<ウクライナ>「戦争は人間の悲しみそのもの」集合住宅を襲った巡航ミサイル(ウマニ) 写真11枚
◆ウマニの集合住宅に巡航ミサイル攻撃
ウクライナ中部のウマニの集合住宅にミサイルが炸裂したのは、昨年4月28日。建物の上階部分から崩落し、23人が犠牲となった。ミサイル攻撃から数日たった現場はまだ悲しみに包まれていた。昨年5月、ウマニでの取材報告。(玉本英子・アジアプレス)
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◆「奇跡よ、どうか起きて」と祈るも
ウマニ市内北部の9階建ての集合住宅が立ち並ぶ団地。4月28日午前3時、一帯には防空警報が響き渡ったが、深夜だったことや、警報が鳴ってもしばらくすれば収まることも多く、退避シェルターに避難する住民はほとんどいなかった。複数発射されたミサイルの一部は防空システムをかいくぐり、この集合住宅に炸裂した。
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6階の教師のヘレナ・サヴランスカさん(53歳)は、突然の爆発の衝撃で共用階段に駆け出した。階段に広がり始めた火の手を避けながら、地上にたどり着いた。その時、彼女が目にしたのは、建物が大きく崩れ、炎と煙を上げる光景だった。同じ階の向かい側には娘夫婦の住居があった。娘のスビトラーナさん(32歳)、と娘の夫、ヤロスラフさん(28歳)の部屋は跡形もなくなっていた。ヘレナさんは現場でふたりの無事を願った。
「奇跡よ、どうか起きてください、と祈り続けましたが、奇跡は起きてはくれませんでした…」
3日後、崩落した瓦礫のなかから、娘夫婦は遺体となって見つかった。ヤロスラフさんの遺体は損傷がひどく、DNA鑑定で確認できたものの、頭と腕は見つからないままで埋葬した。
◆一瞬にして消えた普通の暮らし
まだ焦げくさいにおいがただよう現場で検証作業を続けるレスキュー隊員に同行し、私は6階の部屋に上がった。
「バラバラになった遺体の回収作業は過酷で、心が痛んだ」と隊員は話す。廊下の先にあった部屋の壁も床も吹き飛んでいる。わずかに残った部屋の廊下の片隅に、亡くなったスビトラーナさんのスニーカーとブーツが転がっていた。
娘夫婦は同じ販売店で働き、侵攻前は外国旅行に行くなど、幸せな日々だったとヘレナさんは話した。スマホに残された2人の写真を見せてもらうと、どれも笑顔にあふれていた。
「私たちの普通の暮らしがあった。それがあの日、一瞬にして消えてしまいました」
まるで魂が抜けてしまったかのように、うつろな顔をしながら、ヘレナさんは亡き娘夫婦の写真を見つめていた。
◆子ども6人も犠牲に
同じ棟ではあわせて6人の子どもも犠牲となっている。9階の家族は15歳の兄、10歳の妹とともに母、祖母、叔母が亡くなった。8階にいたのは2014年に戦闘が激化した東部のルハンシクからウマニに避難してきた一家で、17歳の兄と11歳の妹が犠牲に。階下の部屋では1歳半の男児が母親とベッドに入ったまま瓦礫に埋もれた状態で見つかった。
攻撃に使われたのはKh-101巡航ミサイルで、ウマニから千数百キロ離れたカスピ海付近から発射されたものとウクライナ軍は発表した。住宅近くには軍事施設などなかった、と住民たちは証言する。ゼレンスキー大統領は、この日のウマニ攻撃を「人道に対する罪である」としてロシアを強く非難。
また国連児童基金(ユニセフ)のラッセル事務局長は、ウマニとドニプロで子どもが犠牲になったことについて、「戦争は子どもたちにとって最大の敵。暴力は止めなければならない」とSNSに投稿した。一方、同じ日、ロシア軍支配地域のドネツクでは、ウクライナ軍の砲撃によってミニバスに乗っていた子どもを含む7人が死亡と報じられた。止まぬ戦火のなかで、双方で市民と子どもの死者があいついでいる。
◆「戦争は人間の悲しみそのもの」
破壊された住宅の脇には、犠牲者を追悼する慰霊台が設けられていた。遺影の下には、近隣住民や同級生が手向けた、ぬいぐるみや花が並んでいた。
近くに学校があり、通学路になっているため、子どもたちはここで足を止める。
「あの日から、防空警報が聞こえると、怖くて震えてしまう」「なぜここが狙われ、同級生が殺されなければならなかったのか、わからない」と、児童らは口々に話した。
5年生のカーチャさんは同級生を失った。
「まさか戦争が起きるなんて誰も思っていなかった。まるで第二次大戦の時代に生きているようです。どの国でも戦争はしてほしくない。何も悪いことをしていない普通の人たちの命が奪われています。戦争は人間の悲しみそのものです」
カーチャさんは、そう言って遺影をじっと見つめた。
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