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そもそもタリバンって何? 設立時期や思想、変革…知っておきたい基礎知識5選

六辻彰二国際政治学者
政権掌握を宣言するタリバンのバラダル司令官(2021.8.16)(提供:Social Media/ロイター/アフロ)

 アフガニスタンの首都カブールを制圧したことで世界の注目を集めたタリバン。ニュースでの露出も増えたが、凶悪なイメージだけが先行して、そもそもどんな組織か、よく知らないという人も多いはず。以下では、今さら聞けないタリバンの基礎知識を5点にまとめて紹介する。

(1)戦乱を収める者として登場

 2018年だけで5000人以上を殺害し、その人数の多さなどから「最も血塗られたテロリスト」とも呼ばれるタリバンは、少なくとも登場の時点では、それまで戦乱の続いていたアフガニスタンに平和と安定をもたらす者として現れた。

 タリバンが国際的に知られるようになったのは1994年のことだ。当時、アフガンは混乱の最中にあった。

 この国では1978年、社会主義政権に対してイスラーム勢力が蜂起した。これに対して、社会主義政権の後見役だったソ連が軍事介入したが、これは「イスラーム世界への侵入」と戦うために、世界中から数多くのムスリムを義勇兵(ムジャヒディン)として参集させていた。

 その結果、アフガンでは200万人以上の難民が生まれる戦闘に陥っていたのである。

 この状況は、1989年の東西冷戦終結後も変わらなかった。ソ連軍が引きあげ、これに応じてムジャヒディンの多くも帰国した。しかし、ソ連撤退後の1992年、社会主義政権は崩壊し、国内のイスラーム勢力が集まった臨時政府が発足したものの、民族や派閥ごとの勢力争いでまともに機能できないままだった。

 こうしたなか、1994年に突如現れたのがタリバンだった。

 タリバンの指導者ムハンマド・ウマルは「臨時政府に集まったイスラーム勢力は世俗的な権力闘争に明け暮れている」と批判したうえで、「アフガンに安全と平和をもたらす真のイスラーム国家を建設するために立ち上がった」と主張した。その指導のもと、タリバンは破竹の勢いで各地を制圧し、1996年にはカブールに入城したのである。

 その政権掌握後、難民の帰還が進んだことからすれば、タリバン登場は確かに秩序を回復させる一助になったといえる。

(2)純粋主義の恐怖

 しかし、カブール制圧後のタリバンは、その悪名を世界に知らしめることになった。イスラーム国家の樹立を目指したタリバンが、聖典コーランの記述にそのまま沿った統治を行なったことが、その原因だった。

 例えば、タリバン政権のもとでは、女性は外出時にヴェールを着用すること、女性の就学・就労の制限、音楽の制限など、人々の生活が隅々まで規制された。また、姦通、飲酒、窃盗などに対して石投げ、鞭打ち、手・足の切断、死刑などが適用される、ハッド刑と呼ばれる厳しい刑罰も導入された

 さらにタリバンは2000年、世界遺産に指定されていたバーミヤンの仏教遺跡を爆破したが、これも「預言者ムハンマドが多神教徒の神殿を破壊した」という故事にならっている。

 もともとイスラームは殺戮と混乱が日常茶飯事だった7世紀のアラビア半島で、平和と安定を願って生まれたものだ。その大きな特徴は、内面の信仰だけでなく日常生活における行動規範も細かく定めている(例えば豚肉を食べてはいけないなど)ため、いわゆる「宗教」という枠で語ること自体が難しいことにある。

 とはいえ、コーランの内容には現代の感覚からすればギャップの大きい部分もある。そのため、現代のイスラーム諸国ではハッド刑がそのまま執行される国は少ないし、エジプトでピラミッドが爆破されることもない。これは時代の変化と教義を融合させようとするものだ。

 これに対して、「異物」を排除しようとするタリバンの純粋主義は多くの人を恐れさせ、再び難民を流出させるきっかけになったのである。

(3)パキスタンとアメリカの影

 こうしたタリバンの登場は、国際政治の産物でもある。タリバンのほとんどを占めるのはアフガニスタン人口の約40%にあたるパシュトゥーン人だが、その多くはソ連侵攻後の1980年代に、難民として逃れた先の隣国パキスタンで兵士として育成されたとみられている。

 パシュトゥーン人はアフガン南東部からパキスタン北西部にかけての地域で暮らしているが、その居住地域は帝国主義時代の1893年にイギリスによって分断された。それ以来、パシュトゥーン人の統一を求める意見もあり、アフガンにとってパキスタンとの関係は常に緊張を強いられるものだった。

