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敵の妻たちを寝取ることで復讐を果たそうとした男。主役は自らを反逆者、ピエロ、スパイダーマンと称す男に

水上賢治映画ライター
「フィリップ」より

 ポーランドから届いた映画「フィリップ」は、ナチスに恨みを抱くひとりの男のしたたかな復讐劇といってもおかしくなければ、相反するようだが、戦争に翻弄されながらも惹かれ合った男女の純愛ストーリーといってもおかしくない。

 ただ、実はそうカテゴライズするのも実はしっくりこない。ハッピーエンドでもなければ、バッドエンドともいいきれない。美談でもなければ醜聞でもない。不思議な感触を残す一作となっている。

 原作はポーランドの作家、レオポルド・ティルマンド(1920-1985)が1961年に発表しながら長らく同国で発行禁止にされてきた同名小説。ティルマンドの自伝的小説とされる原作を基にした物語は、ナチスによってユダヤ人の両親および最愛の恋人を無残にも銃撃され殺されたフィリップがドイツのフランクフルトへ。ナチスへの復讐に駆られる彼が、フランス人になりすますと、レストランの給仕係として働きながら、ナチス上流階級の女性たちを次々と誘惑。ナチスへの自分なりの復讐とばかりにドイツ軍人の妻たちを次々と寝とり、愛の欠片もない、憎しみに満ちたセックスを重ねていく。

 作品は、このように復讐心に燃えるフィリップがその後、ある女性との運命的な出逢いによって、大きく変化していく様を活写。フィリップという男の生き様が痛烈に描き出される。

 手掛けたのは、ポーランドが世界に誇る名匠、アンジェイ・ワイダ監督を長らくプロデューサーとして支えてきたミハウ・クフィェチンスキ。

 長らく発禁処分となっていた原作の映画化に挑み、フィリップという主人公を通して何を描こうとしたのか?

 ミハウ・クフィェチンスキ監督に訊く。全五回/第五回

「フィリップ」より
「フィリップ」より

フィリップを演じたエリック・クルム・ジュニアについて

 前回(第四回はこちら)は、本作についての性描写が意味することを中心に語ってくれたミハウ・クフィェチンスキ監督。

 そういった監督の目論見を体現したのは、フィリップ役のエリック・クルム・ジュニアにほかならない。

 この役は彼という最大の決め手はどこにあったのか?

「わたしにとってフィリップ役は、エリック・クルム・ジュニアの一択でした。

 この作品を作ると決意して、フィリップ役を考えたとき、彼以外の俳優が当てはまるとはまったく想像できなかった。

 今でもほかの俳優がフィリップを演じることは想像できません。

 フィリップ役については、キャスティングという過程は存在しません。

 オーディションはしていません。わたしがエリック・クルム・ジュニアと決めて、彼に直接オファーをしました。

 オーディションをする必要などなかった。というのも、わたしは監督をする一方で、プロデューサーとしても多くの映画に携わっています。

 プロデューサーというのは常にアンテナを張って、いいシナリオもそうですけど、いい俳優についても常に目を光らせています。

 ですから、エリック・クルム・ジュニアのことはすでに知っていて、わたしの頭の中にインプットされていました。

 で、フィリップ役となったとき、彼のことがまっさきに頭に浮かんだということです」

プロフィールで自分自身を

『人間、反逆者、ピエロ、スパイダーマン』と説明していた

 具体的に彼のどこがフィリップ役と結びついたのだろう。

「簡単に言えばわたしのイメージするフィリップの特徴を、彼はすべて備えていました。

 知性、男性としての魅力、ユーモアのセンス、美しさ、どれもフィリップのイメージに合う。

 複数の言語を話し、音楽教育も受けているという点も、フィリップと重なるところでした。

 また、エリックはインスタグラムのプロフィールで自分自身を『人間、反逆者、ピエロ、スパイダーマン』と説明していたんです。

 このチョイスからして、フィリップを想起できるのではないでしょうか?

 それで彼にお願いすることにしました」

「フィリップ」より
「フィリップ」より

エリック・クルム・ジュニアに課した10キロ増の肉体改造

 役作りにおいては、いくつかオーダーしたことがあったという。

「エリック・クルム・ジュニアは、フィリップを演じるために1年間を準備に費やしています。

 まず、彼に課したのは言語。フィリップはドイツで給仕をするフランス人になりすました人物ですから、ドイツ語のセリフとフランス語のセリフがある。

 ということでドイツ語とフランス語を、きちんと話せるように学んでもらいました。

 次に課したのは肉体改造です。

 作品を見てもらえればわかるように、フィリップはその肉体美で女性たちを魅了するところがある。

 ですので、エリック・クルム・ジュニア自身はどちらかというとやせ型で細いんですけど、逞しさのあるしかるべき体になるよう10キロの増量をお願いしました。

 しかも単に増やすのではなく、きちんとした筋肉美になるよう鍛えながら体重を増やしていくようにしてもらいました。

 そのほか、シーンで必要になるので、ダンス、タップダンス、ボクシングも学んでもらいました」

フィリップに託したナチス・ドイツへの抵抗

 肉体改造により女性を魅了するようなボディメイクを求めたことには、もうひとつ理由があったという。

「今回の物語を作っていく上で、いろいろと当時のことをリサーチしました。

 その中で、ある資料にこういうことが書かれていたんです。

 戦争中にポーランド人女性が刑務所に入れられたり、あるいは収容所に入れられたりということがあった。

 そこでドイツ兵に暴力や拷問を受けることは日常茶飯事でした。また、そこでの暮らしというのはほとんど飲まず食わずのような状態だった。

 で、彼女たちは家族に手紙を書いて差し入れを求めるのだけれど、どういうものを求めたと思いますか?

 ふつうだったらたぶん食料とみなさん思うのではないでしょうか。

 ところが化粧品を送ってほしいという女性がけっこういたそうなんです。

 化粧品でメイクをして自分の気分をあげて、その窮状を乗り切ろうとして、ナチスドイツに抵抗していたということが書かれていたんです。

 わたしはこれはひじょうに面白いと思って、それを映画で表せないか考えました。

 で、女性のことではあるけれども、フィリップに託したんです。ナチス・ドイツへの反発という意味ではつながるので。

 ということでフィリップは見た目に敏感で、常に筋トレをして体作りに余念のない人物にしています。

 いずれにしても、ほんとうによくやってくれてこの準備期間を経たとき、エリックはすっかりフィリップになっていました」

(※本編インタビュー終了。次回からそのほかのエピソードをまとめた番外編を続けます)

【「フィリップ」ミハウ・クフィェチンスキ監督インタビュー第一回】

【「フィリップ」ミハウ・クフィェチンスキ監督インタビュー第二回】

【「フィリップ」ミハウ・クフィェチンスキ監督インタビュー第三回】

【「フィリップ」ミハウ・クフィェチンスキ監督インタビュー第四回】

「フィリップ」ポスタービジュアル
「フィリップ」ポスタービジュアル

「フィリップ」

監督:ミハウ・クフィェチンスキ

脚本:ミハウ・クフィェチンスキ、ミハル・マテキエヴィチ (※レオポルド・ティルマンドの小説「Filip」に基づく)

出演︓エリック・クルム・ジュニア、ヴィクトール・ムーテレ、カロリーネ・ハルティヒ、ゾーイ・シュトラウプ、ジョゼフ・アルタムーラほか

映画公式サイト  https://filip.ayapro.ne.jp/

全国順次公開中

写真はすべて(C)TELEWIZJA POLSKA S.A. AKSON STUDIO SP. Z.O.O. 2022

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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