映画『A Different Man』。大事なのは内面? それとも、外面「も」大事?
『A Different Man』は、以下のようなことを考えさせてくれる。
■ルッキズムは悪。では内面至上主義は?
人は外面と内面でできている。
よって、内面を無視して、外面だけで人を判断することはできない。どんな人か知りたいなら、内面も見なくてはいけない。だから、外見至上主義(ルッキズム)は間違っている――ここまではすぐわかるし、みなさんにも同意してもらえると思う。
では、その真逆はどうか?
外面を無視して、内面だけで人を判断する「内面至上主義」も間違いだろうか?
私は同じ理屈で間違いだと思う。人には外面と内面があり、切り離して考えることができないから。
とはいえ、ルッキズムはすぐに否定できても、内面至上主義を否定することには少し抵抗がある。
「見た目より中身」なんて、子供の時からずっと教えられてきたからだと思う。
■登場人物は次の3タイプ
『A Different Man』は、人間の外面と内面のお話である。
外面と内面の組み合わせには次の4つの種類がある。
A:外面が美しくて内面が美しいもの
B:外面が美しくて内面が美しくないもの
C:外面が美しくなくて内面が美しいもの
D:外面が美しくなくて内面が美しくないもの
これらに優劣を付けるとどうなるか?
ベスト、最高なのが、良いもの取りのAなのは間違いない。逆に、悪いもの取りのDがワーストなのも間違いない。
問題はBとCの序列だ。
これは人によって価値観が違うはずで、内面と外面のどちらをどれだけ優先するかでB→Cの順にもC→Bの順にもなり得る。好みの問題であり、人それぞれだろう。
私の序列? C→Bかな、と思うが、なかなか歯切れ良く答えることができない。「状況による」なんて誤魔化してしまうかもしれない。
『A Different Man』の登場人物の中にAは出て来ないが、BとCとDは出て来る。誰がBで、誰がCで、誰がDかというのは、ぜひ劇場で確かめて欲しい。
■作品が言いたいのは結局、何?
『A Different Man』は今年のベルリン国際映画祭の「金の熊賞」(最優秀作品賞)にノミネートされ受賞を逃したものの、俳優賞をセバスチャン・スタンが受賞。スペインでの初上映となった、シッチェス国際ファンタスティック映画祭で見た私の同僚たちの評価も高かった。
ルッキズムがはびこる中、人の見た目(と中身)というデリケートで社会性あるテーマを取り上げたところが良かった、というのには私も賛成なのだが、星の数は★★★(5つ星が最高)とした。
というのも、結局言いたかったことが「凡庸だ」と思うからだ。
見た目「だけ」が大事、でないことはわかり切っている。
では、結局、中身「だけ」が大事(つまり見た目はどうでもいい)なのか?
それとも、結局、中身「も」大事(つまり見た目も大事)なのか?
結論はどっちなのか?
見終わった後に私が受けたのは印象は、このうち最も普通に言われている方(=政治的により正しい方)だった。なので「凡庸」、なので「星3つ」である。
いずれにせよ、いろいろ考えさせてくれる作品であるのは間違いない。
ぜひ、みなさんの感想を聞いてみたい。
追記1:見た目によって主人公が受ける差別は、『エレファント・マン』とは比べものにならない。あちらは見世物小屋で、こちらはルッキズム。それでも時代は好転したのだ。
追記2:同様のテーマの作品では、スペイン版の『オープン・ユア・アイズ』が私のナンバー1であり続けている。あのペネロペ・クルスの手の平返し具合が悲しいリアルだと思うからだ。
※写真提供はシッチェス映画祭