<写真9枚>シリア・ラッカ ISによる集団処刑の丘 今も見つかる遺体
![](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/iwiz-yn/rpr/tamamotoeiko/00175759/top_image.jpeg?exp=10800)
◆遺体収容の現場で 手首縛られ殺害
シリア・ラッカは、過激派組織イスラム国(IS)の拠点都市だった。南部に広がる丘陵地帯では、いまもたくさんの遺体が見つかる。ISが集団処刑したり、別の場所で殺害して運んできたものだ。(玉本英子/アジアプレス)
ラッカの遺体収容作業班は、この丘での収容にあたってきた。隊員はラッカの消防士や医師からなる。昨年秋、私が同行したのは19回目の収容作業だった。
「ここにも埋まっているぞ」。
消防士が土を掘り起こすと、茶色くなった頭蓋骨とバラバラの骨が出てきた。
「これは結束バンド。手首を縛られたまま殺されたんだろう」。
そう言って、輪状に結ばれたプラスチックの白いバンドを見せてくれた。
![白骨化した遺体とともに見つかった結束バンド。ISに腕を縛られたまま殺害されたとみられる。(2019年10月撮影:玉本英子)](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/iwiz-yn/rpr/tamamotoeiko/00175759/image01.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
この日、収容されたのは7遺体。医師は、骨の数や傷の位置、歯の形状をひとつずつ記録し、髪の毛や着衣の一部をビニールに入れて保存していた。行方不明者を探す家族が、遺体を確認できるようにするためだ。
次々と出てくる土まみれの頭蓋骨。ぼろぼろになった着衣。どんな思いで、最後の瞬間を迎えたのだろう。丘は静かで、遺体を掘り起こす消防士たちの声だけが響いていた。たくさんの悲しみが覆うこの丘を見渡しながら、胸が詰まりそうになった。
5年前、世界を震撼させたISによる外国人人質処刑映像。黒マスク姿の戦闘員が、軍用ナイフを突きつけ、英米人記者のほか、後藤健二さん、湯川遥菜さんら人質があいついで殺害された。
その映像の中の、なだらかな土漠地帯の起伏や土の色は、この丘とそっくりだ。おそらく、この一帯のどこかで撮影されたとみられるが、人質の遺体は不明のままだ。
![収容された遺体。この日は7遺体が見つかった。この丘の背後に広がる景色は、IS処刑映像とそっくりである。(2019年10月撮影:アジアプレス坂本卓)](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/iwiz-yn/rpr/tamamotoeiko/00175759/image02.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
![ISがラッカを支配していた当時、公開された米国人記者の処刑映像。背後の景色から見て、ラッカ南部の丘と推測される。(2014年8月:IS映像・一部モザイク処理)](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/iwiz-yn/rpr/tamamotoeiko/00175759/image13.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
◆IS掃討作戦 見えざる市民の犠牲
遺体収容作業にあたってきた消防士たちは、IS支配時代、住民の救出を最前線で担っていた。アサド政権のシリア政府軍、ロシア軍、そして米軍主導の有志連合の空爆。ISの軍事拠点だけでなく、住宅地も狙われた。
2017年、IS掃討作戦が迫ったラッカで、クルド主導勢力を支援する米軍は、空爆や砲撃を加えた。ラナ・アルフセインさん(31歳)は、家に砲弾が炸裂し、夫は崩れ落ちた壁の下敷きになり、死亡した。米軍の砲弾だ、と近所の住人が教えてくれた。
「なぜ戦争と関係のない私たちがこんなことに。幼い子供3人を抱えどうやって生きていけばいいの」
ラナさんは、涙をこぼした。
![ラッカ攻略戦では民間人にも多数の犠牲が出た。ラナさん(31歳)は、米軍の砲撃で亡くなった夫の写真を見せながら涙をこぼした。(2018年10月撮影:玉本英子)](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/iwiz-yn/rpr/tamamotoeiko/00175759/image04.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
![IS支配下のラッカは、シリア政府軍、ロシア軍、米軍・有志連合の激しい空爆にさらされた。住民の救出にあたったのは消防隊員だった。(2015年:IS映像)](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/iwiz-yn/rpr/tamamotoeiko/00175759/image07.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
ISは、イラク、シリアで住民を殺害したばかりか、世界各地で市民を殺傷した。組織を壊滅に追い込まなければ、テロは続いていただろう。だが、IS掃討作戦の名のもとの空爆や戦闘で、住民が巻き添えとなって命を落とした。
またIS戦闘員の妻や子供も死んでいる。その責任を問う国際社会の動きはない。
![ISは敵対勢力処刑や住民殺戮を繰り返した。だが、アサド政権や米軍のIS爆撃では地元住民も巻き添えに。被害全容は不明のままだ。(2017年:IS系アマーク映像)](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/iwiz-yn/rpr/tamamotoeiko/00175759/image08.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
崩れ落ちた建物や瓦礫が、まだあちこちに残るラッカ。ユーフラテス川の流れが、たくさんの犠牲者の涙のように見える。
昨年10月までに5000を超える遺体が市内で見つかった。住民犠牲者や、IS戦闘員とその家族などだ。
「IS家族や地元民の遺体だからといって、分けて扱ったりしません。私たちは、人としてすべきことをするだけです。身元の分からない亡骸は、私たちがきちんと墓地に埋葬し、弔ってあげます」
遺体収容作業を統括してきたアハメド・アコウシュさん(33歳)は、そう話した。
![ラッカの丘でいまも見つかる遺体。別の町から連行され、殺害された犠牲者も。収容作業班は骨や衣類の一部を保存し、見分していた。(2019年10月撮影:玉本英子)](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/iwiz-yn/rpr/tamamotoeiko/00175759/image12.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
![激しい空爆にさらされたラッカ。市内のあちこちに爆撃と戦闘で破壊された建物が残る。(2019年10月撮影:玉本英子)](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/iwiz-yn/rpr/tamamotoeiko/00175759/image10.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2020年4月21日付記事に加筆したものです)