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モスクワで60人以上を殺害――テロ実行犯‘IS-K’の目的は何か…基礎知識5選

六辻彰二国際政治学者
銃撃事件の直後に炎上するコンサートホール(2024.3.22(写真:ロイター/アフロ)

 モスクワ郊外のコンサートホールで60人以上の死者と100人以上の負傷者を出すテロが発生した。事件を主導したと目される過激派組織「ホラサンのIS(IS-K)」とは何者か。なぜロシアが狙われたか。歴史を振り返りながら、基本的な情報をまとめてみよう。

1.犠牲者の多さでロシア史上屈指

 まず今回のテロに関して、判明していることを見ていこう。

 モスクワで3月22日夜、少なくとも5人の武装グループがコンサートホールを襲撃し、自動小銃を乱射するなどして数多くの犠牲者が出た。

事件直後に現場へ駆けつけた治安部隊や救急車と避難するモスクワ市民(2024.3.22)。今回の事件はロシア本土で発生したテロ事件のうち犠牲者数で2004年のベスラン学校占拠事件以来の規模のものだ。
事件直後に現場へ駆けつけた治安部隊や救急車と避難するモスクワ市民(2024.3.22)。今回の事件はロシア本土で発生したテロ事件のうち犠牲者数で2004年のベスラン学校占拠事件以来の規模のものだ。写真:ロイター/アフロ

 これまでロシア国内ではイスラーム過激派によるテロがしばしば発生してきた。

 ロシア軍は南部チェチェンで1990年代からイスラーム勢力の分離独立派に対する苛烈な取り締まりを行い、さらに2014年にISが「建国」を宣言して以来、同盟国シリアで空爆などを行ってきた。

 こうした背景のもとで発生したこれまでの事件と比べても、今回の事件は死者数でみて2004年のベスラン学校占拠事件(334人)以来、最多のものだ。

 事件を受けてロシアのメドベージェフ安全保障会議副議長は「責任者を必ず見つけ出し、容赦なく潰す」と宣言した。

【資料】ロシア南部ボルゴグラードでの駅舎爆破テロ事件後に献花に訪れた市民(2013.12.31)。ロシアではこれまでしばしばイスラーム過激派によるテロが発生してきた。
【資料】ロシア南部ボルゴグラードでの駅舎爆破テロ事件後に献花に訪れた市民(2013.12.31)。ロシアではこれまでしばしばイスラーム過激派によるテロが発生してきた。写真:ロイター/アフロ

 民間人が数多く犠牲になった事件に関して、それ以外でロシアと対立する欧米各国の政府も弔意を示したほか、ウクライナ政府は事件への関与を否定している。

 この事件直後、ISが犯行声明を出した。

 これまでロシアではイスラーム過激派のテロが発生すると、「プーチン政権の自作自演」という疑惑がしばしば浮上した。

 しかし、今回の場合、アメリカ政府高官も「ISの声明を疑う理由はない」と述べているほか、事前にアメリカ政府がロシア政府にテロの可能性を警告していたという情報もある(真偽は定かでない)。

2.アフガンを拠点にする過激派

 今回の事件を主導したのはISの分派IS-Kとみられている。IS-Kとは何者か。

 IS-K はホラサン(イラン東部からアフガニスタンにかけての歴史的な呼称)地方にイスラーム国家の樹立を目指す組織だ。

 ISの分派として2015年に発足したIS-Kは、これまでもロシアをしばしば標的にしてきた。2022年9月にはカブールにあるロシア大使館で自爆テロを引き起こしたこともある。

 しかし、ロシア本土への攻撃はほとんどなかった。IS-Kはこれまでアフガニスタンを拠点にしてきたからだ。

 2001年以来、アフガニスタンはアメリカ主導の「対テロ戦争」の主戦場であり続け、そのなかでもIS-Kはとりわけ凶暴な組織として勢力を拡大させた。

【資料】米軍のアフガニスタン撤退を受けて演説するバイデン大統領(2021.8.31)。20年間に及ぶ駐留ののち、アメリカはタリバンとの協議に基づき撤退した。
【資料】米軍のアフガニスタン撤退を受けて演説するバイデン大統領(2021.8.31)。20年間に及ぶ駐留ののち、アメリカはタリバンとの協議に基づき撤退した。写真:ロイター/アフロ

