優勝した阪神タイガースジュニア・上本博紀監督からジュニアたちへ伝えたいこと
*前回(「寅年に初優勝」を導いた阪神タイガースジュニア・上本博紀監督 その苦悩と葛藤、そして喜びとは)の続き
■ジュニアたちへの愛情あふれる上本博紀監督
「寅年に初優勝」を掲げて、みごと成し遂げた阪神タイガースジュニア。昨年末の「NPB12球団ジュニアトーナメント」でのことだ。
決勝は“ジュニア版・伝統の一戦”となり、読売ジャイアンツジュニアを大会史上初の延長戦で制した。
タイガースジュニアを率いたのは上本博紀監督。言わずと知れた元虎戦士だ。卓越した身体能力と抜群のセンス、さらには優れた野球脳を兼ね備え、走攻守にわたってアグレッシブなプレーでファンを魅了した。
2020年限りで引退して指導者となり、ジュニアチームでは指揮官としての力量の高さを示すことともなった。
初めての監督業で、記念すべき初優勝に導くことができたその根底には、ジュニアたちへの深い愛情があった。
随所に上本監督独自の意思や思考が存在したが、すべては彼らを思うがゆえだった。そしてそれは、セクションから始まって毎週末の練習や試合での采配、彼らとの接し方すべてに表れた。
ジュニアたちとの日々を振り返りながら、彼らへの思い、また、その輝かしい未来に向けて伝えたいことなど、上本監督に聞いた。
■自分で考えるということ
前回(詳細記事⇒寅年に初優勝)も紹介したが、上本監督はジュニアたちに常々「自分で考えなさい」「自分から動きなさい」と自主性を促してきた。しかし、実際はすぐにできることだとは思っていない。
「それができた、できていないっていうより、この先、このことをちょっとでも覚えてくれていたらいいかなと。今、小学生でランドセル背負ってる子に考えなさいって言っても、全部が全部できるとは思っていない。それが一割でも二割でもできて、自分で考えてやってみて結果が出た、ダメだったっていう経験が、これから先に残ってくれたらいいなっていうだけ」。
ジュニアたちがこの先、より飛躍するために何が必要なのか、上本監督はよくわかっている。
「プロ野球で成功した選手は絶対に自分で考えている。僕はやらされてきたタイプ」と、自身に関しては控えめだ。いやいや、現役時代の「上本選手」こそ、めちゃくちゃ考えてやっていた選手だった。
しかし、「まだ足りんかった。福留(孝介)さんとか鳥谷(敬)さんとか、超一流を見ているから」と、すごい先輩たちを目の当たりにし、もっと考えられたはずだと自省する。
だからこそ、ジュニアたちには自分で考えることのたいせつさを説くのだ。
■ジュニアたちの変化
その思いは少なからず伝わっている。ジュニアたちはなんとか自分たちで考え、指示を待つのではなく、自分たちでできることはしようと変わっていった。
上本監督も驚かされたのは、練習試合の名古屋遠征でのことだった。
朝6時から「ランニング行きましょ」と殿垣内大祐選手と井澤佑馬選手に声をかけられた。もともと藤川俊介コーチ、岩本輝コーチと散歩する予定だったが、一緒に河川敷に出かけ、歩きながらそのランニングする姿を見ていた。
「こいつら真面目だなと思って戻ったら、ほかの子らは中庭で素振りしたりしていた。みんな意識が高い」。
やれと言ったわけではないのに、自ら動く選手がこんなにいるのかと頼もしく感じた。
また、「自分たちでやらなくちゃ」という思いで、トレーナーがいるにもかかわらずウォーミングアップなども自ら進んでやりだした。
「『そこ?』みたいな(笑)。それはトレーナーがいるのに(笑)。大祐とか佑馬が前に出てやっている姿を見たら、かわいくて…(笑)。でも、いい、いい。自分で考えてやっているんならいいって」。
その姿があまりに微笑ましくて印象に残っていたから、優勝監督インタビュー中にもふと思い出して口にした。やろうとする、その姿勢が嬉しかった。
やはり、この子たちは言ったことに懸命に応えようとするのだと、実感した。
