鬱(うつ)が“悪魔憑き”だった時代。シッチェス最優秀作品賞『The Devil's Bath』
The Devil's Bath、「悪魔の風呂」とは鬱(うつ)状態のこと。舞台は18世紀のオーストリア。当時は鬱に陥っていることを「悪魔の風呂に入っている」と呼んだ。
つまり、鬱は精神病ではなく、一種の“悪魔憑き”だった。
これはかなり残酷なレッテル貼りである。
■鬱が“悪魔憑き”だった時代
中世のオーストリアはキリスト教であり、そこでの悪魔呼ばわりは「人間扱いの停止」を意味する。鬱になったら忌み嫌って仲間外れにするというのでは、鬱は悪化するしかない。
こうして、どんどん追い詰められた主人公は最後にとんでもないことをしてしまう……。
※以下、ほんの少しネタバレがあります。白紙の状態で見たい人は読まないでください。
主人公は結婚したばかりの女。いわゆる「マリッジブルー」で、結婚を機に環境が大きく変わり、ストレスが溜まることが重なった。
■女だからこそ。鬱になった要因
実家から離れること――日本でも最近まで「嫁入り」という言葉があったように、女性は夫の家に入るのである。母や兄弟と離れて暮らすことになり、実家へ戻ることは許されない。
とはいえ、男に仕える生活、家父長主義的なものに彼女が反発していたわけではない。それはそういうものだとして受け入れていた。
嫁姑問題――自立できない夫には癒着した母がいる。姑は口うるさいものと決まっており、それに対して夫は黙認するものと決まっている。勝手に台所に入って鍋の置き場所にいちいち口を出してくる夫の母。中世のオーストリアにも嫁姑問題はあったのだ。
見ていて、そこまで酷くないソフトな部類の姑だとは思ったものの、主人公は耐え切れなかった。
共同体での過酷な労働――新生活の大半は湖での魚獲りに費やされる。男たちが網を引き、女たちが桶を持って魚を拾う。労働後はパンが平等に分配される。
思ったよりも民主的な運営がされており、役割分担はあっても男女差別はないように見えたが……。
子供ができない問題――夫に問題があるが、これは嫁のせいにされた。子供を持つことが当然とされた時代に持てないと、“欠陥品”扱いをされる。
姑と仲良くやれないこと、共同体に馴染めないこと、労働に耐えられないこともすべて欠陥。“返品”されるシーンも描かれていた。
男にも鬱はあったのだろうが、女の方にはるかに鬱になりやすい要因がそろっていた時代だった。
■キリスト教の最悪の役割
こんな時こそ、宗教は女の心の拠りどころになるべきだと思うが、そうなっていない。むしろ、さっきの悪魔憑き呼ばわりも含め、女を責めて追い詰める側に回っている。
キリスト教が鬱を悪化させているのだ。
ここにも書いたが――神は自殺者に厳し過ぎる。映画『パンデモニウム Pandemonium』――、キリスト教は特定の行いに対して異常に厳しい。破ったら地獄送りで、信者にとっては死刑どころではない重罪である(『パンデモニウム』によれば4000年間の拷問刑!)。
私のような無神論者は別に平気だが、真剣に神を信じている人は大変だ。
鬱になるわ、悪魔憑きと呼ばれて差別されるわ、それでは……と覚悟を決めると地獄送りだと脅されるわで、神を信じれば信じるほど苦しむ構造になっている。
熱心な信者である主人公は神の罰を恐れたからこそ、最後にとんでもないことをしてしまう。とんでもないが、地獄送りよりはマシだ、と。
中世のヨーロッパがいかに女性に抑圧的だったか、彼女たちを救うはずのキリスト教が逆にいかに抑圧的だったかが、ラストでの恐ろしいエピソードによって明らかにされる。
これは史実に基づいているそうで、彼女のような人は400人もいたらしい。
■過去の受賞作を振り返り
『The Devil's Bath』は今年のシッチェス国際ファンタスティック映画祭で最優秀作品賞を受賞した。私の評価は★★★(満点は5つ星)だった。
最後に、過去5年の受賞作と、私の評価と批評をまとめておく。
23年:『邪悪なるもの』(★★★★)
22年:『SISU シス 不死身の男』(★★★★)
惨殺劇がなぜ痛快なのか? シッチェス最優秀作品賞『シス/SISU』
21年:『LAMB/ラム』(★★)
シッチェス、最優秀映画賞『LAMB/ラム』。過去の受賞作と比べると……
20年:『ポゼッサー』(★★★★★)
他人を乗っ取った者の末路。クローネンバーグ息子作の『ポゼッサー/ノーカット版』(ネタバレ)
19年:『プラットフォーム』(★★★★★)
映画『プラットフォーム』(1月29日公開)の、見て欲しいからこそ、書けない面白さ
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※写真提供はシッチェス映画祭。写真のクレジットはすべて(c)UlrichSeidlFilmproduktion_Heimatfilm