.464のリーグ最高出塁率 佐野大陽(富山TB)が阪神タイガースからドラフト5位指名を受ける
■10月24日、ドラフト会議にて
「育成でも行く」という強い覚悟でドラフト指名を待っていた佐野大陽選手(日本海リーグ・富山GRNサンダーバーズ)にとって、嬉しい誤算だった。「こんなにも早い順位で選んでいただけると思ってなかったので、心の準備ができていなかった」。まさかの支配下指名である。
チームメイトや球団スタッフらと、ドラフト会議の中継を見ていた。
「(調査書をもらった球団の中からどこに指名されるか)いろいろ想像はしていましたけど、なんかそれも考えていることがパンクしちゃってボーッとしてしまって、画面は見ていましたけど、ボーッとしたら目の前が暗くなるじゃないですか。そんな感じでした」。
そんな中、阪神タイガースから5位指名を受けた。名前をコールされた瞬間は、喜びよりも驚きが先だった。
周りがざわつき、フラッシュが焚かれ、画面をチラッと見ると「佐野大陽」という文字が一瞬、目に入った。大きな目をさらに見開いてキョトンとなっていたところ、隣に座る日渡柊太投手から「おめでとう」と握手を求められ、思わず涙があふれた。
「(中部)大学からの先輩の日渡さんも指名を待たれているにもかかわらず…そこでもう、(涙が)出ちゃいましたね」。
結果的に富山のドラフト候補選手5人の中で、指名されたのは佐野選手だけだった。
「嬉しいですけど、少し悲しいっていうか、つらいっていう気持ちにもなりました」。
できればみんな指名されて、ともに喜びたかった。夢をかなえられた達成感とともに、厳しい現実を思い知らされたドラフトでもあった。
■髙橋遥人先輩の後ろを守りたい
ドラフト後は急激にファンが増え、10月27日に行われた富山のファン感謝デーでも、サインや写真撮影に応じるのに大忙しだった。
「差し入れとかいただいたのも初めてで、すごく嬉しい」と初々しく微笑む。シーズン中に一度もなかったことも驚きなのだが、周りの選手のあまりに濃すぎるキャラに、目立たなかったのかもしれない。
指名後、「友だちとか、地元の親の知り合いとか、タイガースファンがすごく多くて(笑)」と、そんなにもいたのかと驚かされた。
出身の静岡県は、岩崎優投手や髙橋遥人投手ら同郷の選手もおり、髙橋投手にいたっては常葉大橘高校の先輩にもあたる。
「お会いしたことも話したこともないし、まだ雲の上の存在で近づけるかわからないですけど、遥人さんの後ろを守れるように頑張りたい」。
まったく面識はなかった偉大な先輩と、チームメイトになれた喜びを噛みしめている。
また同県内では岩崎投手や青柳晃洋投手らが、それぞれ後輩を引き連れて自主トレを行っているなど、何かとタイガースと縁がある。「だから、あらためてすごい球団に指名していただいたなっていう(笑)」と、徐々に虎戦士の仲間入りをするんだという実感が深まってきたようだ。
■「1番・ショート」は譲らない
中部大学から今年、富山に入団した。「オープン戦ではうまくいかなかった」が、開幕すると持ち味を見せはじめた。戦力の見きわめ段階だった5月は7番から始まり、結果を重ねて5番、3番と経験し、10試合目の同31日に「1番・ショート」を掴んだ。
すると、そこから最後まで誰にも“定位置”を明け渡さなかった。
「僕は1番がいいです。先攻のときに限るんですけど、一番きれいな状態のバッターボックスに一番先に入って、それこそ一番初めにヒットを打つっていうのが好きで。自分自身も乗りますし、チームもリズムに乗ってくると思っているので」。
大学時代もずっと1番を打ち、先頭打者ホームランで勢いづけることもあったと振り返る。慣れ親しんだ打順に固定されたことで、佐野選手の力が存分に発揮された。
1番に抜擢した吉岡雄二監督はこう明かす。
「今年、試合の一発目で打線を勢いづけてくれた。粘りながらヒットを重ねていくという彼の特徴は、1番の打順で生きたかな。波もないので、トップバッターをやるにはいいなと思った。日ごろから彼の取り組みを見ていると、やろうとすることを優先してできるタイプで、そういう性格も1番に合っていた」。
打率も出塁率も、リードオフマンとして及第点の数字だとうなずく。
■苦しかった8月を乗り越えた
5月は打率.474、出塁率.545と極上の成績で終えたが、6月はそれぞれ.250、.448と落とし、7月はまた.308、.455と盛り返した。
