捨て切れぬラーメンへの想い 50歳から豚骨ラーメンへの再挑戦
長引くコロナ禍の中で開業したラーメン店
福岡市博多区奈良屋町。博多は中世に日本最大の貿易港湾都市として発展した街。港に近いこのあたりは「博多旧市街」として、今もその歴史を伝える寺社や商店街などが点在している。そんな奈良屋町の一角に、2021年にオープンしたラーメン店が『ICHIYU RAMEN & GYOZA』(福岡県福岡市博多区奈良屋町4-1)だ。
路地裏にひっそりと佇む、ジャズが流れるカフェのような可愛らしい小さな空間を、店主夫婦二人で切り盛りする。店主の中村美樹雄さんは、50歳で初めて自分自身の店を構えた。しかも開業のタイミングは長引くコロナ禍の真っ只中。決して若いとは言えない年齢で、飲食店にとって一番厳しい状況の中、中村さんはなぜ店をオープンしたのだろう。
「本当はもっと前に開業する予定だったんです。独立を決めてから物件をずっと探していて、ようやく見つけたタイミングでコロナが来てしまって、一度独立を断念しました。しかし一年以上もコロナ禍が続く中で、収束を待っていられず勝負をかけました」(ICHIYU RAMEN & GYOZA 店主 中村美樹雄さん)
何度も諦めかけたラーメンへの夢
学生時代は野球やサッカーに没頭し、スポーツマンだった中村さん。若い頃はサラリーマンをやりながら、休日には少年野球を指導していた。しかし無類の豚骨ラーメン好きだった中村さんは意を決して飲食の世界へ飛び込んだ。独立を夢見て居酒屋やもつ焼き店などで店長を務めていたが、大病を患い現場に立つことが難しくなり無念の戦線離脱。夢は潰えたかのようにみえた。
「それでもやはりラーメンへの夢は捨てきれなかったんです。豚骨ラーメンが大好きで、闘病中も自宅でラーメンの試作を続けていましたが、やはりちゃんとお店に入って一から学びたい。お店には迷惑をかけるかもしれないけれど、闘病しながらでも働かせてもらえるなら学びたいと思いました」(中村さん)
2013年、中村さんは人気ラーメン店『らーめん二男坊』の門を叩いた。自分の状況や夢を正直に伝え、受け入れてもらえた。闘病しながら激務であるラーメン店で働く日々。体調が悪い時には長期の休暇を貰いながらも、スープ作りを任されて8年間働き続けた。
「病気を抱えている私を雇ってくれて、体調が悪くて休んでも許してくれた修業先の師匠には感謝の思いしかありません。独立を志願した時も親身になって下さり、今もお店に顔を出してくれるなど、気にかけて頂いています」(中村さん)
「もっと美味しくなるはずだ」と考えるのが楽しい
ラーメンは豚骨と醤油の二枚看板。中村さんの原点でもある豚骨ラーメンは、修業先で学んだ博多ラーメンをベースにしつつも、臭みがないクリーミーな味わいを目指した。豚の頭骨、ゲンコツ、背ガラを12時間かけて丁寧に取ったスープは、程よい濃度と粘度があり骨の旨味が凝縮された味わい。しなやかな平打ち麺は中村さんが慣れ親しんでいる筑豊エリアの麺をイメージした。
一方、独学で作り上げた醤油ラーメンは、国産の地鶏に豚ゲンコツを合わせたスープに糸島産の醤油を合わせた一杯。化学調味料を一切使わず素材本来の味を生かし、低温調理のチャーシューや全粒粉配合のオリジナル麺など、ラーメン職人としての挑戦を随所に織り交ぜながらも、万人に愛される優しい味わいに仕上げた。
「どうやったら美味しくなるのか、もっと美味しくなるはずだと日々考えています。骨の量や炊き方を変えたり、バランスを変えてみたりと、ラーメンは自分が考えたことをすぐに試すことが出来ます。毎日が改良と研究の繰り返しですが、常に上を目指し続けていく、それがとても楽しいんです」(中村さん)
諦めなければ必ず夢は叶う
紆余曲折を経て、50歳で晴れて独立。店をやるなら夫婦二人でと決めていた。女性が一人でも入れるような、明るい雰囲気の店。一人ひとりに声をかけ、にこやかで優しい接客でしっかりお見送りもする。オープンして一年余り、地元にもすっかり馴染んでリピーターも増えてきた。
サラリーマンから飲食の世界へ転身するも、大病によって一度は働けなくなった。夢が諦め切れずラーメンの世界に入り、闘病しながら独立を目指した。独立が決まり物件も押さえたタイミングでコロナ禍が邪魔をした。中村さんが店を構えるまでには多くの試練があったが、夢を叶えるのに早いも遅いもない。諦めなければ夢は必ず叶うのだ。
「まずはこの店を地元の人たちに愛される味と店にしていきたいです。そしていずれは地元の佐賀でも店を開きたいですし、いつかは海外にも行けたら良いなと思っています。これからも諦めずに夢を持ち続けていきます」(中村さん)
※写真は筆者によるものです。
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