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全国から視察殺到の学校給食とは

猪瀬聖ジャーナリスト/翻訳家
有機米や有機野菜を使った学校給食で注目される千葉県いすみ市(筆者撮影)

全国から視察や問い合わせが殺到している自治体がある。房総半島の南東部、太平洋に面した千葉県いすみ市だ。理由は、農薬も化学肥料も使わずに育てた米や野菜から作る学校給食。それが今なぜ脚光を浴びているのか。現地を訪ねた。

あっという間に“完売”

市内に13ある公立小中学校の1つ、夷隅小学校を昼食時に訪問した。教室横の廊下には配膳用のテーブルがセットされ、配膳係がご飯、いももち汁、鮭のにんじんマヨネーズやき、ブロッコリーとコーンのおかかあえを、手際よく皿に取り分けていた。ご飯の大盛りを希望する児童も多く、ご飯はあっという間に“完売”。教室をのぞくと、みんな、白いご飯や色とりどりのおかずをおいしそうに頬張っていた。

一見、普通の米飯給食だが、決定的に違うのは、米が全量、いすみ市産の有機米という点だ。野菜も一部、地元の有機野菜を使っている。合成農薬も化学肥料も使わない有機農法で栽培した有機米や有機野菜を給食に取り入れる学校は全国各地で徐々に増え始めている。しかし、いすみ市(人口約37000人)ぐらい大きな規模の自治体で、子どもたちがほぼ毎日食べる主食の米を全量有機米にしているところは、他にはない。

いすみ市はもともと県内有数の米どころだが、有機米生産の歴史は浅い。有機米作りに取り組み始めたのは2012年。太田洋市長の音頭取りで、自然環境や生物多様性の保護・保全に配慮した持続可能な農業を目指し始めたのがきっかけだ。国連が「持続可能な開発目標」(SDGs)を打ち出したのは、その3年後の2015年。日本では今や官民含めて「猫も杓子もSDGs」の感があるが、いすみ市は早くからSDGsに取り組み始めていた。

特別天然記念物が飛来

モデルとしたのは、農薬に頼らない米作りで国の特別天然記念物コウノトリとの共生を実現し、地域のブランド化に成功した兵庫県豊岡市。だが最初からうまくいったわけではない。2013年、意欲的な米農家が徒手空拳で有機米の栽培を試みたが、水田が雑草だらけになり大失敗した。そこで翌2014年、NPO法人民間稲作研究所に教えを請い再挑戦。まとまった量の有機米の収穫に初めて成功した。

再挑戦した年の4月下旬、有機栽培の水田に1羽のコウノトリが舞い降りた。「いすみ市でコウノトリが発見されたのは初めて」と当時の千葉日報は報じている。脚環の識別番号から豊岡市で自然繁殖した個体であることが判明。体長1メートルほどの珍客は、水田の中を歩きながらドジョウやカエルなどをついばんでいたという。

取り組みの成果が早くも表れた格好だが、新たな問題も浮上した。収穫した有機米をどうやって売るかだ。普通米より値段の高い有機米は販路も限られる。安定した売り先がないと農家も有機米の栽培に二の足を踏み、持続可能な農業が推進できない。関係者が鳩首凝議するなか、ある農家から「子どもたちに食べてもらったらどうか」というアイデアが出た。こうして2015年、学校給食への有機米の提供が始まった。

地元の有機米をブランド化した「いすみっこ」(いすみ市提供)
地元の有機米をブランド化した「いすみっこ」(いすみ市提供)

4年目で有機米100%に

持続可能な農業はそれを機に一気に拡大した。初年度の2014年に4トンだった有機米の生産量は、2015年には16トン、2016年28トン、2017年50トンと急増。市が農家への経営支援や技術指導に力を入れた結果、参入農家も相次いだ。十分な量を確保できたことから市は2017年10月、すべての小中学校の給食を有機米に切り替え、「有機米100%の学校給食」を実現した。

2018年からは有機野菜の生産にも着手。ニンジンやジャガイモ、タマネギなど給食での使用頻度の高い品目を中心に、年々生産量が増えている。

このいすみ市の取り組みが今、大きな注目を浴びている。市農林課の鮫田晋さんは「全国の自治体や団体などからの毎日10本以上も電話がかかってくる。メールでの問い合わせも多く、電話やメールへの対応で1日が終わってしまうことも多い」と苦笑いだ。新型コロナウイルス感染対策のため視察は現在、原則受け入れていないが、それでも視察や講演、取材依頼が今年度だけで50件近くあるという。筆者が取材した日も、東北地方の自治体の関係者が市役所を訪れていた。

