《2024ドラフト候補》初NPB戦での悔しさを糧に発奮!三好辰弥(富山TB)、リーグ初代三冠王に輝く
■日本海リーグ、初代三冠王が誕生
日本海リーグ・富山GRNサンダーバーズの三好辰弥選手は1年目の今季、リーグ初の三冠王に輝いた。シーズン40試合で打率.346、打点38、本塁打6。リーグ創立2年目にして、素晴らしい記録を樹立した。
◆本塁打6
ホームランは1本差で大誠選手(石川ミリオンスターズ)を追っていたが、9月14日に第6号を放って追いつき、本塁打王の称号は分け合った。
「(5本の時点で、大誠選手の本塁打数を)越したいとは思っていましたけど、そんなに意識はしていませんでした。9月は状態もよかったので自分を信じていたというか、絶対に打つぞという気持ちで打席に立っていました」。
自然に打つべくして打った第6号2ランだった。
◆打点38
打点もずっと大誠選手の後塵を拝し、7月終了時点では10もの開きがあった。しかしそこから追い上げて8月終了時点で3差まで詰め、9月6日に4打点を挙げていよいよトップに躍り出ると、さらに加点して打点王を確定させた。
◆打率.346
最後までデッドヒートを繰り広げたのは打率だ。
ずっとハイアベレージをキープして首位を守っていたチームメイトの佐野大陽選手とは、最大で1割強の開きがあった。しかし9月に入るとその差は2分ほどになり、とうとう同13日に追い抜いた。
翌日にまた並ばれはしたが、最終戦で2安打した三好選手が首位打者に輝いた。
「佐野とはバチバチでした(笑)」としのぎを削り、「俺が勝つで!」「ここから俺が抜くで!」などと、同い年の2人は互いに絶対に負けないという気持ちを隠さなかった。
「優勝を逃しても、僕たちは消化試合どころじゃないっていう感じで(笑)。2人で切磋琢磨というか、本当に楽しかったです。佐野も楽しかったみたいです(笑)。やっているときは、もう真剣でしたけど」。
必死だからこそ、個人の勝負を楽しめた。
よきライバルがいたことで、もてる力を存分に発揮することができた。そしてなにより、「指導者とトレーナーさん、周りの人たちのおかげで、ここまでいい結果が出せた」と感謝する。
ただ、「このリーグで三冠王とか、そういうタイトルの発表があるのかなと思って…」と、『三冠王』と言われてもピンとこなかったようだ。だから、そこまで意識することはなかったと振り返るが、リーグ創立2年目に誕生した『初代三冠王』の記録は、永遠に語り継がれるだろう。
■成長の軌跡
大きく成長したシーズンだった。入団したころは意識していなかった、いや、意識するものだということすら知らなかった自身の体の細部の感覚が、研ぎ澄まされるようになった。
「トレーニングとかもいろいろ教えていただいて、自分の感覚や体の使い方、そういうのは少しずつわかるようにはなってきたと思います」。
それは結果にも表れた。好発進した5月、ややキレが落ちた6月、それを経てその後は右肩上がりに成績がぐんぐん伸びていった。
「打撃フォームも試行錯誤していく上で、自分の型にはまって、感覚がうまくすり合ったというか…。足の上げ方とかタイミングの取り方とかを、ピッチャーごとに観察して変えていきました。たとえばこのピッチャーにはこれだなっていうタイミングを何個か作って、ピッチャーごとに合ったタイミングの取り方というのを勉強していきました」。
対戦するのは常に石川ミリオンスターズの投手たちだが、自身の中で「ショートアームと2段モーションじゃタイミングの取り方が違う」など、いくつかのカテゴリーに分けて対応することで引き出しを増やし、それはNPB戦でも初見の投手に当てはめることができた。
「最初は全然はまらなかったんですけど、徐々に感覚的にもタイミングがはまってきました」。
月間打率も5月の.368、6月の.250から7月は.313、8月は.343と、その成長の軌跡は数字から顕著に見てとれる。
そして9月の7試合は無安打の日が1度もなく、うち5試合でマルチ打を放っている。打率.464、出塁率.571、長打率.893、OPS1.464の月間記録の中で、3本の三塁打が光る。これには走塁力も含めた三好選手のポテンシャルの粋が詰まっている。
それまでの試行錯誤が実った集大成の月で、レギュラーシーズンを終えた。
■打撃の特徴