 その「国外進出」の転機は2021年だった。米軍がアフガニスタンから撤退し、入れ替わりにタリバンが実権を握ったのだ。

 アフガニスタンのローカルな組織であるタリバンは、チェチェン人、パキスタン人、サウジアラビア人など外国人の多いIS-Kと折り合いが悪い。

 例えば2021年8月、カブール国際空港でIS-Kによる爆破テロ事件が発生し、110人以上が死亡した。そのなかにはタリバンとの協議に基づき撤退を進めていた米軍関係者も含まれていた。

 政権獲得後、タリバンはIS系やアルカイダ系の取り締まりに力を入れてきた。その結果アフガニスタンにおけるIS-Kの活動は停滞し、月によってはテロ事件ゼロという状況も生まれた。

3. ウクライナ戦争は追い風になった

 アフガニスタンで行き詰まるなか、IS-Kは周辺国での活動にシフトしている。

 ロシアによるウクライナ侵攻は、結果的にそれを後押ししたといえる。ウクライナでの戦闘が激化するにともない、IS-Kが必要とする資金や武器を調達しやすい環境ができたからだ。

 このうちまず資金から。

 IS-Kの主な資金源は麻薬取引にあるとみられる。もともとアフガニスタンの貧農が栽培したケシは、中央アジアを通じてロシア、中東、ヨーロッパに流通し、多くの犯罪組織がここに関わっている。このうちヨーロッパには年間1億ユーロ相当の麻薬が流入している。

 その取引拠点の一つがウクライナだった。そのウクライナで無警察状態が広がるほど麻薬取引は加速しており、それはIS-Kの「ビジネス」を容易にしているとみてよい。

 次に武器に関して取り上げると、激戦地になったウクライナ東部からは周辺地域に自動小銃などが流出している。

 その結果、例えばウクライナに隣接するロシアの一帯では2022年に犯罪率が36%上昇したといわれる。

 カフカスから中央アジアにかけて武器がこれまで以上に流通しやすい環境は、その他のテロ組織と同じくIS-Kにとっても活動を容易にしやすくしたといえる。

4. 周辺国に拡大する「国際化」戦略

 こうしてIS-Kは、アフガニスタン以外の国で活動の場を広げてきた。

 その最大のものの一つが、イランのケルマンで今年1月初旬、爆弾テロによって90人以上が殺害された事件だ。

 この際もアメリカは事前に、敵対するイランに警告していたという(イラン政府は認めていない)。

 その他、インドパキスタン中国もIS-Kの攻撃対象に入っており、その活動領域はイラン東部からアフガニスタン一帯を中心とする伝統的な地理概念「ホラサン」に収まらないものになっている。

 これを米クレムソン大学のアミラ・ジャドゥン准教授は「国際化」戦略と呼ぶ。活動領域をあえて広げ、それぞれの地域で支持者・工作員をリクルートして勢力拡大を図るということだ。

 昨年の国連安保理レポートによると、IS-Kのメンバーは6000人ほどともいわれる。しかし、世界的に経済にブレーキがかかり、失業や貧困といった社会不安が広がることは、過激派組織が現状への不満を抱く層をリクルートしやすくなる。

 とすると、モスクワでかつてない規模のテロを引き起こし、世界の耳目を集めたことは、IS-Kにとって勢力拡大の一つのステップとみられる

5.ユーラシアをまたぐテロの増加?

 このテロ事件は今後ロシアから南アジアにかけての一帯でテロが増加するきっかけにもなり得る。

 IS-Kはこれまでチェチェンや中央アジアなど、ロシアに反感を持つムスリムも多い地域で人員をリクルートするため、しばしばロシアを「イスラーム弾圧の中心」と非難してきた。

 しかし、今回の事件で注目を集め、これまでより各地でのリクルートが加速すれば、インド、パキスタン、中国といった周辺地域の政府にそれぞれ遺恨をもつ人々を吸収しやすくなり、これら各国の国内で、あるいはこれらの国の海外拠点(大使館や企業など)が標的になる可能性も高くなる。

 この一帯の不安定化は難民の増加など、国際関係をさらに流動的なものにしかねない。

 ウクライナ侵攻やガザ侵攻などによって分断の深まる各国が、この問題で協力できるか。ユーラシアをまたぐテロの連鎖を食い止められるかはここにかかっているといえるだろう。

【追記】本稿掲載後、死者数は115名を超えることが判明した。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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