 このパキスタンに逃れたアフガン難民のうち、パキスタン政府系のイスラーム神学校で過激思想を吹き込まれた者が、後にタリバンに吸収されたとみられている。いわばパキスタン政府はパシュトゥーン人中心のタリバンを通じて、アフガンに影響力を伸ばそうとしたのである

 この見方をパキスタン政府は否定しているが、アメリカ政府などからはしばしば批判されてきた。

 もっとも、それは2001年のアメリカ同時多発テロ事件の後のことで、それ以前は見て見ぬふりされることが多かった。

 パキスタンは冷戦時代、アメリカから軍事援助を受けていた。そのうえ、アメリカは1980年代からアフガンの西隣にあるイランを敵視していたため、アフガンに東方から同盟国パキスタンの勢力が伸びることは悪い話でなかった。

 これを反映して、1988年のハリウッド映画「ランボー3」では、シルベスター・スタローン演じる主人公がアフガンでムジャヒディンと一緒にソ連軍と戦う様が描かれている。

(4)アルカイダを庇護

 その登場からも分かるように、もともとタリバンはアメリカと敵対していたわけではない。また、アメリカなど海外でテロ活動を行なうこともなく、いわば弱小国のローカルな組織に過ぎない。

 そのタリバンがアメリカの宿敵になったきっかけは、1990年代末頃から外部のイスラーム勢力がアフガニスタンに流入したことにあった。その多くは、1980年代にソ連と戦ったムジャヒディンだった。

 先述のように、ムジャヒディンの多くはソ連撤退後に帰国していたが、その多くが1990年代に本国政府を狙ったテロ活動を活発化させ、国際的なお尋ね者になっていた。そのなかには、湾岸戦争(1991年)でアメリカに協力したサウジアラビア政府を批判し、テロ活動に走った同国出身のオサマ・ビン・ラディンもいた

 彼らにとって安住の地になったのが、タリバンの支配するアフガンだった。

 タリバンはソ連侵攻の経験から「外国の干渉」を極端に嫌がる。その庇護のもと、外国政府の追及を逃れたビン・ラディンらは1998年にアルカイダを名乗り、アメリカに対する「グローバル・ジハード」を宣言して、2001年の同時多発テロ事件に向けて突き進んでいくことになった。

 こうした経緯から、国際テロ組織としてはるかに世界的な認知度が高くとも、アルカイダはタリバンに忠誠を誓っている。

 しかし、2020年2月のアメリカとの停戦合意で、タリバンは「外国政府に攻撃する者にアフガンの地を使わせないこと」に合意した。ここにはアルカイダも含まれ、「この合意が守られるのであればタリバンは自分たちにとっての脅威にならない」という判断がアメリカに働いたとみられる。

 逆に、タリバンにとっては「テロリストを支援しない」ことで、正当な政府として認知されることを優先させたといえるだろう。

(5)なぜ20年後に復権できたか

 3000人以上の犠牲者を出した9.11の後、実行犯であるアルカイダをかくまっていたことを理由に、タリバン政権は米軍の猛攻を受けて崩壊した。

 しかし、その後もタリバンはアフガニスタン各地に潜伏し、駐留する米軍などへの攻撃を続けた。その結果、2019年までにアフガン駐留のためのアメリカの経費は1兆ドル以上にのぼり、米兵犠牲者は2300人を上回った。このコスト負担はアメリカを、タリバンとの和平合意とアフガン撤退に向かわせる大きな原因になったのである。

 なぜ、一度はカブールを追われたタリバンが、アメリカを撤退に追い込み、さらに首都を奪還できたのか。その最大の要因は、アメリカの軍事力をもってしても取り払えないほど、タリバンがアフガンの地に根を張っていたことがあげられる。

 例えば、タリバンの最大の資金源は麻薬取引で、それだけで年間4億ドル以上の収入を得ている。それはタリバンの軍資金になっている。

 もっとも、タリバンがアヘンの原料となるケシを自分たちで栽培したりすることはほとんどなく、多くはいわばカタギの農民が栽培している。

 しかし、農民のほとんどは強制されているわけではない。多くの場合、タリバンは対価を払い、農民からケシを買い上げてきた。いわば農民は生活のために、自発的にケシを栽培しているのであり、これがタリバンの活動を支えてきたことになる。

 英ロイターの取材に、あるアフガン農民は「他の作物を栽培しても十分に生活できない…もっと他に方法があるなら、ケシを栽培する必要なんてない」と応えている。

 つまり、どうにもならないほどの貧困がタリバンを延命させ、それがアメリカを撤退させる大きな力になったのである。だとすれば、タリバン復権は軍事作戦に軸足を置いた対テロ戦争の限界をも浮き彫りにしているといえるだろう。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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