映画『Rich Flu』。『プラットフォーム』の監督が描く、格差社会の解決法は「死の病」
「もし、大金持ちだけが罹る死の伝染病があったとしたら……」
これがこのSFパニックが投げかける問いである。
こんな作品が出てくる前提として、私たちのとんでもない不平等社会、というのがある。
■巨大な格差社会を数字でみると
富はごくごく一部の金持ちに偏っている↓
「上位1%の富裕層が世界の総資産の38%を所有し、うち0.1%の超富裕層が20%を独占している。一方で、世界の下位50%の人たちの所有割合は2%に過ぎない」(世界不平等研究所『世界不平等レポート2022』)
スーパー富豪たちはとんでもない金を貯め込んでいる↓
「もし世界トップ5の金持ちが毎日1人100万ドル(約1億5500万円)を浪費したとしても、彼らの全財産がなくなるまでに476年かかる」
(Oxfam『不平等株式会社』24年1月発表)
そして、巨大格差は広がる一方↓
「2020年から23年までに世界トップ5の金持ちの総資産は114%(つまり倍以上)増加したが、同期間中に50億人が総資産を減らした」(同上)
20年から23年と言えばコロナ禍があった。にもかかわらず、大金持ちたちは大儲けしたが、その他大勢は災禍の大波を喰らって貧しくなった。
「上位1%の金持ちの炭酸ガス排出量は、世界の下位3分の2のが人々が出す量と同量」(同上)という記述もあったが、金持ちたちは気候変動でさえビジネスチャンスとするのであろう。
■前作:金持ちの食べ残しをあさる貧者
金持ちはどんどん金持ちになり、貧しい者はどんどん貧しくなる暗い未来しか見えてこないが、ガルデル・ガステル=ウルティア監督もそう考えているのだと思う。
だから、前作『プラットフォーム』で格差社会を残酷にビジュアル化してみせた(この作品の評はここにある)。あれは、上層階にいる金持ちの食べ残しを下層階にいる貧乏人が食べて生きる、というお話だった。
プラットフォームに盛られた豪華な食事が、階を下って行く度に吐き気がするような廃棄物になっていく。
そんな社会の仕組みも酷いが、そこに生きている人間が輪をかけて酷く描かれていた。食べ切れない量があるのに、下の人間のために残そうとしないで、ぐちゃぐちゃにしたり糞尿を振り撒いたりする。
金持ちも貧者も心は平等に貧しいのである。
絶望的な社会観と人間観だ。
こんな監督だから、金持ちが改心して富を分配し平等社会が訪れる、なんて思っているわけがないし、そんな作品を作るわけがない。
■死の病が格差を解消するのか…
だから、『Rich Flu』なのだ。
※以下、少しネタバレがあります。白紙の状態で見たい人は読まないでください。
直訳すると“金持ちインフルエンザ”。金持ちしか罹らない伝染病で、ワクチンのない死の病である。
“不平等を解消する自浄能力は人間にはない。ならば、自然による外圧=ウイルスに任せるしかない”という発想だろう。
資産がなければ発病しない。資産が大きい順に発病するから、世界一の金持ちなんてあの人は真っ先にあの世行きとなるはずだ。
こうして、世界中の金持ちが我先にと資産を吐き出すことで、平等社会が実現するのだろう、と想像させられるのだが、実はそこはあまり描かれない。
金持ちが吐き出した金を貯め込んだりすれば、今度は自分が死の病に罹ってしまうから、そんなことはできないはず。そうなると金はどこへ行く? 社会資本に投資すればOKか?
いや、金を忌み嫌うとなると資本主義社会自体が崩壊するしかない。伝染病下の社会は、私有財産が極端に制限される原始共産制のようなものになるのかも――なんて疑問や想像は宙に浮いたまま放置され、物語は主人公の逃避行に収束していく。
元大金持ちが落ちぶれていく姿は最初の方は面白かったが、結局は見慣れた貧乏人になっていくだけなので、新味を失っていく。
蓄財が死となる社会、という設定なのだから、肝心の社会の方を見せないでどうする!
発想は面白かった。貧者の下剋上なんて痛快ですらあった。だけど、そこからお話が進まなかった。
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※写真提供はシッチェス国際ファンタスティック映画祭