長距離砲だが、「ホームランか三振か」というタイプではない。三振は少なく、40試合での三振数は21で、三振率は.112と非常に低い。とくに7月以降のそれは.088と1割を切る。
しかし三好選手自身は「意外です」と目を丸くする。というのも、「別に三振はしてもいいというスタイルで、打ちにいった中での三振は悪くないと思っているので」と、思いっきり振りにいっているのだという。「そんなに少ないとは思っていなかったです」と、あたらためて数字を確認して驚いたようだ。
アウトを大別すると、総アウトのうちフライアウトが42%、ゴロアウトが38%、三振が20%だ。
「ゴロアウトのときは、あまりよくない打席が多いですね、僕のバッティングでは。右肩が開いたりっていう」。
フライアウトが6割を占めた9月(三振2割、ゴロ2割)は、その結果からも調子のよさが窺えた。
安打の打球方向の内訳は左16%、中36%、右48%で、そこまで極端な引っ張りではなく広角にも打てる。
「自分でもセンターからライト方向の打球が多い傾向にあるなと思っていますが、常に意識はセンター方向です。逆方向にも自然に安打が出たらいいなとは思っています」。
今後も投球のコースや状況などに柔軟に対応していく。
■吉岡雄二監督と細谷圭コーチの指導「自分を信じろ」
「自分が大学生のときじゃ信じられない結果というか、本当に感謝しています」と、常々口にする。吉岡雄二監督と細谷圭コーチからは、技術だけでなくメンタル面でもプラスになることばかり教わったという。
「バッターボックスでの考え方ですね。4番なので、自分が待っている球じゃなかったらファーストストライクから振りにいかなくてもいい、とか。要はどっしりしろというようなことですね」。
現役時代、打撃で鳴らした吉岡監督ならではの“主砲道”を説いてくれた。「自分を信じろ」という言葉は、自身の心に深く響いたとうなずく。
細谷コーチもいつも鼓舞してくれた。
「誰かがエラーしたとき、『誰だってエラーする』『明日は我が身』と引き締めてくれたり、点差が開いたときも「絶対にダレるなよ」って喝を入れてくれたり。守備でも風の確認とか、グラウンド状況とか、バッターのスイングとか、どこをどう観察するのかもすごく学ばせてもらいました」。
守備や走塁の技術が上がったのも、細谷コーチの指導の賜物だという。
トップクラスで活躍してきた指導者たちは着眼点も違い、三好選手にとっては日々新しい発見の連続だった。しかし、それを貪欲に吸収していったのは、なにより三好選手本人である。素直なのだ。うまくなるためにと自ら積極的に訊きにいき、どんどん試しては血肉にしていく。その繰り返しで、自分でも驚くほど成長できた独立リーグでの1年目だった。
■初のNPB戦での挫折、そして、そこからの成長
奈良学園大学から飛び込んだ独立リーグの世界。それまでは雲の上のような遠い存在だったNPBだが、ファームとはいえ対戦もあり、やや近づくことができた。
三好選手にとって最も衝撃を受けたのが、自身初のNPBとの対戦となる6月5日のオリックス・バファローズ戦だった。4打席立ってセカンドゴロ、四球、空振り三振、レフトフライに打ち取られた。
「もう手も足も出なかったんですよ。まだこんなにNPBとの差があったのか、まだまだやなって落ち込みました。ファームでこれかっていう感じで、挫折しましたね」。
開幕して結果を残してきただけに、その力が通用しないことに打ちのめされた。しかし、ここでめげている場合ではない。立野和明投手(8月1日に現役引退を発表)にも「ここから次、どう打つか見ているから」とハッパをかけられ、次戦に向けて取り組み始めた。
その月の埼玉西武ライオンズ戦は中止になり、次は8月7日の北海道日本ハムファイターズ戦だった。タイミングの取り方など研究し、練習を重ねた。そんな中、自分でも気がついたのは、「プロ(NPB)相手なので、名前負けというか、そういう部分もあった」と、気持ち的に立ち遅れていたことだ。
思いきって向かっていったファイターズ戦ではライトフライ、センター前ヒット、センターフライ、セカンドゴロと1本打つことができた。1安打だったが凡打の内容にも納得でき、「当たりはすごく成長したなって、僕的にはオリックス戦に比べてよくなっていた」と手応えを感じた。
ただ、自身の持ち味である長打がなかったことには満足できなかった。
