先住民サーミの活動家 エッラ・マリエ・ハエッタ・イーサクセンは何者か
今、ノルウェーの先住民サーミの若い世代が新しい気候・フェミニズムのムーブメントを起こしている。ここ10年ほどの間で、若い世代がSNSや音楽・アートなどの文化的手段、そして政府に対するデモンストレーションによって、「これ以上サーミ人から土地や人権を奪うな」「これ以上搾取するな」と声をあげているのだ。ムーブメントには「連帯」が強く関わっており、サーミのコミュニティ、地元の環境青年団体、環境団体、スウェーデンの活動家グレタ・トゥーンベリさん、支援者などと共に足並みを揃えて抗議するという特徴もある。
サーミの若い世代で活躍する人々は多いが、その「顔」「象徴」となっているのが、エッラ・マリエ・ハエッタ・イーサクセンさん(Ella Marie Hætta Isaksen)という25歳のサーミ人活動家・アーティストだ。筆者は今、彼女の活動から目を離せずにいる。もし「ノルウェー版のグレタさんは?」と聞かれれば、迷わず彼女と以前記事でも紹介した活動家ペネロペさんの名前をあげるだろう。
イーサクセンさんのアーティストとしての音楽活動は後日紹介しようと思う。今回は活動家としての彼女の言葉をいくつか紹介したい。
ノルウェー政府によるフォーセン地域の風力発電所建設は、サーミ人のトナカイ放牧を困難にさせており、さらなる土地の搾取だとして、ノルウェー最高裁判所は「政府は先住民の人権を侵害している」と結論づけた。しかし、政府は「対話で解決策を探りたい」という態度で、未だに風車の問題は放置されたままだ。人権侵害が続いていることに抗議して、サーミ人の男性は今、ノルウェー国会前でテントを張り、無期限の「座り込み」抗議をしている。エッラさんは彼の活動を支持し、仲間たちと夜の護衛などにあたっている。
そのテント前で私たちは短い会話をした。エッラさんは「サーミ人としての政府との闘いはいつ始まったのか」という問いに「多くのサーミ人が、私たちには選択の余地がないと感じていると思います。だから、生まれた瞬間から闘いが始まっているんです」と答えた。
共に取材をしていた能條桃子さん(若者の政治参加を促す団体「No Youth No Japan」代表)は、彼女自身も日本で若者と女性の政治参加のための活動をしているが、「生まれた瞬間から闘いが始まっている」という言葉に衝撃を受けていた。何世代にもわたって抑圧政策の影響を受け続けてきた搾取と差別の歴史を背負った重みが、エッラさんの言葉には込められていた。
先住民の活動家として常にエネルギーに満ち溢れていながら、常に「怒り」も内在化している彼女。「そのモチベーションはどこから」という問いには、「私のモチベーションはサーミの人々です。私はサーミ人のために正義を望んでいます。私たちが愛し、その一部でありたいと願い、私たちが生き続けたいと願う文化とともに未来のソウルメイトの世代が平和に成長できるようにしたい。それが私のモチベーションです」と答えた。
さて、ちょうどこの会話の数日前に、私は別の場所でエッラさんの言葉を聞いていた。ノーベル平和賞といえばスウェーデンだが、平和賞だけはノルウェーで発表・授与される。過去の受賞者が集まり、ノーベル平和センターによる「ノーベル平和カンファレンス」が開催されていた。過去の受賞者と同じ舞台に上がるようにと、まだ受賞者でもないエッラさんが招待されていることは、それほどノルウェーで彼女の活動は影響力があることを意味する。
今回は彼女が舞台で語り掛けたメッセージを修正せずに日本の皆さんに届けたいと思ったので、ここから下は彼女の言葉をそのまま翻訳させてもらった。
サーミ先住民が今感じているのは「グリーン・コロニアリズム」という新しい形のさらなる搾取だ。環境への利益を口実に、他者からさらに資源を搾取する「植民地主義的な環境保護」はノルウェー政府と先住民サーミの間にある亀裂を深くしている。
サーミの人々は自然との共存を大切にする民族だ。だからグレタさんも同様に、気候危機を防ぐための再生可能エネルギーそのものに反対しているわけではない。「若い人は風力発電の恩恵をわかっていない」と批判するのは筋違いなのだ。対話をおろそかにして一方的な開発を進めることは人権侵害ともなり、両者の間にあるのは「対話不足」だと筆者は感じている。このような利益優先で開発を急ぐ政府と自然保護を求める市民との間の対立は、「フィヨルド気候訴訟」でも明らかだ。
サーミの若い世代のムーブメントはこれからより勢いを増すだろう。恐らく今まで見られなかった現象が起きるだろうと感じており、筆者はこの世代から目を離せずにいる。
Photo&Text: Asaki Abumi