戦後75年『ガンダム』から見る戦争(前編)安彦良和氏が語る「小さき者の視点」(写真9枚)
◆白黒分けない戦争描いた『ガンダム』
『機動戦士ガンダム』が描いた戦争と人間。いくつものシーンが、シリアやイラクで続く実際の戦争や戦火の人びとの苦悩と重なる。安彦良和さんが語る『ガンダム』の「小さき者の視点」とは。戦後75年特集の前編。(玉本英子・アジアプレス)
アニメ『機動戦士ガンダム』は、人類が宇宙に移民した未来世界を舞台に、地球連邦軍とジオン公国軍の1年にわたる戦争を描いた物語だ。
モビルスーツを操る連邦軍の少年兵パイロット、アムロ・レイと、ジオン軍の「赤い彗星」シャア・アズナブルとの駆け引きや、登場人物の人間模様も盛り込まれ大ヒット。続編として様々なガンダムシリーズが作られた。
富野由悠季総監督のもと、最初の『ガンダム』でキャラクターデザインと作画監督を担ったのが安彦良和さん(72歳)だ。「勧善懲悪の機械モノと呼ばれた当時のアニメの中で、白黒分けない戦争を描いたことは、画期的だった」と話す。
◆ジオン兵撃ったアムロを咎(とが)めた母
私が『機動戦士ガンダム』を見たのは、中学生の頃。アムロが母と再会する場面は今も印象に残っている。
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かつてアムロが暮らしていた家には、酔っぱらった連邦軍兵士たちが入り込み、隣家の女性にも横柄に振舞う。
同じ連邦軍のアムロは憤慨するが、家族を亡くした隣人はつぶやく。
「あの兵隊さんは本部から見捨てられ、あんな風になってしまった。やだねぇ戦争って」
アムロは避難民キャンプで働く母と再会を果たす。だがそこは、敵ジオン軍の前線基地の近く。ジオン兵に見つかりそうになったアムロは、母の目の前で発砲してしまう。母は「あの人たちだって子供もあるだろうに、鉄砲を向けて撃つなんて」と咎(とが)める。
母に責められたアムロは、震えながら言葉を返す。
「母さんは僕がやられてもいいっていうのかい。戦争なんだよ」
◆『ガンダム』に重なる戦火の人びとの姿
富野総監督の構想をベースに、この回の絵作りをした安彦さんにとっても、好きなシーンの一つだという。
「アムロが近くから撃つと、ジオン兵の腹に当たる。もうひとりが逃げて、アムロは後ろから何度も撃つけど当たらない。ヒーローなのに。『なんてことするの、お前も荒(すさ)んだね』と母は嘆く。それでも母が発砲を回想する時には、アムロは格好よく撃つ姿になっている」
戦争で変わってしまった息子の姿に当惑しながらも、複雑に揺れる母の心の描写は、以前の私には分からなかった。紛争地で取材を続けるうちに、それらのエピソードが改めて思い起されるようになった。
内戦下のシリアでは、戦死して遺体となって戻った息子の棺(ひつぎ)に泣き崩れる母親を目の前にして胸が痛んだ。
武装組織に拉致され、戦闘員にさせられた17歳の少年、アサド政権の空爆で家を破壊され難民キャンプに身を寄せる一家もいた。戦争に翻弄(ほんろう)され戦火に苦しむ人びとの姿が、『ガンダム』のいくつものシーンに重なった。
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◆「小さき者の視点」で見つめる
安彦さんは言う。
「『機動戦士ガンダム』の重要なファクターが『小さき者の視点』なんです。若い主人公たちが、彼らの目線で、なぜなのか分からないまま、戦争という巨大な力に巻き込まれ、戦わざるを得なくなっていく」
戦争では、いつも「大義」が掲げられる。自由、革命、領土、宗教、民族解放……。大きな正義のなかで、個々の小さき者が犠牲になる。兵士や母、避難民の子ども、それぞれの「小さき者の視点」で、『ガンダム』は戦争を見つめた。善悪の戦いではなく、あくまで人間どうしの戦いを描いたストーリーだからこそ、実際の戦争を映し出すリアルさを持っていた。
安彦良和氏・後編「顔を見えなくしているもの」(写真12枚)はこちら
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2020年7月21日付記事に加筆したものです)