他人を乗っ取った者の末路。クローネンバーグ息子作の『ポゼッサー/ノーカット版』(ネタバレ)
※この評にはネタバレがあります。日本公開は未定だが、どこかでいずれ見たいと思っている人は読まないでください。
ポゼッサー(Possessor)とは、サッカー用語のポゼッション(ボール支配)から想像できるように「所有する者」の意味だ。他人を所有したい、コントロールしたい、支配したいという黒い欲望は、人間の奥深いところにあるようで、いろんな物語のモチーフになっているが、この作品の場合は“乗っ取る”という言い方に近い。他人の頭の中にすっぽりと入って肉体をコントロールしてしまうのだから。
■“究極のなりすまし”の目的は暗殺
どうやって?
『クリーピー 偽りの隣人』に見る、「ドラッグで洗脳」の不自然――にも書いた通り、他人乗っ取りの手法はそれ自体が面白いテーマなのだが、そこにはこだわっていない。被操縦者の脳に小さなチップを埋め込み、操縦者が変な形のヘルメットを被るだけで、コントロールがOK、となる。
そこではなくて、乗っ取ることで乗っ取った側に起こることが、物語の中心になっている。
乗っ取れば人を殺しても、罪を被るのは乗っ取られた方で、乗っ取る方ではない。だから暗殺組織を作りましょう、ということで主人公は、他人を乗っ取って暗殺をするエージェントとしてその組織に雇われている。人殺しと言っても、実際は変な操縦ヘルメットを被ってベッドに横たわっているだけで、手を血で汚すのは乗っ取られている方である。
暗殺の仕方はこんな感じ。
乗っ取っても記憶は受け継がれない(らしい)。よって、物真似がばれないようにするには、本人と周囲のプロフィールの学習、本人の口癖や物言いの練習などの下準備をする必要がある。そうして、乗っ取って数日間は普通の生活をして、その間に怨恨による殺人だと周囲を納得させるために、あらかじめ喧嘩をさせるなどの伏線を用意しておく。
つまり、シナリオ通りに人を動かして必然的な殺人というクライマックスへ持っていくわけだ。
■科学的な整合性はあえて無視
と、ここまで書いたところで、そりゃおかしい、と気付いた人もいるはずだ。
いくら他人の犯罪でも犯人の頭の中にチップが残っていれば、遠隔操縦されていた証拠になってしまう。衝動的な殺人ではなく計画された暗殺だとばれてしまうのでは?
その答えは、一回だけのセリフでサラリと語られるので、聞き逃さないように。これ、かなり重大な設定で、うまく使えばスリルやサスペンスを増大させられたと思うが、その設定に触れられることはその後まったくない。
大体、この作品は、世界観や設定、背景をほとんど説明しない。未来なのか現在なのかどこで起きているのか、わからない。乗っ取りの手法もそうだが、科学的な整合性、完全犯罪成立のためのち密さとかには、フォーカスは当てられない。
そうではなくて、見ものは乗っ取った者がどうなるか?
他人の生活をまるで役を演じるかのように生きることができる。別の肉体を通じて感触や苦痛、快感が伝わって来る。主人公は女性だが、男性の体越しに男としての性的快感を得られる。ベッドに寝転がっているだけで殺人まで犯せる。
そんな数日間の衝撃経験の連続で、主人公はどう変わっていくのか? アイデンティティの混乱は当然起こるだろう。だがむろん、それだけでは済まない……。
■父譲りの様式美と過激描写
もう一つの見ものは、あのクローネンバーグの息子ブランドンが、父デヴィッドの血は争えない作品を撮ったことにある。
操縦ヘルメットのデザインは顔にへばりついたエイリアンのよう。乗っ取り相手に感情移入するための器具には大きなダイヤルが付いており、トランジスター式のラジオを思わせる。チップを埋め込むためのマシンの操作盤は目盛り式メーターでびっしりだ。
他者の乗っ取りというスーパーテクノロジーが、アナログ式。こういう様式美が、父から受け継いだ嗜好というか癖なのだろう。
アナログと言えば、撮影にCG(コンピュータグラフィックス)は一切使っていないそうだ。他人の体への精神転送や記憶混乱シーンでの光と色のエフェクトは、ジェル状のものにライトを反射させたりハレーションを起こさせたり、ラバーに映った映像を歪めたりしてブランドンが手作りしたものらしい。
目を背けたくなる残酷描写やぼかさない性描写も父譲り。「ノーカット版」とあるのは、衝撃を弱めた「検閲版」もあるからだ。
この作品は昨年のシッチェス国際ファンタスティック映画祭で、最優秀作品賞と最優秀監督賞をダブル受賞した。人間には目を背けるという自己検閲機能があるのだから、ぜひ日本でも年齢制限付きでノーカットで公開してほしいものだが……。
公式予告編はこちら(ページの中ほどにあります)
※作品と監督の写真提供はシッチェス・ファンタスティック映画祭