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「虎之介」になるはずだった阪神5位・佐野大陽 生まれる前から虎入りの運命を背負い甲子園での活躍を誓う

土井麻由実フリーアナウンサー、フリーライター
左から細谷圭コーチ、佐野大陽、吉岡雄二監督(写真提供:富山GRNサンダーバーズ)

(前回「.464のリーグ最高出塁率 佐野大陽(富山TB)が阪神タイガースからドラフト5位指名を受ける」からの続き

■「佐野虎之介」だった?

 「僕、本当は虎之介なんです」―。

 衝撃の一言に、背筋がぞわっとした。

 10月24日のドラフト会議にて、佐野大陽内野手(日本海リーグ富山GRNサンダーバーズ)は阪神タイガースから5位指名された。

 名前の「たいよう」の漢字は「太陽」ではなく「大陽」と珍しく、宛名など「ものすごく間違えられます」と、正しく書いてもらえることは少ないという。

 「本来の『太陽』だったんですけど、お寺で見てもらったときに『点がついていると字画が悪くて大成しない。病気になったり弱い人になるよ』って言われたらしいんです」。

 そんな話をしていると、ふいに発したのが冒頭の言葉だった。「本当は大陽じゃなかったんです」と。

 「元々考えられていた名前は虎之介なんですよ。でも、生まれた瞬間に元気がよかったのと、真っ赤な状態で生まれたから、それでお父さんが『この子は太陽にしよう』って思ったらしいです」。

 『虎之介』と名づけられる予定だった赤ちゃんが、やがて『虎』の名がつく球団に指名されるとは…。生まれる前からタイガースとは赤い糸で結ばれていたのではないかと、運命の綾を感じずにいられない。

阪神タイガースの筒井和也スカウトと(写真提供:富山GRNサンダーバーズ)
阪神タイガースの筒井和也スカウトと(写真提供:富山GRNサンダーバーズ)

自身のドラフト指名の記事が掲載されているスポーツ新聞を手にする佐野大陽(撮影:筆者)
自身のドラフト指名の記事が掲載されているスポーツ新聞を手にする佐野大陽(撮影:筆者)

■「かっこいいな」と自ら野球を始める

 その真っ赤な状態で生まれたのは2002年2月14日で、2800gほどだった。早生まれでもあることから、同学年の中でもずっと小さいほうで、「高校3年間で急激に伸びました」と言うが、体型は細かったという。

 家族、親戚の中でただひとり野球経験があったという曾祖父の櫻井守さんとキャッチボールをするのが楽しみだった大陽少年は、母・さんと実家の目の前の小学校に遊びに行ったとき、少年団が野球をしている姿に惹かれた。「かっこいいな」。

 野球をやりたいと口にすると、「今、自分で監督やコーチに『やりたいです』って言ってきたら、やらせてあげるよ」と言われ、すぐに飛んでいった。まったく物怖じしない少年である。

 そうして野球を始めたのが小学1年のときだった。

 小学生のころはピッチャー、キャッチャー、サード、ショートの4つのポジションに就くことが多かった。

 実は小学校の6年間は、野球とともに地元の相撲クラブに入って相撲にも打ち込んでいた。学年別の大会では、4年生のときに東海3位という素晴らしい成績も残している。

 中学校に入ると野球に集中し、ポジションはピッチャーとショートに絞られた。

佐野大陽(写真提供:富山GRNサンダーバーズ)
佐野大陽(写真提供:富山GRNサンダーバーズ)

■高校3年の春と夏はキャッチャーに

 常葉大橘高校にはピッチャーで入学したが、1年生の秋にピッチャーをやめた。

 「僕の代ですごくいいピッチャーがいて、こいつには勝てないなって思って『ショートがやりたいです』って言いました」。

 それからはショート1本で活躍した。

 だが3年生になると、予期せぬことが起こった。正捕手が「肩に水かなんか溜まって、キャッチャーができなくなって」と監督からキャッチャーに指名された。

 だがこれが、佐野選手に“違う景色”を見せてくれることとなった。これまで未知だったキャッチャーのおもしろさ、奥深さを知ることになるのだ。

 「いろいろ感じましたね。キャッチャーって、こう見えるんで」と両手を広げる。そう、ほかの選手とは逆側に向かい合って座り、グラウンド全体を広く見渡すキャッチャーは、『扇の要』に例えられるポジションだ。

 「ずっと見ていた方向から目線がガラッと変わって…。頭を使って配球を組み立てて、ピッチャーにサインを出すこととか、すごくすっごく楽しかったです」。

 イキイキと話す表情が、キャッチャーの醍醐味を物語っている。そしてキャッチャー経験がバッティングにも生きたとうなずく。

佐野大陽(写真提供:富山GRNサンダーバーズ)
佐野大陽(写真提供:富山GRNサンダーバーズ)

■タイガースでキャッチャーも?