注目を浴びる第1の理由は、日本の米農家の窮状だ。消費者の米離れで米の消費量は年々減少傾向。それに伴い米価も下落し、米農家の間からは悲鳴が上がっている。そうしたなか注目されているのが、長期的な需要増も見込める有機米だ。

急拡大する有機市場

米など穀類も含めた有機農産物の人気は世界的に高まっている。国際有機農業運動連盟によると、2018年の有機食品の全世界売上高は1999年比約6.9倍の1050億ドル(約12兆円)に達した。ところが日本は、国民1人当たりの有機食品消費額がフランスやドイツ、米国のわずか8~9%にとどまり、世界平均にも届かない。

これは見方を変えれば、日本の有機市場が今後大きく成長する可能性を秘めているとも言える。農林水産省も今年、全農地面積に占める有機農業用農地面積を2050年までに現行の0.5%から25%に増やすという野心的な目標を打ち出すなど、有機農業の推進に大きく舵を切った。

だが、そこで問題となるのが、有機農産物の生産・消費拡大にどうやって弾みをつけるか。有力な解決策の1つが、学校給食の利用だ。超党派の国会議員でつくる「食の安全・安心を創る議員連盟(食の安全議連)」の川田龍平参議院議員は、私見と断りながら、「全国の学校給食に有機食材が採用されれば、有機農産物の需要が一気に拡大し、農家も安心して有機農業に切り替えることができるようになる」と述べる。

「需要に生産が追い付かない」

その先には、地域経済への貢献も見えてくる。いすみ市は学校給食への利用を進めると同時に、生産量の増えた有機米を「いすみっこ」と名付けて市場での販売に乗り出した。学校給食の取り組みが話題になると、いすみっこの知名度もぐんぐん上昇。日本航空の国内線ファーストクラスの機内食に採用され、食品関連企業からの引き合いも増えている。

久我徹雄さんも学校給食向けに有機米を栽培している農家の1人だ。昔から無農薬栽培を続けてきたが、「給食に有機米が出されるのは子どもたちにとってよいことだと思うし、給食向けは価格も安定している」と、2019年から日本農林規格(JAS)に沿った有機米作りを始めた。現在は16ヘクタールの水田のうち3ヘクタールが有機栽培で、収穫の9割を学校向け、残りを市場向けに出荷している。来年は有機栽培を5ヘクタールに増やす計画だ。「有機米の需要が大きく伸びており、生産が追い付かない状況」と増産の理由を説明する。

有機米農家の久我徹雄さん。冬場に作るニンジンも有機栽培だ(筆者撮影)
有機米農家の久我徹雄さん。冬場に作るニンジンも有機栽培だ(筆者撮影)

いすみ市の学校給食が脚光を浴びる第2の理由は、農薬が一般の消費者や子どもの健康に与える影響だ。元農林水産大臣で現在は市民の立場から有機農業の普及に取り組んでいる山田正彦さんは、「米国で起きているラウンドアップ裁判と全国的な発達障害児の急増が学校給食への関心を高めている」と指摘する。

子どもたちの健康が心配

ラウンドアップ裁判とは、グリホサートを有効成分とする除草剤(商品名「ラウンドアップ」)を長年使用し続けた結果がんを発症したとして、大勢のがん患者がグリホサートの開発元を相手に相次いで起こしている損害賠償請求訴訟のこと。2018年8月には、その先駆けとなるカリフォルニア州での裁判で、一審の陪審が被告企業に対し原告の男性に日本円で約320億円を支払うよう命じる評決を出した。グリホサートは日本でも人気の除草剤で、水田や畑の除草にも使われている。

東京都世田谷区の市民グループ「世田谷区の学校給食を有機無農薬食材にする会」は、有機食材にこだわる理由の1つに、食品に残留する農薬が子どもの発達障害や食物アレルギーの原因として疑われていることを挙げている。千葉大学社会精神保健教育研究センターの橋本謙二教授(神経科学)らのグループは昨年、マウスでの実験の結果、「妊娠中の農薬グリホサートの摂取が、子どもの自閉症スペクトラム障害(ASD)などの神経発達障害の病因に関係している可能性がある」と発表した。残留農薬の危険性を指摘する研究結果は世界的に増えている。

元農相としての知名度や人脈を生かして全国各地の首長らに有機農業の大切さを訴えて回っている山田さんは「有機農業にはそれほど関心がなくても学校給食には関心を示す首長は多い」と話す。その言葉に、有機米の給食をおいしそうに食べていた夷隅小学校の児童たちの顔を思い出した。

ジャーナリスト/翻訳家

米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、環境問題、マイノリティー、米国の社会問題、働き方を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。

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