すると同28日の阪神タイガース戦では、森木大智投手からレフトへ三塁打を放った(ほかの打席は遊ゴロ、三邪飛、見三振)。
「オリックス戦で挫折したけど、そこからの取り組み方で、積んでいけば打てるようになるっていう、自信がつきましたね」。
それほどまでに、バファローズ戦で歯が立たなかったことが悔しくて仕方なかったのだ。単に打てなかったことではなく、自分が目指している世界の選手を目の前にして打てなかったことが、三好選手に激しい挫折感を味わわせたのだ。
しかし、それを起爆剤にして奮起したのだから、相当な負けず嫌いであり、本気でNPBに行こうとしているということだ。
「これまでNPBの選手のバッティング練習は動画でしか見たことなかったけど、それを生で見たときに『やっぱりNPBに行きたい』って、その思いはすごく強くなりました。ユニフォームとか見て、すごくかっこいいと思ったし」。
だが、厳しい競争の世界ということも理解している。「この人たちの背番号を奪うというか、入れ替わらないと入れない」と、今いる選手を上回らねばならないと、あらためて力をつけようと誓った。
その後、日本海リーグ選抜チームで出場し、タイガース戦では先制ホームランに始まり三塁打と単打も放ち、惜しくもサイクルヒットは逃したが鮮烈にアピールした。タイガースの和田豊ファーム監督や、視察に訪れたスカウト陣の評価も上々だった。(詳細記事⇒「阪神タイガース・ファームに勝利した日本海リーグ選抜! ドラフトに向けて猛アピール!」)
だが一転、読売ジャイアンツ戦では無意識に力んでしまい、「状態がよくなくて、情けない感じ」と“らしくない”当たりに肩を落とした。けれど最後にしっかりヒットを出し、今季のゲームを締めくくった。
■リカバリーを考えながらシーズンを完走
初めて親元を離れて過ごしたが、食事もきちんと自炊するなどした。シーズン序盤は「焼くだけと味噌汁」と話していたが、夏場に変化があった。
「“茹で”が多くなりました(笑)。生焼けでお腹こわすのが怖くて…。焼いても表面は焦げているのに、中はなんか生みたいなことが多かったんで、それなら茹でたほうがいいかなって。鶏肉を茹でて塩コショウ…ブラックペッパーとかかけて食べています」。
食中毒などもちゃんと考慮しているのだ。
また、「リカバリーの部分で、けっこう積極的に果物を摂ったりしました」と、パイナップルをよく食べたという。たしかにビタミンやミネラルが豊富で、食物繊維やタンパク質消化酵素なども含まれるから、ちゃんと研究しているんだなと思いきや、「いや…スーパーにたくさん並んでたんで」と笑わせる。
そのほか、リカバリーの観点から温泉に通って交代浴もずっと続け、とくに疲労を感じることもなくシーズン40試合とNPB戦7試合すべてに出場した。
大学のリーグ戦とは違い、シーズンを通して戦うというのは初めてだったが、しっかり成績も残しながら完走したのは立派である。持てる体力、たゆまぬ努力、意識の高さが、それを可能にしたのだろう。
■人生で一番濃いシーズンだった
富山で過ごしたシーズンは「人生で一番濃かった」と表現する。「環境も変わって、すごく恵まれました。指導者にもチームメイトにもトレーナーさんにも全員に…あとファンの皆さまにも」と、感謝の気持ちを何度も何度も口にする。
この1年弱、目標に向かってひたすら突き進んできた。やれることは、すべてやった。
「未来のことはわからないので、待つだけというか、その日が来るだけです」。
“その日”とはもちろん、10月24日のNPBドラフト会議の日だ。お世話になったすべての人たちへの恩返しは指名を受けることだと、三好辰弥は胸を高鳴らせて“その日”を迎える。
【三好辰弥(みよし たつや)*プロフィール】
2001年12月11日(22歳)
188cm・92kg/右投左打
大阪商業大学堺高校―奈良学園大学
大阪府出身/外野手/背番号9
【三好辰弥*今季成績】
40試合/打席187/打数162/安打56/二塁打9/三塁打3/本塁打6
四球24/死球1/三振21/犠打0/犠飛0/併殺打2
打点38/得点37/盗塁1/盗塁死2/失策1
打率.346/出塁率.433/長打率.549/OPS.982
(太字はリーグトップ)
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