だが「夏場が一番しんどかった」と振り返るように、8月は9試合中、5試合でヒットがなく、これまでなかった3試合連続無安打も経験し、焦りも感じた。
「前半あれだけ打ってきたのに、もう2カ月もない中で急に打てなくなって…。でも、シーズンの最初からやってきたことは変えずに開き直って、結果どうこうじゃなくて、自分ができることをやるということに目を向けてやりました」。
打てない日も必死に前を向いた。「ここが乗り越える時期だぞ」「ここで落ちたらそれまでの結果だし、ここでもうひと踏ん張りできたら、また人生変わるよ」などという吉岡監督や細谷圭コーチからかけられた言葉も力になった。
■バットにキスのおまじない
さらに日渡先輩から贈られたバットもパワーをくれた。調子を落としたとき、打席に入る前にそのバットにチュッとキスをするというルーティンを始めた。いや、ルーティンというより、おまじないか。
実はその箇所に、日渡先輩が書いてくれた言葉があったのだ。その言葉とは『腹圧“あ゛―――っつて”』だ。この意味を日渡投手が説明する。。
「大学の監督が『腹圧』って言葉をめっちゃ使うんですけど、監督が腹圧に力を入れると『あ゛っ』って声が出るんですよ。大学のとき、いつもその真似をしてたんで、腹圧を意識するように『打席に入る前にバットを見てから行け』って、先っちょに書きました(笑)」。
その言葉を見てバットにキスをするようになってから、調子も戻ってきた。腹圧パワーの成果か、9月は打率.320、出塁率.457と回復を見せた。
ちなみに件のバットは今季最終打席(9月21日の読売ジャイアンツ3軍戦)で折ってしまった。一つステップを上った佐野選手には、もう“おまじない”は不要ということなのか。いや、それともまた新しいバットに書いてもらうのだろうか。
■盟友との真剣勝負
ヒットが出ない日でも、佐野選手は四死球で出塁した。出塁0だったのは、39試合で1試合のみだ。それが.464のリーグ最高出塁率につながった。
「(四球を)選ぼうとして選んでいたわけじゃなくて、打ちにいく中でいろんなボールの見極めができて、あとは同じピッチャーとの対戦ばかりなんで癖を掴んだりとか、そういったことが調子の悪い中でもフォアボールを取れた要因かなって思います」。
自らそう分析する。
打率もずっと首位を走っていた、9月7日までは。ただ終盤、チームメイトの三好辰弥選手が強烈に追い上げてきた。同い年の三好選手とはお互い「バチバチでした(笑)」と言い合うくらい、激しい首位打者争いを繰り広げた。
「優勝がなくなって、勝っても次はない中で、僕らは競ってたんで。『俺らには消化試合はないぞ』『俺らはぶつかり合いだよ』って、ずっと言ってました(笑)」。
同13日に抜かれ、翌日にはまた並んだ。「プレッシャーとかは感じてなくて、でも最終戦だけ絶対打とうと思って」と意気込んだ最後のリーグ戦だったが、三好選手が2安打(3打数)したのに対し、佐野選手は無安打に終わり、首位打者のタイトルは譲る結果になった。
しかし盟友との真剣勝負は、たしかな自信を与えてくれた。
■長打について
打率と出塁率は非常に高かった佐野選手だが、長打はほぼなかった。39試合で二塁打1本、三塁打1本で長打率は.357に終わった。大学時代は本塁打王を獲得するなど(2023年春)、むしろ長距離打者だったというのに、どうしたのだろうか。
「大学のときは自分の一番力の入る打ち方というか、いろんなところが噛み合ってボールが呼び込めて、自分が蓄えている最大のパワーを伝えられていたって思います。けど富山に来てからは、1年でNPBに行きたいっていう思いだったので、大学時代の形にこだわっていたら結果は出ないっていうことで、もちろん長打が打てればいいですけど、チャンスメイクっていうところにフォーカスしてやっていました」。
より確実性を上げる打撃を追求したのだ。
オープン戦でなかなか結果が出ないとき、「構えだったり、狙い球だったりを変えて…そう、構えが一番大きいですね」と柔軟に変化したことがシーズンの高打率に結実した。
それでもやはり、長打は打ちたいとつぶやく。
「もっと体も大きくして、ヘッドスピードも速くして。そうやっていかないと、NPBでの世界では力負けしちゃうと思う。だから今年の結果は満足していないですね」。