ミーティング中でもそうだ。これまでの指導者の話によると、自分は見られていないと思って、コソッとほかの選手を笑わせたりする選手が毎年いたようだ。しかし上本監督の下では、笑わせ合うことなど最初からいっさいなかったという。
「みんな真剣に僕のほうを見ていた。僕もナメられちゃいかんと思って、最初から雰囲気は出してたんだけど」。
円陣でもそうだが、上本監督はひとりひとりの目をしっかり見て話す。きっとジュニアたちには伝わるものがあったのだろう。
さらには大会中に宿泊したホテルでもだ。まだまだ子どもだし、仲間とお泊りなんて楽しくて、夜遅くまでおしゃべりして騒ぎたくなる。例年、その声はほかの部屋にも漏れていた。
しかし「それがまったくなかった。一言だけ『遊びたい気持ちはわかるけど、一生に一回しかないから、我慢せい』とは言ったけど」との注意を忠実に守り、翌日の試合に備えて寝たようだ。
「寝れんかったとしても、ちゃんと各自の部屋にいた。ほかのやつの邪魔したりは全然なかった」。
上本監督も感心しきりだ。
■オンとオフの切り替え
ガチガチの真面目タイプばかりか。いや、そうではない。むしろ普段のふざけ方は、例年のジュニア以上ではないかと思う。とにかくノリがいいし、声がデカい。優勝決定後から表彰式までの様子をYouTubeなどで見てもらうとわかるが、ふざけることが大好きな面々だ。
「真面目だけではいかんから。ふざけもするけど、オンとオフが切り替えられる子たち。ある意味、セレクションのときに“そういう感じ”の子を獲るって意識したのが、正解だったのかもしれない」。
“そういう感じ”の子―。
「大舞台で何かをやりそうだなという雰囲気の子」という、感覚や直感、勘でしか計れない物差しで選定したが、その選ぶ目はたしかに首脳陣の経験に裏打ちされていた。それが、「オン」になると力を発揮する“勝負師”たちをあぶり出していたのだ。
■親子の思い出
結果的に、関西圏からはやや遠い中国、四国地方から5人を選出することになり、保護者の送迎などの負担も考慮すると「どうかな」とも思案したという。
だが、「練習に来る道中が、親子の思い出になったりもするから、そういうのもいいかなと思った。親御さんは送り迎えが大変だっただろうし、僕らも感謝している。将来、たとえば淡路大橋を渡るとき『あのとき通ったね』とか『こういうところ行ったね』ってなってくれたらいいなと思う」と親子の気持ちを慮ると、よかったのではないかとうなずく。
どこまでもジュニアや保護者の気持ちに寄り添う指揮官だ。
(家族の関連記事⇒応援してくれる家族に優勝を)
■「誰かのために頑張る」の真意
ジュニアたちには「応援してくれる人に優勝を届けよう」「誰かのために頑張る」ということも伝えてきた。ただ、これには表面的なことだけではなく、もっと深い意味があった。
「そんなキレイなもんじゃなくて、この先、『自分のために頑張ろう』っていうのは、けっこう限界がある。自分だけのためなら、逃げたいときにすぐ逃げられる。そういうときに『お母さんのため』とか『誰かのため』って、逃げ場をなくすっていう意味で、そういうふうに言った」。
感謝の気持ちや喜ばせたいというのも、もちろんある。しかし、苦しくて逃げたくなったときに、そう考えて堪えろということだ。
「それもすぐにできるとは思わんけど、この先『(上本監督が)ああいうこと言うとったな』って、ふと思い出してくれたら。世の中は厳しいからさ。これから先…だいぶ先の話やけど」。
自らもそう教わってきたが、当初は本当の意味はわからなかった。しかし紆余曲折を経験し、環境も変化していく中で、「誰かのために」と頑張ったから踏ん張れたこともあるし、我慢できたこともある。
だから、「頭の片隅に置いて、いつか思い出してくれたら」という思いで、ジュニアたちに授けた。
これから続く中学、高校、その先も…。上本博紀監督はいつまでもジュニアたちのことを愛情深く見守っていく。
*次回はポジションのことなどを含め、上本監督がひとりひとりについて語る。⇒(16人のちびっこ虎戦士への思い)
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