大人の日帰りウォーキング 頑張って1日20kmを歩き終わった最後にも、神社で願い事を失敗した話
こんな立派な建物がまだ残っているのか。
目の前にいきなり飛び込んできたのは、風格と気品と迫力を兼ねそろえた建物だった。
都心から日帰りで来られる距離の街には、まるで、江戸時代にタイムスリップしたような錯覚に陥る歴史がある建物が残されていた。
青空にとても良く映えるそれらの建物は江戸末期から明治にかけての建築であり、築年数はどの建物も軽く100年を軽くこえている。良い物は良いと言う言葉だけではないだろう建物がそこにはあった。
街道歩きの旅をして、旧中山道の桶川宿に来た。江戸から6番目の宿場になる。旧街道を歩いていると、宿場であったことを思わせられる趣がある建物を見ることは多いけれど、江戸時代に建てられた建物はなかなか残っていない。木造建築が主流であったため、ほとんどは火災で焼失している。
1番に目がひかれる建物は、街道沿いにどっしりと建てられた土蔵造りの建物だ。一階はリフォームされて一面ガラス戸になっているのは店舗であったことを想像する。二階部分は建物の中央に窓が作られている。換気のためか、窓が開けられているのに気付くけれど、ちょっと待て。
開けられた窓の分厚さが尋常じゃない。そもそも、100年以上の建物で、土蔵造りで、今でも窓が開くのだと感心をする。窓が開かないとそれはそれで困ると思うけど。
開けられた窓は段々になっており、それが窓枠にはまり込むように造られているのがわかる。建築技術の1つだろうか。窓自体も土蔵造りなので、かなりの重さがありそうだけれど、その重さに耐えられる部品が当時からあったという事か。やっぱりすごいと思う。
木造建築が主流の中で、土蔵つくりの建物がある。当時の建物が火災で焼失していたことを考えると、土蔵造りの建物は防火のために造られたことになる。そう考えると、土蔵造りの建物はかなりの高価な物だったはず。仮に、木造建築と変わらない価格であったとすると、耐火のために建てられたであろうたくさんの土蔵建築が残っていることになるが、そんなに残っていない。土蔵造りの建物は、豪商でしか建てられなかったのではないだろうか。
ここ桶川宿周辺は紅花の産地であり、山形県最上地方に次いで全国第二位だったという。紅花の咲く6月から7月ごろにはあたり一面の紅花が咲き誇るとても美しい景色が広がっていたのだろう。
明治時代に建てられたという土蔵造りの建物は、穀物問屋であり、紅花の商いも行われていたという。そして、紅花は米の相場を上回る高値で取引をされていたとある。明治時代に入ると化学染料の普及により紅花の勢いは弱くなってしまうが、紅花にもたらせた当時の富の大きさを、この土蔵造りの建物が表していると思った。建物を再びながめた。
他にも、江戸末期建築の建物がある。旅籠として建てられた建物は、白い土壁と二階の格子窓が当時の雰囲気を良く感じさせられる。建物の詳しい築年数は分らないが、築170年以上は経過している。しかし、なぜだか古さを感じないのを不思議に思い建物を眺めた。
近代化する前に280年も続いた江戸時代は戦のない平穏な時代だった。平穏な時代は文化を作り、近代化する前の人間の生活は自然に調和する必要があった。自然と調和している建築物や構造物を美しいと思うし、自然と調和するのに古いも新しいもない、かもしれない。
途中でおにぎりを食べたけれど、やっぱりおなかが空いてきた。
旧街道沿いにポケットパークがあるので休憩する。真新しいポケットパークにはきれいなトイレもあり使わせて頂いた。宿場であることを意識して作られており、説明版も設置されている。街道歩きをしていると、とても有難い場所である。