今後は長打も打てる体をしっかり作っていくと誓っていた。
■吉岡雄二監督からの金言
ただ吉岡監督は、最初から多くを求めるなと助言する。
「まずは守備。今の堅実な守備を、プロの打球に対してさらに磨いていってほしい。そして打撃のコンタクトする力を上げていけば、波の少ないバッターになる。さらに体が成長して自然と力がついてくれば、長打も可能性は出てくるから」。
愛情をこめて、NPBで生き抜いていく術を論じた。
さらに「きっとチャンスは出てくるので、そういうときに食い込んでいってほしい。あの子の根性や負けん気の強さは、そこで生かされると思う」とも付け加えた。
技術はもちろん、精神的な強さも佐野選手のセールスポイントだと強調する。
■佐野大陽流、好投手の攻略法
大学時代には多くの好投手たちと対戦してきた。同じリーグには、名城大学の岩井俊介投手(現福岡ソフトバンクホークス)や松本凌人投手(現横浜DeNAベイスターズ)、中京大学の髙木快大投手(侍ジャパン大学代表)、そして先のドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから1位指名された愛知工業大学の中村優斗投手らそうそうたる投手がおり、「150キロが当たり前の世界でやっていた」と、彼らを攻略するために試行錯誤してきたことが思い出される。
「大学時代はそんなに(試合の)映像が残っているわけじゃないので、リーグ戦中は実際に見に行ったりとか。偵察ですね。そういうピッチャーの分析とかは得意というか、あまり苦手なことじゃないので」。
だから、初めて当たる投手にも臆せず打席に入れた。
その経験が独立リーグでも活きた。日本海リーグでは相手は常に石川ミリオンスターズなので、分析した投手の情報は自身の中にどんどん蓄積していった。
「打席が終わってベンチに帰ってきてからもバットを持ってタイミングを取ったりして、どこでタイミングを合わせたらいいなとか計っていました」。
大学時代の手法は富山でも実践し、結果につなげた。
さらに日本海リーグではほぼ全試合、YouTube配信があるため、映像で研究することもできた。
「その日に見返すことが多かったんですけど、ときにはちょっと時間が経ってから見返すこともありました。そのときの打席の中の感情であったり、いろんなものが一度リセットされたときに見直して、『あ、このピッチャーはこういう癖があるな』とか、自分のバッティングの分析をしたりしていました」。
グラウンドを離れても、常に野球のことを考えていたことがうかがえる。
これまで構築してきた手法を、来年からはNPBの世界で活かしていく。大学時代に対戦した好敵手たちと再び相まみえることに、胸を高鳴らせているところだ。
■NPBで活躍することが恩返し
「打撃、守備、走塁、すべて今まで自分が考えてこなかった新しいことに取り組めて、野球の幅広さというか奥深さについて考えることが多い1年だった」と今年を振り返る佐野選手。ひとえに吉岡監督や細谷コーチの指導の賜物だという。
吉岡監督は「今年継続してきた取り組みを、レベルが高いところでやっていく中で、しっかりつないでいってほしい。1軍に行くために課題はいろいろ出てくると思うので、そことも向き合って。彼の負けん気みたいなものは大事だし、そういう部分が楽しみですね」と目を細めていた。
受けた指導と愛情を胸に、佐野大陽はNPBで活躍することで恩返しするつもりだ。
(次回は佐野選手とタイガースの意外な縁、球歴、ポジションなどの秘話にせまる)
【佐野大陽(さの たいよう)*プロフィール】
2002年2月14日(22歳)
178cm・81kg/右投右打
常葉大橘高校―中部大学―富山GRNサンダーバーズ
静岡県出身/内野手/背番号1(富山)
家族…父(勇気さん)、母(梓さん)、弟(陽空さん)、妹(心陽さん)、妹(陽凜さん)、弟(陽さん)
【佐野大陽*今季成績】
39試合/打席184/打数143/安打48/二塁打1/三塁打1/本塁打0
四球32/死球5/三振17/犠打0/犠飛3/併殺打3
打点19/得点32/盗塁9/盗塁死5/失策6
打率.336/出塁率.464/長打率.357/OPS.821
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