惨殺劇がなぜ痛快なのか? シッチェス最優秀作品賞『シス/SISU』
惨殺劇を笑ってはいけない、普通は。だが、この作品は遠慮なく大笑いできて、スカッとする。
なぜか?
2022年シッチェス・ファンタスティック映画祭、最優秀作品賞の『シス/SISU』。
シス=SISUには適当な翻訳がないそうだから、作品を見て訳を当てると「ど根性」とか「ネバーギブアップ」とか「火事場の馬鹿力」とかになるだろうか。
上映会に来ていたヤルマリ・ヘランダー監督は笑っていた。
「この作品を見ればわかるよ。フィンランド人を舐めるなってことが!」
フィンランド人はみな内面にSISUを秘めている。調べてみると、SISUは戦いに使われるのみならず、いじめに屈しないとか、失恋にめげないとか、貧困に負けないとか生活全般で発揮されるものらしい。
■笑える理由1:敵が惨殺に値する
なんたって、敵はナチスである。侵略、戦争、ホロコーストの張本人である。加えて、登場する兵士たちときたら、人間性もゼロなのだ。
悪の思想に支配される集団の構成員が全員悪人だとは限らない。良心の持ち主だっていたことだろう。だが、この作品のナチス兵たちは人間として吐き気がする連中ばかりである。
舞台は1944年のフィンランド。敗戦が決定的で、敗走中の連中がやっていることと言えば、道中の村に火を放ち、村人を殺し、若い女をさらい……。「せん滅作戦」と名付けられた狂気の沙汰である。
こんな兵士たちが殺されても何とも思わないどころか、むしろスカッとする。
残酷な方法で殺されれば“ホホーッ”という感嘆が漏れてしまうし、死に方が滑稽であればゲラゲラ笑ってしまう。
社会が多様になり寛容になったことで、フィクションの世界でも「絶対悪」が成立しにくくなっているが、この作品の敵役は間違いがない。鉄板の悪。
彼らの絶対悪具合に匹敵するのは、邪悪な宇宙人くらいだろう。
■笑える理由2:作りが劇画的
映像は、構図とアングル、光の加減が工夫されていて絵として美しい。加えて、いきなり顔の4分の1がクローズアップされるなどカット割りがダイナミックで、劇画を実写化したかのような印象を受ける。
特に、西部劇を意識した絵作りが多い。
そんな見た目の面白さの分、リアルさは損なわれているのだが、そんなことはどうでも良くなる。
この作品にリアリティを求めてはいけない。
主人公一人で三十人ほどを相手にするとなると、どうしても超人的な活躍が求められるし、肉体も不死身に近いものにならざるを得ない。
人間の主人公がスーパーマンになったりすると普通の作品ならシラケるわけだが、そんなマイナスよりも、ナチスどもを滅茶苦茶にやっつけてくれという欲求の方がはるかに上回っている。
少々荒唐無稽でも無理でも無茶でもいいから、あんな外道どもを成敗してほしい。なんなら、惨殺の方がより楽しい――そういう境地に、脚本、映像、音楽が束になって我われを導いてくれるのである。
悪党だってステレオタイプと言えば、そうである。だが、そんなことはどうでもいい。劇画って、活劇ってそういうものではないか。
主人公も我われも心は一つ、「皆殺しだ!」
鑑賞中・後の感覚は『イングロリアス・バスターズ』のそれに近かった。好きな人には特におススメ。みなさんも大いにスカッとしてほしい。
※写真提供はシッチェス映画祭