 だが、中部大学にはショートで入った。大学の監督からは高校2年の夏、ショートを守る姿を見て声をかけてもらった。だから、そこはショート一択だった。

 「キャッチャーをやりたいという思いはなかったけど、キャッチャーをやった上でショートに戻ったら、また違う考え方もできて、違う楽しさもわかりました」と言い、「ポジショニングも楽に考えられるようになって、前や後ろ、三遊間に寄るとか、大胆に守ってみたりができるようになりました」と、思わぬ副産物も生まれた。

 また、キャッチャーが配球に困ったときは「こっち見るように話をしてあった」と、ショートからサインを出して助けることもあった。

 今は「キャッチャーをやってみたいという気持ちはないですけど(笑)」とは言うが、担当の筒井和也スカウトは「させてみたい」と、自らが発掘した原石を頼もしそうに見ている。ショートとキャッチャーの二刀流となると、他球団では聞くがタイガースでは初か。

 佐野選手は「やれって言われたら全然やります」との覚悟はあるが、はたして…。

キャッチャー姿も様になっている佐野大陽(写真提供:富山GRNサンダーバーズ)
キャッチャー姿も様になっている佐野大陽(写真提供:富山GRNサンダーバーズ)

■NPBファームとの対戦で刺激を受け成長

 大学卒業後はNPB入りを目指して富山に入団し、独立リーガーとして鍛錬を積んだ。今季、NPBのファームとの対戦も自身を成長させてくれたと、佐野選手は振り返る。

 チームとして3試合、リーグ選抜メンバーとして4試合に挑み、7試合で打率.231、出塁率.310、長打率.385という成績だった。

 「ずっと目指している舞台で戦っている人とやれるっていうので、普段のリーグ戦とは違う気持ちで臨みました。打てていない打席は失投を捉えきれていなかった。やっぱりNPBって球の質とかスピードが違うなって感じたし、まだまだ力不足だなっていうのは思いました」。

 けれど三塁打を2本放つなど、本来のパワーと足は見せることができた。

佐野大陽(撮影:筆者)
佐野大陽(撮影:筆者)

■タイガース戦で小幡竜平を見て受けた衝撃とは

 そして来年からは、自身も“その舞台”を主戦場にするわけだ。タイガースのショートは今、おもに木浪聖也選手が守り、次代に小幡竜平選手が控えている。左打者の2人に対して、自身のアドバンテージは右だと答える。

 9月11日、選抜メンバーとして鳴尾浜球場に乗り込んだとき、左太もも裏の肉離れから復帰してきた小幡選手を目の当たりにし、衝撃を受けた。

 「足の速さとか恰好っていうんですかね。ユニフォームを着た立ち姿とか、小幡選手は全然違いました。その姿を見て、あぁこれがプロ野球選手なんだなって思ったんですけど、これからそういう選手とやるんだなって…」。

 いや、そういう選手を越えなければならないのだ。「もちろんです!絶対に越さないといけない選手なので」と、決意を新たにする。

 同じ日本海リーグから育成4位指名された川﨑俊哲選手(石川ミリオンスターズ)も同じショートだ。今年のルーキーにも、山田脩也選手や百﨑蒼生選手ら将来のショート候補である有望選手たちもいる。

 「誰にも負けないように、アピールポイントの堅実な守備やコンスタントにヒットが打てるところをもっと磨いていって、頑張りたい」。

 そう強く誓う。

佐野大陽(写真提供:富山GRNサンダーバーズ)
佐野大陽(写真提供:富山GRNサンダーバーズ)

■かわいい応援団

 父・勇気さんは野球の経験はなく、弟の陽空(はるく)さんは兄の影響で野球を始め、高校も大学も兄と同じ道を選んだ。現在、中部大学2年でセカンドやサードで内野手として活躍するなど、すべて兄の後を追っている。

 「でも、弟のほうがずっと野球うまいんですよ。僕、なめられているんで、『お兄ちゃんがプロになれたら、俺もなれるわ』って(笑)」。

 そう言って白い歯をこぼす。陽空さんのことがかわいくてしかたないという笑顔だ。

 これまでジャイアンツファンだったという陽空さんだが、「もうタイガースファンだって言ってました(笑)」と当然のごとく鞍替えし、お兄ちゃんを全力応援する構えだ。さらに2人の妹(16歳と14歳)や末っ子の弟(9歳)も、心強い援軍である。

