Yahoo!ニュース

神は自殺者に厳し過ぎる。映画『パンデモニウム Pandemonium』

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
パンデモニウムとは「悪魔の都」の意。スペイン語では「地獄の都」と副題が付いていた

教会がいたるところにあり、国民の半数以上がカトリック信者というスペインに住んでいて、わからないことがある。

それが神が自殺者に対して非常に厳しい、ということだ。自殺は神への大罪とされ地獄へ送られる

いや、理屈はわかるのだ。

キリスト教において命は神から与えられたものであり、いつ、どのように死ぬかを決めるのは神である。よって、聖書では自殺は殺人と同等に見なされる――。

なるほど、そういう発想なのか、と合点はする。

しかし、共感も賛成もできない。厳し過ぎやしないか、と思う。

例えば、こんなケースがあるからだ。

映画『パンデモニウム Pandemonium』には、こんな少女がでてくる。

※以下、ほんの少しネタバレがあります。白紙の状態で見たい人は読まないでください。

■いじめの被害者でも地獄行き

転校してきたばかりの高校で、同級生の女子たちからいじめられる。理由は美人で都会育ちで、男子からの注目を一身に集めているから。校庭で囲まれて髪を引っ張られたり、殴る蹴るの暴力を受けたり、トイレに閉じ込められて靴を舐めることを強要されたりする。

母に助けを求めようにも、新しい職場で忙しく十分に聞いてもらえない。父は離婚して不在だ。

この状況に絶望した少女は自ら命を絶つ。それで、地獄送りになる――。

『パンデモニウム Pandemonium』の1シーン
『パンデモニウム Pandemonium』の1シーン

これ、酷くないですか? 自殺というだけで、神の目には殺人犯同様に映っているわけだ。

ちなみに、この作品で描かれる「地獄」というのは、とんでもないところだ。

暗く狭い独房で、暴力の塊である地獄の鬼に、なんと4000年間もリンチを受け続ける場所である。

なんで、何の罪もない彼女が地獄の責めを受けないといけないのか?

むしろ、彼女はいじめを受けていた被害者ではないか!

キリスト教の考えからすると、いじめの加害者の方も当然、地獄行きなのだろうが、だからといって被害者の少女の地獄送りがキャンセルされるわけではない

『パンデモニウム Pandemonium』の1シーン
『パンデモニウム Pandemonium』の1シーン

■神の法よりも人間の法の方が公正

人間の法では自殺は罪ではない。このケースで、相応の罰を受けなくてはならない唯一の罪人はいじめの加害者たちである。

神の法よりも人間の法の方が公正で、よくできている、と思う。

あと、『パンデモニウム Pandemonium』にはこんなケースも出てくる。

病気の妻に頼まれて殺してしまった(あるいは自殺を助けてしまった)夫。苦しむ妻を見ていられなくて手をかけてしまった。そんな彼も問答無用で地獄に送られる。「妻を助けたかった!」と主張するのだが、神は聞く耳を持たない。

この神の裁きもずい分、冷酷に感じる。もう少し情状酌量というか、慈悲の心があってもいいのではないか。罪を犯した側の事情を考慮したり、心情をおもんぱかってもいいのではないか。

『パンデモニウム Pandemonium』の1シーン
『パンデモニウム Pandemonium』の1シーン

まあ、さっきの彼女を地獄に送るくらいだから、この夫に対して神が温情判決をするわけがないのだが……。

■神の強さと人間の弱さの対比なら…

以上のことからわかる通り、『パンデモニウム Pandemonium』は複数の登場人物によるオムニバスになっている。共通するテーマは「地獄に送られた人々の人生」なのだが、お話同士がバラバラでうまく繋がっていない。

いっそのこと、神の非情な裁きに苦しむ人間の物語に統一すれば良かったのではないか。

死後の地獄行きがわかっていても、人間は状況によっては大きな罪を犯してしまう。他人の命を絶ってはいけないし、自分の命を絶ってもいけないことは重々承知していても、そうしてしまうことがある悲しい存在である。

神は間違えないが、人は間違えることがある。

そんな、神の強さに対して人間の弱さが際立つようなお話を集めれば良かった、と思う。

これが地獄の門。天国の門は大理石製。参考までに。『パンデモニウム Pandemonium』の1シーン
これが地獄の門。天国の門は大理石製。参考までに。『パンデモニウム Pandemonium』の1シーン

ところで、私のような無神論者は当然、地獄送りと思ったら、そうとは限らず、あくまで私の行い次第らしい。もっとも、無神論だからこそ、地獄も天国も無い、と思っており、それで心の平安を手に入れているのだが。

※写真提供はシッチェス・ファンタスティック映画祭

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

木村浩嗣の最近の記事