈りが終わった人たち、子供も含めた数百人の群衆が彼を囲んだという。
「鎮痛剤を飲まされたが、まだ意識はあった。ナタを持った男が、金属の板の上に右手を置いた。目隠しをされ、手首にドンと重い衝撃。切断の瞬間だった。『神は偉大なり』と叫ぶ人びとの声が聞こえた」。のちに職を失い、外に出ることもほとんどなくなった。
路上で手を見られ、「あいつは泥棒だ」と言われたこともある。近所の人たちが、「彼は窃盗なんかする人間じゃない」と言ってくれるのが心の救いという。地区住民たちは、どの家がISの協力者だったかよく知っていて、サリムさんは実際濡れ衣を着せられた、と口をそろえた。
「ISはいなくなった。でも私は失った右手を見るたびに、あの日の恐怖を思い出す。それは毎日、そして一生続くだろう」。サリムさんは、声を漏らした。
【関連写真を見る】シリア・ラッカ郊外のISによる集団処刑の丘
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2020年9月29日付記事に加筆したものです)