富山のマスコット・ライティ―とハイタッチ(写真提供:富山GRNサンダーバーズ)
富山のマスコット・ライティ―とハイタッチ(写真提供:富山GRNサンダーバーズ)

ファン感謝デーを楽しむ佐野大陽(写真提供:富山GRNサンダーバーズ)
ファン感謝デーを楽しむ佐野大陽(写真提供:富山GRNサンダーバーズ)

■目指す選手像は虎のレジェンド・鳥谷敬

 佐野選手には、目指す選手像というものがある。

 「1年間、戦力として中心にいられるような選手ですね。ケガもしない、調子の波もない、それで守備だったりバッティングだったりでチームを助けられるような…チームからもファンからも必要とされる選手になりたいと思っています」。

 ん?その選手像を聞いて浮かんだ、ある人物がいるが…?

 「それこそ鳥谷)選手はショートを守っていて、ずっとかこいいなって思っていました」。

 まさに、そうだ!なるほど、具体的な選手像は鳥谷選手ということだ。富山で自ら希望して着けた背番号1にも、そんな思いが込められていたのだ。

 そういえば鳥谷氏は長くプロ野球選手を続けるために、体への負担が少ない土のグラウンドがいいと、甲子園球場を本拠地にするタイガースを選んだとかつて話していた。

 だが、土はイレギュラーもあり、近年増えている人工芝の球場に比べて守備の難易度は高い。そのあたり、佐野選手はどう考えているのだろうか。

 「土も芝もあんまり変わらないです、気持ちは。打球はもちろん違いますけど。でも、この1年間、土のグラウンドでも対応できる練習をしてきたと思っているので、グラウンド(の違い)でどうこうっていうのはないし、嫌な印象もまったくないですね。ただ、持っているものを試せるので、楽しみだなっていうのはあります」。

 富山時代に使用してきたグラウンドは土で、しかも状態は決していいとはいえない。そこで守ってきたことはアドバンテージになると胸を張る。

ガッツあふれる佐野大陽(写真提供:富山GRNサンダーバーズ)
ガッツあふれる佐野大陽(写真提供:富山GRNサンダーバーズ)

■藤川新体制でレギュラーを獲る!

 さてタイガースは来季、藤川球児新監督の指揮のもと、シーズンに臨む。佐野選手が藤川監督に抱くイメージは「野球をすごく知っている方」だという。「藤川監督は野球観が素晴らしいし、野球についてすごく考えておられる。頭を使って野球をされるという印象です」と語る。

 藤川監督の野球観に触れる日を楽しみにしている。

 目指す舞台に立つ権利は得た。だが、勝負はここからだということは、重々承知である。富山から野手の支配下指名は初。後に続く後輩のためにも開幕1軍を目指し、一日も早くレギュラーを獲ることを佐野大陽は固く誓う。

左から吉岡雄二監督、佐野大陽、永森茂社長(写真提供:富山GRNサンダーバーズ)
左から吉岡雄二監督、佐野大陽、永森茂社長(写真提供:富山GRNサンダーバーズ)

【佐野大陽(さの たいよう)*プロフィール】

2002年2月14日(22歳)

178cm・81kg/右投右打

常葉大橘高校―中部大学―富山GRNサンダーバーズ

静岡県出身/内野手/背番号1(富山)

【佐野大陽*今季成績】

39試合/打席184/打数143/安打48/二塁打1/三塁打1/本塁打0

四球32/死球5/三振17/犠打0/犠飛3/併殺打3

打点19/得点32/盗塁9/盗塁死5/失策6

打率.336/出塁率.464/長打率.357/OPS.821

(太字はリーグトップ)

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.464のリーグ最高出塁率 佐野大陽(富山TB)が阪神タイガースからドラフト5位指名を受ける

佐野大陽(写真提供:富山GRNサンダーバーズ)
佐野大陽(写真提供:富山GRNサンダーバーズ)

フリーアナウンサー、フリーライター

CS放送「GAORA」「スカイA」の阪神タイガース野球中継番組「Tigersーai」で、ベンチリポーターとして携わったゲームは1000試合近く。2005年の阪神優勝時にはビールかけインタビューも!イベントやパーティーでのプロ野球選手、OBとのトークショーは数100本。サンケイスポーツで阪神タイガース関連のコラム「SMILE♡TIGERS」を連載中。かつては阪神タイガースの公式ホームページや公式携帯サイト、阪神電鉄の機関紙でも執筆。マイクでペンで、硬軟織り交ぜた熱い熱い情報を伝えています!!

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