「今でもラーメン作りにワクワクします」 『渡なべ』はなぜ20年も行列を作り続けるのか?
ラーメンブームを象徴する存在の『渡なべ』が20周年
東京・高田馬場の人気ラーメン店『渡なべ』(東京都新宿区高田馬場 2-1-4)が、創業20周年を迎えた。ラーメンブームの真っ只中、2002年4月21日に創業。学生時代からラーメンフリークとして知られ、開業前より独学によるラーメン理論でラーメン店のプロデュースも手掛けていた渡辺樹庵さんが、26歳の若さで開業した『渡なべ』は、一躍業界の注目を集めて行列の出来る人気店へとなった。
渡辺さんは高校生の時に和風ラーメンで人気だった『げんこつ屋』の味に衝撃を受けて、ラーメンの食べ歩きに目覚めた。そして煮干しラーメンの老舗『永福町 大勝軒』を一つの指針として、ラーメンの自作を開始した。渡辺さんのラーメンDNAには、和を意識したラーメンが刷り込まれていた。
『渡なべ』が創業した2000年初頭のラーメン業界は、豚骨ラーメンなどのブームが一段落し、『麺屋武蔵』『くじら軒』『中華そば青葉』など、動物系と魚介系を巧みに組み合わせた「和風ラーメン」が新たなトレンドとして注目を集めていた。渡辺さんのラーメンDNAと時代のニーズが合致した2002年。『渡なべ』のラーメンが圧倒的な支持を受けたのは必然だった。
トレンドに合わせず、トレンドを生み出す。
濃厚な動物系スープに力強い魚介の旨味を合わせた、いわゆる「豚骨魚介」と呼ばれるカテゴリーがラーメン業界に確立されたのは、間違いなく『渡なべ』による功績が大きい。化学調味料に頼らずに素材本来の旨味を生かす。スープに合った自家製麺を作る。素材の産地や丼の形にまでも意識を払う。今のラーメン業界におけるスタンダードが、20年前の『渡なべ』にはすでに揃っていた。
2000年以降のラーメン業界は、ファッション業界のごとく毎年トレンドやブームが生まれては消えていった。そのトレンドに合わせて新しいラーメン店が次々とオープンし、トレンドの終焉と共に閉店したり新たなブランドを立ち上げて生き残りをかける。しかし『渡なべ』のラーメンは20年前と基本的な設計やスタイルは何一つ変わっていない。そして、今食べても古さを全く感じさせない。これは凄いことだ。
時代のニーズやトレンドに合わせて作られたラーメンは、そのニーズがなくなったり、流行が終われば消えていく運命にある。しかし、上辺だけの模倣ではない確固たる信念の元に作り上げたラーメンは、ちょっとやそっとでブレることはない。渡辺さんは時代のニーズやトレンドに合わせたのではなく、自らニーズやトレンドを生み出した。数多くの人気店が凋落していく中で、『渡なべ』が20年ものあいだ行列を作り続けている理由はそこにある。
「ラーメンにワクワクする」という原点
ラーメン店主の多くはラーメンを食べたり作ったりするのが好きで楽しくてラーメン店を始めている。しかし長年仕事としてラーメンと向き合っていく中で、純粋に楽しめなくなったり現場から離れていくケースは少なくない。しかし、渡辺さんは今も日々ラーメンを食べ歩いている。さらに常に新しいラーメンを作り、『渡なべ』の限定ラーメンや別店舗のメニューとして提供している。
そんな渡辺さんが作り出した最新のラーメンは、創業20周年を記念した限定ラーメン。その名も「渡なべ20周年記念らーめん」(1,300円/『渡なべ』で5月1日まで販売)。基本的な設計は『渡なべ』のらーめんと同じながら、材料を増やしてパワフルに仕上げた一品。味付けは通常のラーメンよりも強く、今までにない新しい味でありながら、食べた印象は間違いなく『渡なべ』。やはり本物はいつの時代にも通用するのだ。
数多くの人気店が消えていく中で、なぜ『渡なべ』が20年も続いたのかを渡辺さんに尋ねてみた。その答えは「今だに僕自身がワクワクして楽しんでラーメンを作っているから」という至極明快なものだった。渡辺さんがラーメンを楽しんでいる限り『渡なべ』の人気は終わることがない。
※写真は筆者によるものです。
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