ベンチに座ってマイボトルで持参しているお茶をごくごく飲んだ。運動して汗をかいて飲むお茶は美味しい。昼食は簡単に作ったお弁当を持参している。手が込んでいるものではないけれど、おなかが空いて食べると美味しいと感じるものである。お昼ご飯代を節約している訳ではないけれど、結果的に節約している。たまには外食もしてみようか。
休憩した後、歩き始めて少しの場所に一里塚跡があった。しかし、これは珍しいと言うかなんというか。このケースは見たことがない。
一里塚は、街道沿いの両側に一里(3.927km)ごとに作られた塚であるが、明治以降取り壊されたものも多く、現存するものは少ない。塚が取り壊された場所には、一里塚跡として、石碑や説明版が置かれている場所は多くある。しかし、
なぜ、歩道橋の橋脚に張り付けたのか。
旧中山道の道幅に片側1車線の道路があるので、両側にある歩道が狭くなっているのはわかるし、狭い歩道に歩道橋の橋脚が立つことで、さらに狭くなっているのも良くわかる。そして、さらに追い打ちをかけるように、進入禁止の標識まであるし、自転車を除くも付いてるし。
一里塚の説明版を立てようとするならば、通行の妨げになるし、設置する場所によっては視界が遮られる危険もあると思う。だけど、歩道橋に説明版を張り付けるとは、斬新すぎるアイデアとしか言えない。街道ウォークおもしろ百景に満場一致で登録できると思う。
見た目が斬新なこの一里塚は桶川の一里塚であり、江戸から10里目の一里塚だ。当時の旅人は男性で1日10里、女性や老人で一日8里を歩いたと言われており、桶川宿は江戸を出発して初めて宿をとる旅人も多かったという。10里は39,27kmで、40kmに足りないくらい。1日20kmを歩いている私の2倍の距離だと気付かないことにして先に進む。
真新しい中山道の石碑を多く見かける旧中山道をひたすら歩く。桶川宿と次の鴻巣宿の間の距離は8強もあり2時間以上はかかるけれど、真新しい石碑を見つけながら歩き進むのが楽しい。ポイントがたまらないポイントラリーというか、オリエンテーリングのようにも感じる。なつかしい。
やっとついた。鴻(こう)神社だ。
今日は、大宮の氷川神社をスタートし、最後は鴻巣の鴻神社となる神社で始まり、神社で終わる歩き旅になった。
日程を歩き終えて、達成感や自己満足に浸ってご機嫌になる。
鴻神社はどんなご利益がある神社だったかなと思う以前に、目の前にある旗が見えた。そうだよね…。
鴻巣市にある鴻神社だけれど、それだけしか考えていなかった私が悪いのです。
鴻神社の鴻はコウノトリじゃないか。当然、子授けと安産祈願がメインとなるしかなく、お約束のコウノトリ伝説も神社にはある。
何で、安産祈願なの。
おばさんにとって子授けや安産は、どう考えても、この歳には必要があるはずがなく、有難いと思うご利益ではない。20年以上前に安産で生まれた子ども達はもう大学生であり、安産の目的はずいぶん前に終了している。
今の私には鴻神社の神様に願う事はあるのだろうかと。ない知恵を絞って考え出したのは、万国共通、じゃなく、万神社共通?である
家内安全!
多分、他の神様にお願いした方がご利益があると思うよ。
鴻神社の神様は、困った顔をしながら私に返事をしてくれた。そう、思った。
今回の歩いたコース
これまでの話はこちら<内部リンク>
・大人の日帰りウォーキング 最初に大きな神社を参拝して願い事を失敗する(前編)
・老害と言われそうな昔の価値観を柔軟に 時代の移り変わりを考えながら旧街道を歩く話(中編)
続きの話はこちら<内部リンク>
・友人の話は健康に関する悩み 明日は我が身と歩きながら頭の中を整理する
最初の話はこちら<内部リンク>
・おばさん2人が1日20kmウォーキングにチャレンジする話 楽しんで歩ける理由とは?